第31話 湖の姫-帰還-
「良く戻ったマリア。お前の事を諦めていた私を許してくれ」
「とんでもありません、お兄様。私の事でご面倒をおかけしたのではありませんか?」
マリアは長男フィリップが籠るシエナ城までたどり着いていた。
彼女は己の目でリッセント城陥落を確認した後、リッセント湖からカンテラを使った発光信号で河川艦隊を呼んだ。
ウルゴンヌ公国は代表的な湖がある。
シエム、リッセント、エトン、エンシエーレ、サンクト・アナンの五つだ。河と運河によって五つの湖は繋がっており、それらを荒らす湖賊に対抗する為、公王は防衛艦隊を配備し今は長男フィリップが受け継いでいた。
艦隊の構成は基本的には運河の通航も可能な小型艦ばかりだが、商人達の援助で払い下げられた商船に水兵を乗せて火矢の対策を施し、一部の船は弩砲を搭載していた。
大砲まで搭載した帝国海軍の艦隊には比ぶべくもなかったが、他国の侵略部隊は当然艦隊など有してはいないのでフィリップにはその優位を最大限に生かした。この艦隊は五つの湖を自由に行き来し侵略軍の後方を脅かした。神出鬼没に後方を脅かす軍隊の上陸は彼らを悩ませ行軍を遅らせるに十分だった。
突進公カールは武断派の王ではあったが、東方の中原諸国と北方諸国、自由都市、そして大口顧客の辺境伯領を結ぶ経済的要衝にある自国の強みを理解し、すべての湖を運河で結んだ。
さらに公都、自由都市ヴェッカーハーフェンまで工事をする計画を遂行中だったが、完成までまだ二十年は有し、自力ではとても工事費用を捻出する事は出来なかった。
完成すれば沿岸の自由都市連盟からアル・アシオン辺境伯まで大規模な輸送路が完成し、ウルゴンヌ公国は辺境伯という強力な後ろ盾を得る。
帝国最強最大の軍事力を持つ辺境伯はウルゴンヌ公国を脅かすものを対蛮族戦線への妨害行為、反帝国的行為だと非難し徹底的に叩き潰しに入るだろう。
その筈だった。
「マリアはこのまま艦隊とサンクト・アナンまで戻れ。城兵達が心配している。城代のケンプテン伯からも度々、情勢を問う使者が来ている」
「はい、伯爵には大分苦労をかけているでしょうからすぐに戻ります。戦況はいかがでしょうか」
「問題ない。ここは攻囲されているが、連中に艦隊は無い、物資の補給がある限りこの城が落城する事は無い。多少射石砲で城壁は崩されたが壕は深いし、敵が多少埋め立ててもすぐに水門を開いて水を流し込んでいるからな、城壁の修復は間に合う」
シエム城を囲むボルティカーレ公の部隊はフィリップから手痛い反撃を受けていた。グランマース伯と同様、人工的な運河と自然の川を巧妙に支配したウルゴンヌの兵に手を焼き攻めあぐねている。
加えて河川艦隊が度々後方に上陸しては水兵を派遣して補給線を脅かし、ボルティカーレ公は兵力を分散せざるを得ず、これまで数的優位を生かせていない。
「でも守っているだけでは、その・・・」
「ああ、そうだな。ひとまず増援が必要だ。義母上が攻囲される前にこちらに来てリーアンに援軍を求める事にした。いくらかリーアンに報酬を約束せざるを得ないが心配は勝ってからにしよう」
「はい」
「落ち着いたらお前にもフランデアンに文を書いてほしい。婚約者からの特使といえば多少融通は利くかもしれない」
「では、本当にフランデアンは国境を閉ざしてしまっているのですか?」
マリアはまさかと思っていた事が本当だと知って衝撃を受けた。
「勘違いするな。フランデアンは国境を閉ざしたがマクシミリアン殿の意思ではない。どうやらお家騒動で幽閉されてしまったらしい。今でもお前の事を想っていてくれている筈だ。お前が手紙を書いてやれば王子派の貴族が勢いづくかもしれない」
「・・・あぁ、良かった。私はマクシミリアン様を信じてもよいのですね」
「うむ、こうなった上はフランデアンとリーアンから援軍が来ない限り勝ち目はない。ヴェッカーハーフェンの事は聞いたか?」
「いえ、何かありましたか?」
マリアは幽閉され情報から疎かったのとモーゼリンクスの魔術で記憶が曖昧だ。何とか記憶をたどってみたが、自由都市の事を聞いた覚えは無かった。
「爆発事件が起きて多数の死者が出た。傭兵を発注したが、どうやら来援は望めない。ここまでされて帝国が介入して来ないのも解せないが、あてにしない方が良さそうだ」
「帝国は今それどころではありません。北方圏が西部地域まで陥落してしまって大軍が孤立していて救援の為に50以上の軍団を招集しているのだとか」
「50以上だと!?ほとんど出撃可能な全軍団では無いか。では東方の軍団は・・・」
「本土でも新規に軍団を編成始めたそうですから、全軍団という事は無いでしょうけれど。東方は比較的平穏な地域ですから相当数の軍団が招集されているかと思います。指揮はアル・アシオン辺境伯が取るそうです」
マリアはスパーニアの王宮で知った情報をすべてフィリップに伝え、お互いに情報交換をした。
「・・・すまないがやはりどうしてもフランデアンの助けがいる。お前には何としてもフランデアンから援軍を取り付けてほしい。義母上からリーアンの援軍を領内に招き入れる許可が欲しいと頼まれ、仕方なく許可を出したがリーアンは過去スパーニアと争っていたし、我が国にある連中の旧領回復の為に度々こちらにも紛争を起こしてきた。領土的野心を持たないのはフランデアンだけだ」
「グロリアお姉さまからは何と?」
リーアンに嫁いでいる次女の事をマリアは尋ねた。
「グロリアからもフィアナの小王の軍を領内に入れる許可が欲しいと言ってきた。ひとまずあいつが住んでいたエンシエーレ城までは許可を出した。エンシエーレ、シエム、サンクト・アナン、オルヴァンで防衛線を張る」
「反撃には出ないのですか?」
「反攻に出るのはまだ早い。当面は艦隊の優位を生かして後方連絡線に打撃を与える」
一時的に情勢が有利になっても総兵力では遥かに劣る。打って出た時に、会戦で敗北すれば再起不能になってしまう。
シュテファンが死んだことで公妃のリーアン派勢力は勢いを失い、フィリップの次期王位継承路線は盤石だ。・・・国が滅びなければ。
「フアン様はどうなさいますか?」
「こんな所で降ろされても困るぞ」
安全な所まで連れていってやる約束でここまで来たフアンだが、さすがに攻囲中の城で別れてもどうしようもない。彼にはフィリップの為に戦ってやる義理はない。
「妹をここまで連れてきてくれて感謝する。褒美は十分支払うから、サンクト・アナンまで護衛を頼む。できればもうしばらく護ってやってくれ」
フィリップは最初名のある騎士かと思って遇したが、ただの傭兵と知って多少態度は変わった。それでも、王位継承者としては紳士的に礼を言って後事を頼んだ。
◇◆◇
スパーニア軍は数的有利を生かしてリッセントを落とした後はフィリップの籠るシエムとエトン城に軍を分散して進めた。
長女マルガレーテが住んでいたエトンは既に主を変えているが、やはり主が変わり、公王も死んだ事で強力な指導者がいない為、スパーニアに攻囲されるとあっさり降伏してしまった。
艦隊の一部がこれでスパーニアに渡ってしまい、今の所弩砲まで搭載した主力艦は全てフィリップの指揮下にあるが、敵に多少なりとも水軍が出来た事はウルゴンヌにとっては痛手で、湖上の圧倒的優位を少々損ねる事になった。
マリアはフィリップの艦隊にサンクト・アナンまで連れて行ってもらいようやく自分の城に帰還した。
途中、誰もいない船室で彼女は一人思う。
仕方ない事とはいえフィリップも自身の城と部下、国が最優先でマリアの事は諦めて攻囲するスパーニアがマリアを人質としてどんな交換条件を持ってきても彼は国土を売り渡すような事はしなかった。
自分も兄も家族の情より国を優先した、・・・それはいいが、結局こうも国が荒れ果ててしまうなら随行員達を見捨てなくても結果は同じだったのではないか、マリアはようやく一人きりになった途端、埒もない事を考え後悔からとうとう涙を流し始めてしまった。
帰還の際、サンクト・アナンから停船信号が出た為、艦隊司令が待機を命じると小舟がやってきた。使者到着がマリアに知らされ、慌てて涙を拭いそちらに乗り換えて湖側の城門となっている水門を開いてもらい入城する。
迎えは見覚えのある顔ばかりで、ようやく安心して一息ついた。
サンクト・アナンには十分な艦隊戦力がない為、周囲の湖底に杭を打ち込んでおり水上からの接近を警戒していた。城門には留守を任せていたケンプテン伯が自らマリアを出迎えて帰還を喜んだ。
上陸するマリアに伯自ら手を貸して、騎士達も集まり、膝をついた。
平服する彼らにマリアも功をねぎらった。
「厳重ですね。水上からの攻撃にも警戒を?」
「場合によってはフィリップ殿下とも一戦交える覚悟でしたゆえ」
彼らが仕えるのは主たるマリア。
たとえフィリップが国王になったとしてもマリアの意に反して城を他国に差し出すようなら、徹底抗戦する覚悟だった。
「私は良い臣下を持って幸せです。伯爵」
マリアは随行員が皆死んでしまった事を留守居役達に詫びた。
中には彼らの親族もいた。
「無念ですが、我らの敵はスパーニア。マリア様がお気に病む必要はありません。もしマリア様が脅しに屈していれば、随行員では無く我らが死ぬ結果となっていたでしょう」
マリアが彼らの赦しに内心で胸をなでおろした。
気が抜けた彼女はとうとう体を蝕んでいた熱に耐えられなくなって病床に伏し自分の影武者替わりの異母姉マーシャの世話になるのだった。