第2話 狐の嫁入り
新帝国歴1408年、スパーニア王エルドロは二人の妻を迎えた。
一人はエイラマンサ公家から嫁いできたネーヴェラ。
もう一人は平民だが天女のようだと噂される絶世の美女ウシャス。
この二人の妻はそれぞれ対照的に金の髪と銀の髪をしていた。
エイラマンサ領は北方圏と隣接する為、北方系の民のような銀髪のネーヴェラ。
スパーニア人に多い金髪を持ったウシャス。
エルドロの父リークがエイラマンサ家との内戦の末玉座について以来長らくストラマーナ家とは敵対していたが、これで手打ちとする為婚姻関係が結ばれた。
もともとリーク自身もアルフォンソの父フェルナンドにストラマーナ公家へ養子にやられたエイラマンサの男である。だがエイラマンサ家はアルフォンソが死にリークが王位についた際にストラマーナ公ペルセベランに徹底的な粛清を受け、その権勢は衰えていた。
エルドロはペルセペランに強引にあてがわれた上に近縁であるネーヴェラを嫌って弟のティラーノに国で一番の美女を連れてくるよう命じた。
ティラーノは国中に触れを出して兄の為に天女の如き美しさと評判の娘を連れて来た。身分の低い娘だったが、ネーヴェラの対抗にはなり得ないので愛妾とするには好都合だった。
もったいぶって大行列を組んで嫁いでくるネーヴェラと違って弟の連れて来たウシャスという女は身軽であり、両者は同時期にバルドリッドに入った。
その日は不思議な事に空は晴れているのに天から泣くように雨がぱらぱらと振る日だった。そうして嫁いできたネーヴェラは大公家の姫らしく気位が高く扱いにくかった為、エルドロは敬遠した。
祖父のペルセペランからネーヴェラに優しくしてやるよう指示されるとエルドロはあてつけのようにウシャスに執心し歓心を惹くべく贈り物を与えた。
しかし、ウシャスの方もエルドロにつれない態度を取ったのでしばらくエルドロはいじけて飼い猫に愛情を注いでいた。
ティラーノはどちらかというと犬好きだったが、エルドロは王宮で猫を飼い、庭には狐を放し飼いにして廷臣に世話を焼かせていた。
そうしてエルドロはしばらく二人の妻がいるのに夜の生活に不自由して大公ユアナの寄越す後宮の女性達と戯れた。
◇◆◇
ウシャスは嫁いできた時ティラーノを嘘つきと詰った。
彼女はティラーノの妻となるのを承諾したつもりでやってきたのだ。
しかしながらティラーノはすぐにウルゴンヌ公女マルガレーテと婚儀を上げる事が決まっていたし、彼は一夫多妻制に反対で妻だけを愛し添い遂げると公言していた。ウシャスはフィロストラートに自分を寒村へ連れ帰るよう要求したがそれは叶わない。
フィロストラートは殺人罪に問われていたのだった。
かつて聖堂騎士団に所属した事もある名誉ある騎士といえども罪も無いただの求婚者を何人も殺しては殺人罪に問われるのは仕方ない。
ウシャスを守りエルドロまで導いた功績で王の特赦が与えられた彼は王に逆らえず、ウシャスは自分に従うと誓ったにも関わらず裏切ったフィロストラートを嫌うようになり、変じて妻への誠意を示すティラーノに好感を持ったようだった。
ウシャスは本妻を差しおいて自分を抱こうとするエルドロを拒んで冷たい瞳を向けた。彼女に見つめられるとエルドロは何故か躊躇って力づくで犯す事は出来ず、前述のように贈り物を与えたり、飼い猫に愛情を注いで逃避した。
ティラーノは兄が妻を得るまで自分が婚儀を上げるのは待っていたのでウルゴンヌの姫マルガレーテもようやく輿入れをすることができた。ウシャスは孤立し結局誰も彼も嫌うようになった。
ティラーノが明らかに格下の家から妻を得たのもエルドロの王権を盤石とする為である。妻の実家は最大の後援者である為、ティラーノを次の王へと望んでいた有力貴族達、メリベア公やナルダラ公もこれで後押しが難しくなり離れていった。
ティラーノも兄王を追い落とす気は毛頭なく、国内にしがらみのない妻を得られその結婚生活は幸福なものとなった。
◇◆◇
ウシャスという競争相手が出来た事でネーヴェラは態度を変え、エルドロに甘えて媚びるようになっていく。そうなるとエルドロも徐々にネーヴェラを可愛く思うようになり日夜愛するようになっていった。
大公家のネーヴェラは身分相応に贅沢で夫がウシャスへ贈り物を続けている事を妬んでいた。未だウシャスに執心するエルドロは彼女の為に求められるがまま100年に一度しか咲かない花や、水竜涎香、金黄鵞鳥獣卵など希少で高価な品を大陸中から集め、ネーヴェラも対抗しておねだりを続け、王家の財政は次第に悪化していった。
ネーヴェラは春には庭園に美しい花が咲き乱れる宮殿を、夏には避暑用の宮殿を求めた。大国のスパーニアにはもともと複数の宮殿があり、エルドロは春宮、夏宮をネーヴェラに贈って改装させた。エイラマンサ家から来たネーヴェラを嫌うストラマーナの大貴族メリベア公らはあてつけにウシャスにも宮殿を与えるよう進言し、エルドロは秋宮、冬宮をウシャス専用とした。
そうなるとネーヴェラはさらに差をつけるべく自分専用の宮殿を欲しくなってエルドロに新たな離宮を作るよう求め、より一層財政は悪化する。
建設費用を捻出する為、民に重い税が課された時、ティラーノは兄に苦言を呈した。
「兄上、奢侈な暮らしを改めて頂けませんか」
「何故だ?金は十分にある。祖父も国家財政にとって税を使わずに貯めておく事こそ無駄な事はないと言っている。私もそう思う、下々の者ならともかく国家が金を溜め込んでどうなる?得られた税収は消費して民間に戻してこそ役に立つのではないか?祖父の言葉が間違いだというのか?父を亡くした我々兄弟にとって最も敬うべき方だろうに」
「それは違いありませんが・・・」
普段は祖父を嫌っているくせに、こんな時だけ家長たるペルセペランの言葉を持ち出す兄の言葉にティラーノは悔しく思った。
しかし、道徳を重んじる彼には兄の言葉に逆らう事は出来ず引き下がった。
宮廷を退出するティラーノをみてエルドロの側近ゾロやペドロは王に囁いた。
「陛下。ティラーノ殿下は危険です。マグナウラ院始まって以来の神童と世間の評判であり、多くの魔獣を狩って名声も勝ち得ました。将来陛下の玉座を狙う危険があります」
「ゾロ。馬鹿な事をいうな。あいつは俺と争わない為に聖堂騎士団入りを志願したくらいだぞ」
エルドロは進言を退けて弟を信じた。
ゾロは主君だったリークを失い、その息子であるエルドロの騎士となったが、二度と主君を失うまいと忠誠心を重んじるがあまり、主君以外は全て敵に見る傾向があった。
しかしネーヴェラも夫に囁いた。
「彼はウシャス様に執心しているという噂もありますよ。実際妾も何度かウシャス様の宮殿で彼をみかけました。聖堂騎士団入りなどスパーニア王家の人間が入団を認めらるわけがありませぬ。みせかけですよ」
「むう」
「私もそう思います。聖堂騎士団を支えているのは絶対中立たるダルムント方伯。他国の王家の人間を受け入れるわけが無いというのは誰でも分かっている筈」
ストラマーナの騎士たるゾロからも愛妻からも口々にそういわれるとエルドロの心に疑いが芽生えた。
◇◆◇
ある日エルドロは王の盾である近衛騎士ギルディオを供としてウシャスの屋敷を訪れた。彼女は高台に家を望み亡き夫達を弔い今も昔のように滝行や断食など苦行を続ける為、庭に滝がある冬宮に住んでいた。
そこへティラーノはウシャスを傷つけた事を済まなく思っていて、彼女への罪悪感から時折慰めに定期的に訪問していた。彼はエルドロの訪問時に鉢合わせしないよう事前に王宮で王の予定を尋ねてから訪れる事にしていた。
だが、ある日予定を聞いてから来たにも関わらず後からエルドロがやってきてティラーノとウシャスが歓談している場面を見られてしまった。
「ティラーノ!貴様何をやっている。ウシャスから離れろ!」
「あ、兄上?これはただ花を献上しに来ただけです。彼女とは信仰について話をしていただけで」
「ええい!嘘を吐くな。その花はカカリアでは無いか。我が后にと望んだウシャスを口説くとは・・・痴れ者め!お前を信じた私が愚かだったわ!」
カカリアの花言葉は秘めたる愛。
口説く為といわれても仕方なかった。
ティラーノは王宮で予定を聞いた際にどうせウシャスの所へ行くならたまにはさして高価でもない野花を差し上げたら如何でしょうと侍従に勧められて渡されたものだった。
ストラマーナ公家から来た侍従は長年親しんでいて、宮廷の侍女に選んでもらった花は高価なものでもなかったしティラーノも有難く感じて意識せずウシャスに差し出していた。
ティラーノは弁解したかったが、エルドロからは嫉妬と怨恨の女神アイラクーンディアの力が感じられた。マグナウラ院への留学時代に神術も学んでいた彼にはその力が視認出来た為、弁解しても今は逆上させるだけと諦めてティラーノは引き下がった。
その日の夜エルドロは怒りに心が乱れ妻を酷く手荒に扱った。
さめざめと泣くネーヴェラにエルドロは我に返り青黒く腫れた肌を冷やしてやりながら謝った。
「済まなかった。二度とこんなことはしない」
「あんまりです、何か気に入らない事でもいたしましたか」
「お前たちのいう通りだった。ティラーノはウシャスを口説いていた。すげなくあしらわれていたが。この上はあいつを蛮族戦線送りにしてやる」
「まあ、それはいけませぬ。彼は貴方様のたった一人の弟ではありませんか。妾はそのような事を望んでいたのではありませぬ」
「おお、可愛い人よ。そなたは優しいな。だがそなたを傷つけてしまったのも全ては横恋慕をしたあやつのせい。そなたが心を痛める必要はない」