第38話 妖精王子-ごにんめ-
シャールミンの旅は東から西へ、そしてまた舞い戻り北へと向かった。
マイヤーは年のせいか少々疲れて来た。
「しかし思ったより広い国じゃな。人口60万くらいじゃなかったかのう」
「それは半世紀前にまだスパーニアとリーアンが争っていたころだろう。帝国の保護下で商業が発展して、各国の商人も集まって来ているし、少なくとも倍くらい人口は増えていると思う。市民登録しているものは少ないだろうが」
マイヤーの疑問にシャールミンは答えた。
「うむ!吾輩みたいなものも結構多いからな!!」
元皇族ギルバート氏が何やらご機嫌で言い添える。
シャールミンはアスパシアに頼まれてギルバートとオダール男爵令嬢も一行に加わった。ギルバートはオダール男爵家に仕えていた使用人も呼び寄せて少しは貴族の一行らしくなった。
一行は戦乱を避けてリーアンを経由してアル・アシオン辺境伯の元へ向かっている。オダール男爵の娘フラムはいかにも薄幸の佳人といった様子で、もう人生を諦めたようだったがギルバートが必死に励ましていた。
もし公都が落ちれば彼女はボルティカーレ公に処刑されるだろうし、落ちなくても城代の判断は死刑だったが、ギルバートが身柄を預かる事で保護観察処分となり実質ギルバートの資産となった。ウルゴンヌ側はこんな事件に関わっている余裕がないのでていよく厄介払いされた形だ。
要所をスパーニア兵が抑えている為ギルバートはヴェッカーハーフェンに戻らず帝国勢力圏の辺境伯領へ向かうと決め、アスパシアはそれを支援した。
マリアの元へ急ぐシャールミンといえど、この哀れな女性を見捨てる事もできずアスパシアの頼みを聞いて旅に加えた。義憤から彼女を助けたギルバートだったが、道中なんとか気を紛らわそうと話しかけるうち本気で惚れてしまったらしい。
いずれ彼女の正当な領地を取り戻すとまでいって励ましている。
マイヤーは使用人としてやってきたマリーナに彼らを助けてやるように言い含めた。両者共に貴族の生まれで生活力に欠けている。
「マリーナ、フラム・オダールの事をよくよく頼んだぞ」
「わかってますよ。元皇族の方とうまくいけば私も・・・」
マリーナにあまり忠誠心は期待できなかったが、自分の為にも二人をよく補佐しそうだった。流刑といってもギルバートには年金が出されていて生活には苦労しない。
◇◆◇
北上する一行はマリアの居城サンクト・アナンまで近づいた。
シャールミン達が辿り着いたとき、リーアンの軍勢はサンクト・アナンを既に包囲していたので旅人はそれを避けて間道を行かねばならなかった。
リーアン勢は開城を要求していたが、サンクト・アナンは頑として拒んでいた。
今の所サンクト・アナンの守りは固くリーアン勢も攻めあぐんでいる。
「よく戦うな。ほとんどの兵士にとって戦いは初めてだろうに」
「建国は半世紀前、その後は小競り合いばかりなのにな」
「ここまで抵抗を続けたんじゃから、最後まで戦い続けそうじゃの」
シャールミンとマイヤーはいったん仲間と分かれて二人だけでサンクト・アナンを攻囲するリーアン軍に忍び込んだ。とてもギルバート達を連れては偵察に来れない為、アルトゥール達と彼らは離れて待機していた。
シャールミンのサンクト・アナンへの偵察行にはアル・アシオン辺境伯領に早く辿り着きたいギルバートは難色を示したが、彼らだけでは危険な旅になる為、仕方なく同意した。
サンクト・アナンは北の守りとして湖に面した城だ。
もともと騎兵戦を主体とする対リーアン戦を考慮した設計であり、リーアン弓騎兵が持つ合成弓はかなりの長射程だったが、城壁上には矢避けが設置されていて射撃戦ではサンクト・アナンの戦力を減らせなかった。
周囲に攻城兵器を設置できるような場所は無く、予め周辺の木々は伐採され、堀は深く、水路を張り巡らされ、地面はぬかるんでおり攻めるに難しい。
シャールミンもマイヤーの教えで偽装魔術にかなり熟達してきていてその姿をリーアン兵に変じている。広く展開しているリーアン勢は統率も緩んで来てまばらに展開しもともと魔術に疎い国情もあり、彼らに気づかなかった。
丘の上から様子を見ると既に戦闘が停滞し、実戦が行われていなくてもサンクト・アナン兵の固守の意志を彼らは感じた。
「まあ、エンシエーレの城兵は虐殺されたようじゃから。開城するわけないわな」
「何故そんな馬鹿な事をしたんだろう・・・」
「アスパシア嬢から聞いた話から察するに小王二人が功を競っておるんじゃろうな」
偉そうに予想したマイヤーだったが、シャールミンが魔力を通して視力を強化してみるとどうも違うようだ。城門の前では嫁いだ筈のグロリアが磔にされ猿轡をかまされており、リーアンの代表者が交渉を要求すると城壁上に錫杖を持った貴族の女性城主が出てきた。
「あれがマリア殿か」
「おそらく」
二人は不自然にならないように可能な限り近づいてみたが、さすがに城壁付近までは無理だった。
「ベルタの王オスラフの名代としてネドラフがサンクト・アナンの城主に要求する。即時城を無条件で開城せよ。さもなくば我が姉を殺害した罪、城主マリアとグロリアに支払ってもらう」
ネドラフと名乗った男が、磔にされたグロリアを指して要求を告げた。
城壁上では最初からどうするか決めていたのだろう、協議することもなくマリアはその場で返答した。
その声は控えている魔術師によって拡声され包囲中のリーアン勢の陣地隅々にまでよく聞こえた。
「断る」
彼女はただ一言そういった。
言葉が足りないと言われたのか、側近に先を促されさらに続けた。
「公后の事は私達の関知するところではありません。交渉ならばオルヴァンに行きなさい」
「グロリアを見捨てるというのか!」
「何故、ベルタ王の娘の事でフィアナに嫁いだグロリアお姉様がそのような扱いを受けねばならないのか理解に苦しみます。それが貴人に対する扱いですか、蛮族どもめ」
マリアは疑問を口にし、さらにリーアン勢を非難した。
その物言いにリーアンの代表者も反駁する。
「言葉に気をつけよ!蛮族扱いは許さんぞ。ベルタ王はフィアナの王、そして上王に忠誠を示さねばならぬ。女のお前では話にならぬ。サンクト・アナンには男がいないのか!?」
ネドラフはマリアを責任者として認めなかった。
女性君主を認めぬリーアンは兵士達も声を揃えてウルゴンヌを嘲笑った。
主への侮辱に対して騎士達が城壁上から身を乗り出し盾に剣を打ち付けて大きな音を出して抗議の姿勢を示した。
言葉にはしない。彼らの出る幕では無かったから。
「なんじゃ、あれは?」
「リーアンでは女の立場がかなり低いと聞いたことがある。我々も基本的には男子継承制だが、男子がいなければ例外的に女性君主もある。だが、リーアンは選挙の時点で女性に被選挙権がない。北方は母系社会の部族が結構あるし価値観の違いから争いになるので緩衝地帯としてアル・アシオン辺境伯領を打ち立てたと聞いたこともある」
「ほう、それは初耳じゃ」
リーアンの小王達には上王以外にも上下関係があるようでどうもグロリアは嫁ぎ先
の王から今回の戦いに利用されてしまったようだ。
そして、交渉はまだ続いていた。
「シエム城も早晩スパーニアに落とされる。スパーニアで既に王族は何人殺された?公王一家の生き残りはもはやここにいる汝のみとなるであろう。降伏し城門を開け汝はリーアンに来るがよい」
「断るといいました。お前たち蛮族の言葉を信じるものですか。エンシエーレの城兵はどうなりました?」
「不幸な行き違いがあったかもしれないが、即時開城し我らに協力すればそのようなことはない」
「行き違いとは何か、グロリアお姉さまから何故お言葉を頂けないのか。説明してみなさい」
ネドラフの弁はエンシエーレ城陥落について不幸な行き違いだと言ったが、それは苦しいものだった。
「文化の違いかなんか知らんが、あの扱いではちょっと降伏はできんのう・・・」
グロリアに口を聞かれては困るからあんな惨い扱いをしているのだろうと誰もが思う。
「もともとマリアというかウルゴンヌ公王家はベルク系スパーニア人の家系だから、そもそも仲が悪い。公王もやたらと婚姻関係を結び過ぎたのかもしれない」
「扱いの悪さは文化の違い以前の問題もあるというわけかの」
城門前の問答はまだ続いている。
「城兵や、領民の事を考え降伏せよ」
「スパーニアと共闘して欲しいのか、我々を降伏させて併合したいのか、意見をまとめてから来なさい」
マリアはリーアンの要求が何なのか分らないと皮肉気にネドラフをあしらった。
「グロリアがどうなってもいいのか!」
出直せと言われて、荒々しくネドラフが脅しを口にした。
「殺すというの?やはりそれがリーアンの本性なのね。勝手になさい。そして神の怒りが貴方達に落ちますように」
マリアは馬鹿にするかのように仰々しく神に祈った。
「残酷なスパーニア人に囲まれたフィリップはどうせ死ぬ!一族が断絶してもいいのか!」
「まだ私がいます。お前たち外道が何人私の家族を殺そうとここからいくらでも新しくひりだしてみせるわ」
あっはっは、と笑いマリアはスカートをヒラヒラめくってネドラフを挑発した。
傍で控える騎士達はちょっと目線に困っている。
マイヤーは露わになるマリアの太ももに感心してシャールミンに囁く。
「おおぅ、剛毅じゃのう。お主、あれを嫁にするのか、頑張れよ」
「妙な励ましをするな!」
劣勢ながらリーアン相手に怖じ気づいたりしないマリアをマイヤーは気に入ったようだった。交渉決裂と見たネドラフが何やら側近に指図すると、途端マリアの後ろからそろそろと忍び寄る影が見えた。
「危ない!」
シャールミンは声が届かないのは分かっていたが、小さく警告を口にした。
もちろんマリアには聞こえていなかったが、錫杖で振り向かないまま忍び寄る暗殺者の腹を突き、それから振り返って杖の先の宝玉から電撃の魔術を放ち、暗殺者を倒した。
「ほう電撃とは珍しい。便利だが適正のあるものは少ないというに」
マイヤーが珍しい魔術を見てシャールミンに解説してやった。
主要な魔術の属性から外れる雷術は扱える者が極端に少なく、扱えてもせいぜい静電気くらいの効果しか出ない。攻撃に使えるほどとなると、雷獣の触媒を使う必要があり、彼女の杖の宝玉は雷獣の瞳を加工したものらしかった。
他にも数名暗殺者がいたが、それらは騎士達が間に合って倒すことに成功した。
だが、失敗したことを悟ったネドラフは最後の脅しに、と兵士に命令を出して、グロリアは城兵の見守る中、手や首を浅く切られ血を流して少しづつ弱っていった。
猿轡をかまされたグロリアからはくぐもった呻き声が漏れ、彼女に目からは涙が溢れ、それを見た胸壁のウルゴンヌ側の騎士の一人が身を乗り出すが傍の者たちが止める。
挑発だ。
救出の為に城兵が打って出てくることをネドラフは期待したが、それもない。
ネドラフは失望し、いったん後方に下がり攻囲は続いた。彼らも力攻めの愚は理解しているので持久戦の構えだ。
マイヤーはマリアの元へ行きたがるシャールミンを無理やり攻囲陣地の外へ引っ張りだした。シャールミンは後一歩でマリアを救い出せる、と抵抗したがマイヤーの説得に折れた。
「マイヤー、もう目前なんだぞ?」
「大丈夫、大丈夫じゃ。連中にはスパーニアのような攻城兵器は無い。もともと遊牧民主体の国じゃろ?数か月、いや船の往来もあるし士気さえ持てば数年は籠城できる、平気じゃ。公都の市民達は食料が乏しくなってきておったのかかなり栄養不足になってきておるものが増えとったが、サンクト・アナンの城兵達は元気そうだったではないか」
リーアン勢はまだ投石器の組み立ても始まっていなかった。
「じゃあ、どうするっていうんだ。ネドラフとやらに城主と城兵の助命を依頼するのか?」
「落ち着け。小王の名代と話しても無駄じゃろう。上王とやらに直接頼んだ方がよかろう。帝国もスパーニアもフランデアンもこんな状況で、アル・アシオン辺境伯もマッサリアへの援軍に出向いて不在となっては安定した王権を持っているものに依頼するしかあるまい。誰か交渉のつなぎになってくれそうな人物はいないのか?」
「一応ひとりリーアンの小王とは交流がある」
「では行ってみよう。最悪儂も帝国内の縁がある人間を使って上王に頼んでみてもよい」
「あんたがか・・・?見守るくらいのつもりでついてきたのではなかったのか?」
シャールミンは意外だった。
そろそろ長い付き合いになってきて初対面の印象の悪さは大分薄れてきていたが、
面白がってついてきてるだけのように見えていたから。
当初の話では見届けるだけだった筈だが、いつの間にか旅に大分介入するようになっていた。
「別にお主やマリア殿の為ではない。勘違いするな。今は人間同士で争うような情勢ではないからじゃ」
マイヤーはあくまでも蛮族の大侵攻の状況を鑑みて帝国の為に動くだけじゃと説明した。
彼らが去って後、翌日、日が昇ると城兵をつり出す為の見世物となっていたグロリアの胸には矢が突き刺さっていて、彼女は亡くなっていた。
幼い日、マクシミリアンに妹の事を託した姫はあの時既に自分の将来を悲観していた。そしてやはり、無残な最期を遂げた。