第44話 湖の姫と妖精王子-出撃-
マリアは自室に戻って一息ついた。
「あれで良いの?マリア」
「ええ、ケンプテン伯らと決めたでしょう。こうするって。お姉様は反対ですか?」
マーシャはマリアの問にそうじゃないと苦笑した。
「あんまり兵士達が騒がしいから。敵兵に明日何かあるなって警戒されるわよ。ちょっと盛り上げ過ぎちゃったかな?」
ああ、とマリアは納得した。
「そうですね。でも城壁が破壊されて隅に追い詰められてから絶望して死んでいくより、明日勇気を持って戦い抜けるならそれでいいじゃないですか」
マーシャは肩を竦めた。
「負傷兵たちや使用人たちの移送はどうですか」
「つつがなくね。レベッカちゃんも逃がしたわよ。武術師範が才能があるって褒めてた。将来が楽しみね」
マリアは小舟で少しづつ非戦闘員を逃がしていた。
スパーニアに奪取された船がサンクト・アナンまで来るにはエンシエーレを経由する必要があり、当面湖上はまだ平穏だが大量輸送できるほどの船は残っていない。
「お姉様も一緒に逃げて下さいませんか?もうお姉様に代わって頂かなくても大丈夫です」
「貴女が一緒ならね」
湖上への脱出の勧めに対してマーシャの返答は決まっていた。
「出来ませんよ、ここまできて。明日は私も騎乗して外に出ます」
「・・・それはどうかな、救援が来るまで守備兵と残る事だって出来るでしょ?」
マーシャの籠城策にマリアは苦笑して応じる。
「間に合うとは思えません」
突破を試みる兵士達の何人が生き延びられるかわからないが、城に残って援護するケンプテン伯らは救援まで持たないだろう。突破の成功率を上げる為に、突撃を側面から援護する部隊も必要だった。彼らは突破に参加できないので城に残るしかない。
マリア達は朝の軍議の後、以前の暗殺者についてケンプテン伯から報告を受け、出撃する日を決めた。暗殺者について外部の者がいつ侵入したのか、怪しまれたのはまとまった数と共にやってきたシャルタハル男爵の部下だったが調査の結果、ル男爵が連れてきたのは身元が確かな精鋭ばかりで名簿と残っている者たちは一致していた。彼らの疑いは消えた。
いま城内にいるのは地元の兵士達の他に占領された他の地域から逃げてきて、仲間や家族の敵討ちがしたいと加わってきた者がいる。
暗殺者達はその義勇兵だった。
その兵士達の名簿に出身地も記載されていたが、ケンプテン伯は調査を進める中、暗殺者とたまたま話があったのか親しくなっていた兵士に尋問を行い、兵士が聞いた話と名簿の出身地域に食い違いを発見した。
名簿には記載されていないグランドリー男爵家出身の兵士がいたという。
マリアはその報告に美しい眉をしかめた。
この紛争の発端となった領地の手の者が暗殺者とは・・・、不審には思ったが今更それ以上は調査しようもなく打ち切ってケンプテン伯とシャルタハル男爵を呼び、今後の展望が絶望的であるという報告を受け、陥落して逃げ場が無くなる前に出撃したいという彼らの意向を許可した。
そしてマリアの演説となった。
◇◆◇
翌朝、意気軒高な城兵達は城門が開くのを今か今かと待ち構えていた。
城壁上の弩砲もわずかな銃兵も出し惜しみせず一斉射した後、騎士たちが先頭になって突撃する構えだ。サンクト・アナンの騎士に魔導騎士はいない。
重装騎兵としてリーアンの軽騎兵に彼らが対抗する。
朝日が昇る前から敵兵も出撃を察して待ち構えており緊張した面持ちでその時を待っている。両軍激突の時が迫る中、陽光と共に丘の上にリーアン上王の旗を掲げた一団が現れ宣告した。
「上意である。戦闘を止めよ!ベルタ王オスラフが王の名において命ずる。戦闘は中止せよ!全てのリーアン兵は本国に撤収する」
丘の上から全軍に響き渡るような大喝が発せられた。
別の若い声がさらに続く。
「フランデアン王シャールミンである。ウルゴンヌはマリアと共に私が預かる。ウルゴンヌは我が国の保護下にある。従わぬものはリーアン、フランデアンへの敵対行為と知れ」
宣言した一団は丘から降りてサンクト・アナンにゆっくりと近づいて来た。
自分達の王を確認したベルタ兵が割れて行きその道を開ける。
「シャールミン?誰?マリア知ってる?」
「さあ?マクシミリアン様の親族にそんな方いらしたかしら?」
マーシャの問いにマリアも首をひねってケンプテン伯らに心当たりはないか尋ねた。
オスラフとは途中で別れ、シャールミンとその護衛の魔導騎士達だけが城門まで来て開城を依頼してきた。どうするかケンプテン伯に問われたマリアもすぐ近くに敵兵はいない為、城門を少し開けて入れてやる。
入場してきたシャールミンはまっすぐマリアに近づいて来ていきなり抱きしめた。
護衛が止める暇も無かった。
「マリア、無事だったか。良かった。逢いたかった。ずっと探していた。スパーニアの王都まで行ったが君に逢えずどうなることかと心配していた。本当に良かった・・・」
彼は喜びのあまりすこし咽び泣いていた。
故郷を出発して半年以上が経ち、王の子として強がっていた少年も内心はずっと不安だった。ようやくその苦労は報われた。
「おぉう、情熱的~♪さすが婚約者」
マーシャの軽口もあり、なんとなくマリアも察した。
「あの、マクシミリアン様・・・でしょうか。改名されたのですか?」
「あ、うん。そんなようなものだ。とにかく無事でよかった」
ちょっと期待していた対面とほんの少しだけ外れていたが、マリアも気を取り直して抱擁し返した。
「いいの、マリア?とっちめてやるっていってなかった?」
「誰だ、そなたは。マリアと良く似ているが・・・うん?」
マーシャの無礼な物言いにシャールミンは邪魔するなといわんばかりに眉をしかめた。今日のマーシャはいざという時の身代わりになるべく金髪のかつらをつけていたのでマリアとほとんど見分けはつかなかった。
「ちょっとお姉様。今はそれはいいから。後でいいから!」
マリアの『お姉様』という言葉でシャールミンもあれが噂の異母姉かと察する。
同腹の姉は全員死亡している筈だった。
「ほんとにいいの?シャルタハル男爵がマクシミリアン様らしき男が公都で悪所にいりびたっているらしいと聞いて随分怒ってたじゃない」
げ・・・まさかと絶句したシャールミン。
本気でその話を信じていたわけでは無かったマリアもシャールミンが同様する様子から「え、本当に悪所に出入りしていたのですか」と疑い始めた。
「いや、違うんだ。マリア。君を裏切るような事は何一つしていない。神に誓って本当だ。公都では単にフランデアンのウルゴンヌ密偵網がありどうしてもそこに行かざるを得ず・・・」
「お、お待ちください殿下!」
国家機密をばらしてしまうシャールミンをアルトゥールが慌てて止める。
あ・・・と青ざめるシャールミンを見てシャルタハル男爵が助け舟を出した。
「ごほん、マリア様の夫となられる方ですからな。我らが王ともなるお方。私共への信頼から機密を打ち明けて下さったのでしょう。我らも信頼に答えねばなりませんな」
もっともらしい事をいってお茶を濁す。
「殿下方、お話は後で。リーアン陣地の様子がおかしい」
リーアン軍を監視していたケンプテン伯が急を告げた。
「どうしました?」
マリアが質問する。シャールミンはとりあえずここの主に任せたようだ。
「同士討ちが始まりました。どうやらネドラフはオスラフに従わないようです。今の所敵兵は混乱しています」
「そうか、そうなったか」
何も知らない兵士達は自分達の王をみて道を開けたが、少し離れた場所にいたネドラフが直接指揮を取って王に兵士達をけしかけていた。
「マクシミリアン様、何か思い当たる事が?」
マリアには状況が良く分かっていないが、シャールミンもゆっくりリーアン王宮での出来事を話している暇がない。省略して最低限の情勢を知らせた。
「フィアナ王の代理人は上王の最後の命令に従わずに王宮から逃げた。反逆する気らしい。ベルタ王はこちらに従ってここまで来たが、ベルタ王の子はフィアナ王と連んでいたということだ」
「どうしましょう?」
「オスラフを支援する、私が行く。すぐに出られる者だけついて来てくれ」
シャールミンがシャルタハル男爵の公都守備隊の精鋭とマリアの騎士達を率いて突撃した。準備万端で突撃の準備をしていたサンクト・アナン兵に比べ同士討ちが始まり、混乱していたベルタ勢は脆く、オスラフを救い出しす事に成功したが、彼はもう深い傷を負っていた。
ネドラフは援護に来ていたフィアナ王の軍勢と共に抵抗を続けた為、ケンプテン伯らも打って出た。
城兵らの方が数は少なかったが、リーアンの軍は混乱しているものが多く、騎兵の足は止まっており、彼らは不利を悟って撤退を開始した。
首脳陣も城兵たちもリーアン勢を追撃したかったが、まだフィアナ王の本隊がいる上、野戦で正面から戦うとリーアンが誇る有翼騎兵団は強く多大な犠牲が予想された為、サンクト・アナンの場内まで戻った。
「マクシミリアン様。これからどういたしましょうか」
包囲されていた時間が長く情勢を知らないマリアはシャールミンに判断を委ねる。
「フランデアンに帰還する」
彼はここでようやくまだ王位についていないことをマリアに教えてやった。
さきほどは少々嘘をついた。
「では、やはりツヴァイリングの当主と敵対する事になったというのは本当ですか」
「そうだ、だからツヴァイリングの山門からは帰国できない」
シャールミンは山門でギュイを呼び、一か八か説得する事も検討したが話がつかなかった場合、彼はそこで拘束されてしまう。相手の本拠地で危険な賭けを行うのは避ける事にした。
「では、どこからお戻りになるのですか?北はネドラフやフィアナ王の軍勢がいるでしょうし」
「神々の森を抜ける」
「あの魔獣の森をですか?」
「そうだ。私達なら抜けられる。神々のご加護とこの神獣の剣がある。建国王も自由に通り抜けられたと聞いている。ここは危険だ、マリアも一緒に来てくれ」
攻囲部隊は後退させただけで、あまり数を減らせていない。
神々の森を抜けるのと、孤立無援のこの城で救援を待つのはどちらが得策か、難しい判断だった。
「私は・・・駄目です。ここの城兵を見捨てて私だけ逃げるだなんて出来ません」
マリアは迷ってからシャールミンについていくことはできないと断った。
「僕だってここに君をおいて国へ帰っては王位につけない。誓いを破ることになる」
シャールミンは何とか説得しようとしたが、マリアは首を縦には降らなかった。
「頼む、僕は全てを捨ててここに来たんだ。君を連れ帰る事が出来ないなら全て無意味だ」
最悪玉座を捨ててマリアだけを連れて何処かに逃げて暮らす事も考えた。
強引に国境を越えてエルマンを死なせてしまった事はシャールミンにとって一生心に刺さる棘となるだろう。
彼の思いはわからなくとも、マーシャが横合いから口を挟んだ。
「行きなさいよ、マリア。貴女の義務はわたしが果たすから。援軍はどうしたって必要なのよ。城兵が大事なら助けを求めに行きなさい」
「でもお姉さま!」
「フランデアンの王様と婚約したのは貴女であってわたしじゃないんだから、貴女が行くのよ。敵も減ったし、当面持つでしょう。ね、ケンプテン伯」
「はい。食料の備蓄は十分にあります、お任せください。ベルタ王もいるのですし、敵もまとまりが悪いでしょう。マリア様、問答している余裕はありませんぞ、いつまた敵が戻ってくるかわかりませぬ。行ってください」
外の方が危険かもとかもろもろ言いたいことがあったマリアだったが、周囲とシャールミンに説得されてその日サンクト・アナンを脱出した。