第42話 湖の姫と妖精王子-ろくにんめ-
「ちょっとお姉様。あれはいったい何ですか」
「あれって?」
マリアは異母姉妹であるマーシャに抗議した。
マリアの母マルグリットの侍女がマーシャの母だが、二人の顔立ちは双子のようによく似ている。幼い頃は性格も近く活発でよく二人で入れ替えっこをして侍女達を困らせていた。マリアの方はベルク人らしく金髪の地毛だが、マーシャの方はかつらを取るとマリアと違って碧の黒髪が露わになる。
母達は通常なら女主人が侍女を恨んで激しい嫌がらせが起きるような関係だったが、公王と妃とその侍女は不思議と仲がよくその関係は続いた。
マルグリットが病死した際、マーシャの母は自分が主人の後釜を奪い、妃のような扱いを受ける事、そう詰られる事を恐れて父祖の出身地である島国へ身を隠した。
マーシャは自分も母に付いていきたかったが、自分を姉と慕うマリアがいかないよう必死に頼み込んだ。公王にも認知され、そのまま宮廷で暮らすことを許されマリアが城を与えられた際共にサンクト・アナン城に移り住む事を選びここに至る。
「わたし『あれ』じゃわかんないよ。マリア」
「だ、だからあれです。先ほどの城壁で皆の前であんなスカートたくし上げたりして・・・!」
自分の名代として出て行ったマーシャが恥ずかしい姿を晒したので後の評判を想ってマリアは頭を抱えていた。
「まあまあ、いいじゃない。兵士達の士気は上がったよ、ね?」
騎士達はうむうむと頷いている。
侮辱に対して逆に挑発して相手の神経を逆なでしてやったと。
「私も敵に屈さないお見事な振舞であったかと思います」
「シャルタハル男爵まで、もう」
「昔は姫君も随分お転婆だったではありませんか」
「私だけじゃありませんったら」
公都オルヴァンから公王の城代シャルタハル男爵が来ていたが、都が攻囲されて帰れなくなりそのまま滞在していた。弓聖と呼ばれている彼は公王からの信頼は厚かったが、政治方面は苦手としており、宰相や王妃派の官僚と折り合いが悪く公都の守備責任者を解任され、先を危ぶんだ部下たちと共に公都を脱出しフィリップの城へ向かうも敵軍に妨害され紆余曲折の末、サンクト・アナンに辿り着いた。
マーシャはマリアと同い年だったが、マリアは立場上マーシャが周囲から冷淡に扱われないよう殊更彼女を姉と呼んで敬った。公王が認知している子でもあった為、家臣たちもマーシャを公王の一族であるかのように遇している。
「でも後でマクシミリアン様が聞いたらなんておっしゃるか。ああ、恥ずかしい・・・」
「今はそんなこと心配している場合じゃないでしょ。生き延びなきゃ。会えるかどうかもわからない遠くにいる相手の事心配するよりさ」
マーシャがもっともらしい事をいって慰める。
「こほん、それがどうも近くまで来ている様子でして」
「え?フランデアンで幽閉されているんじゃないの?」
「どうも、密偵から公都でそれらしき姿を見かけたという情報があったのですが宰相閣下が馬鹿馬鹿しい、有り得ない事だと一笑に付してしまわれましてな」
公都の動きに詳しかったシャルタハル男爵がマリアに伝えてやったが、結局確定情報ではなかったし、今気にしても仕方ない情報でしかなかった。
「援軍を連れてきてないなら、いないも同然よ」
「そうですな」
「それで・・・グロリアお姉様の事は?」
マリアは控え目にどうなるのか家臣達に聞いた。
「他国に嫁いだ以上仕方ない事です。グロリア様の為にウルゴンヌが国益を損なう事があってはなりません。マリア様の安全が第一です。グロリア様の事はお忘れください」
サンクト・アナンの守備責任者ケンプテン伯がグロリア救助の為にリーアンと交渉はしないと宣言した。
マリアもそれ以上は問わず防備について尋ねた。
「リーアンの軍勢が相手であればいくらでも持たせる事は出来ます。彼らの主力は軽騎兵。平原での戦いは向こうに分がありますが、籠城していれば落ちません。食料は艦隊からも補給が入ります」
「でもエンシエーレは陥落したとか」
「・・・グロリア様を抑えられていては仕方ありません」
陥落時の詳細は不明だが、グロリアを使って城兵を油断させたか、脅迫したのか何にせよ元の主がやってきては仕方ないとケンプテン伯らは考えた。自分はこの城をその二の舞はさせない、とも。
グロリアは結局役に立たないと始末され城兵の復讐心を煽った。
公都の守備隊をシャルタハル男爵が連れてきてくれていたので士気も高く、ケンプテン伯は防備に絶対の自信があったが、包囲が長引き徐々に状況は悪化していった。
リーアン兵らは慣れないながらも後方から資材を調達し投石器を組み立てて城壁への攻撃を開始。魔術によって城壁は修復されていくが、無いものと思っていた大投石器による攻撃は城兵を不安にさせた。
リーアンの軍団も帝国を支援するうちに工兵が育っていたらしい。
ツヴァイリングの北にある火山から遥々飛んできた火山岩やどこかの石切り場から輸送してきて石弾は積み上げられ徐々に攻撃は激しくなってくる。
普段は前線に出ない魔術師達も籠城戦となれば話は別で必死に事前に集めておいた資材も利用し修復を図る。今の所魔術師の質ではウルゴンヌ側が圧倒的に上で、投石器の命中率も悪く城壁は崩壊せずなんとか持っている。
「大丈夫なのでしょうか。攻城塔まで来たら・・・」
「ご心配なく、それはありません。敵の魔術師ではこの地の水気を支配できず遠くに丘を作るのが精いっぱい。攻城塔など来てもすぐに泥沼にはまり込み身動きできなくなった所を叩き潰してやります」
マリアの心配をケンプテン伯は杞憂だと笑った。
「伯やシャルタハル男爵ならリーアンの軍勢なんか打って出て追い払えるのではありませんか?」
マーシャの方は強気で打って出てみてはどうかと尋ねた。
「我々は検討した結果、やりようによっては可能かもしれないと判断しました。ですがそれは選びません」
「何故でしょうか」
「まず、敵の主力が軽騎兵である以上追撃して決定的な打撃を与える事は出来ないでしょう。我々がここから遠く離れる事は出来ず勝っても戦力を消耗する事になります。次にエンシエーレが落ちた以上、いずれスパーニアとリーアンの軍勢がぶつかります。我々は連中が潰しあい消耗するのを待つべきだと」
「でも、その間に国民が」
マリアは民衆を心配した。
「マリア様がお気になさる問題では御座いません。今はフィリップ様を支援する為にもここからは動かず敵を引き付けておきましょう。いずれリーアン軍は対スパーニア戦に本腰を入れてここを諦めてエンシエーレに向かいます。そうすればシエムへの圧力が下がるでしょう」
だが数日後、フィリップの艦隊からの連絡が途絶える事になる。
最後にやってきた連絡船は艦隊がとうとうスパーニアの魔術師たちに捕捉され火球を浴びて撃沈されてしまった事を報告した。スパーニア軍は以前奪った船で湖上からもシエム城を包囲した。
そして、シエム城は新たに運ばれてきた攻城砲により城壁が崩壊し、城壁の裂け目に突入してきたスパーニア軍にフィリップ王子が自ら剣を抜いて立ち向かい、城と共に玉砕した。
マリアの父母兄弟はこれで全て死に絶えた。