第45話 湖の姫と妖精王子-五里霧中-
「お前、あの時の傭兵か」
「あんただったのか」
サンクト・アナンでフアンとアルシッドはお互い夏にグランドリー領で遭遇した傭兵だと気が付いた。城内では時間が無かったので話はしなかったが郊外に脱出して野営する際に話をしてすれ違いがあったとようやく理解したのだった。
「っつーと何だ。俺達無駄な旅をしていたのか」
アルシッドはシャールミンに呆れた眼差しを向けた。
「あの時はろくに顔を見る事も出来なかったんだから仕方ないだろ!」
ふん、とシャールミンはむくれた。
「私もマクシミリアン様だと気が付きませんでしたしね。あの時は体もぼろぼろでしたし」
「その割によく今回はすぐに分かったな」
マリアが取りなし、フアンが入城した時の情熱的な抱擁を思い出して意外に思う。
「湖の女神のお導きだ。皆の中心にいたし」
シャールミンはそういいつつマリアを抱き寄せて髪に手櫛を通した。
「あ、あの?」
マリアは頬を紅潮させ、されるがままでシャールミンを見つめた。
「あ、悪い。その髪、マーシャ殿の方じゃないよなって確認しただけだ」
「そうですよね。紛らわしいですよね。小さい時はお互いかつらを被ると侍女も騙せたほどでしたから」
「そりゃ、凄いな」
二人ともお転婆だったようだが、子供の頃の話だ。
「ところでマクシミリアン様?今後もマクシミリアン様とお呼びして構いませんか?それとも改名されたのでしたらシャールミン様とお呼びした方が?」
「ああ、知り合いの魔術師に暗示をかけて貰ったんだが、解いてもらうのを忘れていてね。フランデアンを抜け出した時の偽名だから君はマクシミリアンでいいよ」
「そうなんですね、よかった」
二人は今にも口づけを交わしそうな雰囲気だったが周囲にはフアンやアルトゥールがいる。マリアは残念そうに少し距離を取った。
「済みませんが殿下。出来ればそのままシャールミン、と改名して頂けませんか?」
「何故だ、アルトゥール。この名前は一時の方便だ。リーアンの連中やサンクト・アナンの前でフランデアン王と宣言してしまったとはいえ気にするほどの問題でもないだろう」
「いえ、そういう事ではなく『マクシミリアン』という名は不吉だと、呪いをかけられていると教えて頂いたのです」
「誰にだ?」
「ディアーネ様です。以前父も世話になった祈祷師の」
「ああ、あの方ですか」
マリアも覚えがあった。
アルトゥールの話は続く。
「父からも昔聞いた事があります。妖精の民から妻を迎えた何百年も前の王に不幸があったと。兄君達も呪いがかけられていたのではないかと」
早逝した二人の王子の死因は呪いでは無かったのか、とアルトゥールは今更ながら思いシャールミンを心配した。
「私はこの通り無事だ」
「いえ、7つの時呪われてマリア様に助けて頂いたでしょう?」
「あ、そうだった」
シャールミンはそういえば自分は意識は無かったがもう彼女と口づけを交わしていた事を思い出して気恥ずかしくなった。
「また何かのきっかけで呪いが表に現れないとも限りません。この際名前を変えておいた方がいいでしょう」
「名前を変える事に意味があるのか?」
「私は呪術の専門家ではありませんが・・・マルガレーテ・クレメンティーネ様が亡くなりました。術者が死ぬとかえって呪いが強まると聞いた事もあります」
「あの方が私を呪っていたと?」
「わかりませんが、少なくともマルレーネ様を憎んでいたのは事実です。そして少なくとも彼女は『シャールミン』の名は知りません」
アルシッドとフアンは湿った夜霧の中でどうにか火を熾して食事の準備をしていた。陽があるうちにすべきだったが、どうしても急ぐ必要があったので日が暮れてからの事となった。幸い地元のマリアが敵兵を避けて野営に向いた場所に誘導した。
アルシッド達が食事の準備を終えるまで長い時間考えて、マクシミリアンは答えた。
「抵抗はあるが仕方ない。母上を嘆かせることになるな」
「マルレーネ様のお守りでも呪いを防ぐ事は出来なかったのです。命がかかっているのであればご納得頂けるでしょう」
アルトゥールにはもう一つ秘密があった。
ディアーネは遥か昔、マルレーネに薬を与えた際その薬が何から出来ているがエルマンには詳細を語らなかった。
動物の胆が素材だという事まではエルマンは聞いたが、それ以上は不気味なので知りたくもないと彼も拒んだ。とにかく王妃が衰弱から回復すれば手段は何でも良かった。
アルトゥールはシャールミンが7つの時に祈祷師に誓約して真実を聞いた。
薬はマルレーネの昔の侍女が流産をして失った赤子の心臓だった。
隠れて子供を産もうとした侍女は赤子を失って気が狂い、エルマンに保護された。
マルレーネは赤子の心臓で生き延び、マクシミリアンが生まれた。
そして、あの狂った侍女も死んでいる。