第28話 湖の姫-最後の侍女-
「何から何まで有難うございました」
マリアの侍女クララは何度も頭を下げた。
マリアが塔から身投げした時、クララはいち早く混乱から抜け出して愛人関係にあったフアンに王宮を連れ出してもらい、湖に浮かぶマリアを引き上げたところでミリアンに発見された。
試みに助けて貰えないかクララは頼んでみたら「いいよ」とあっさり返事された。
郊外にあったミリアンの私邸兼研究所に案内されて一通り手当を受けた後、マリアが動けるようになると荷馬車を借りてウルゴンヌへの帰国の道を探すことにしたのだった。
「ここにいれば誰も手出しは出来ないってのに、わざわざ危険な道を選ぶのかい?」
「はい、ミリアン様。モーゼリンクスは私の心を折るために嘘を吹き込みました。この目で自分の国を見なければ何も信じられません」
マリアは馬車の中で毛布に包まれて横になっていたが、身を起こして断固帰国すると宣言した。
「どうしてもってなら仕方ない。イーネフィールの通行手形をやるからそれで戻るといい。スパーニア国内はもちろん、ウルゴンヌにいるイルラータ公の部下も手出しは出来ないよ」
「有難うございます、ミリアン様。でも、どうしてそこまで?貴女様にとって危険な行為では?」
「同じ名前の誼かねえ」
「同じ名前?」
「あたしの名前は大昔の読み方で今風にいうとマリアだからね」
魔女は照れくさそうに笑った。モーゼリンクスとは同郷らしいが随分とマリアに対する態度は違った。ミリアンの方は王家に忠実ではないらしい。
「貴方にご迷惑がかからないと良いのですが」
「はっ。誰もあんたをどうしろ、なんてあたしに命令出してないから誰にも逆らってないよ、あたしゃあね。罰を受ける謂れはない。・・・それにしてもまだ濁声が酷いね。帰り道に毎日朝晩薬湯を飲むんだよ」
はすっぱな魔女だが、口調に反して随分優しい性格のようで、次々薬を出してくれた。国王に代わってティラーノと私兵が勝手にやっていた事ばかりで、公にマリアを虐待しろだの捕らえろだのと命令があったわけではない。
ミリアンは誰に対しても口が悪かったし、まだ国王でもないティラーノはイーネフィール家の人間に手出し出来ない。
モーゼリンクスは協力してやっていたようだが、ミリアンは同僚として何か頼まれたわけではなかった、止めもしなかったが。
早朝に、隻眼の傭兵フアンが馬に鞭を当てて出発した。
「じゃあ、行くぞ」
「はい」
彼もクララにつきあってやった結果、だんだん雇い主にいえない事が増えてしまったし、雇い主はどうも将来性が無いように思えたので一方的に契約を打ち切る事にした。騎士にしてやるといわれていたが、主君にしたい男では無かった。
いっぽうマリアに関しては家に返してやるだけで莫大な報酬が約束されているし、いい女もできてスパーニアの大貴族から通行証を得てコネもできた。フアンとしてはここらでスパーニアを去って遠い異国でまた用心棒でもするかと考え、その場合クララはついてこないだろうからマリアを家に帰すまでの短い付き合いだ。
まだ明るくなりきっていない中に出発したが魔女の家を出てすぐの小道で待ち伏せをしている男がいた。槍を肩にこんこんと当てて暇そうに待っていたようだ。
「おっと、お待ちしていましたよ」
「あなた、クラントラン隊長!?今まで何をやってたんですか!?」
クララは憎し気な目で見据え、馬車を降りて詰問した。
マリアは荷台で横になっていたが、その声で身を起こした。
「クララ、隊長は生きていたの?」
「ええ、皆を殺したティラーノに媚を売って生き延びていました、姫様を説得するって」
マリアからすると合流する為に待っていたのかと思ったが、違ったようだ。
「皆を殺したのは姫様だろう、クララ」
生き延びるためだとクラントランは弁解するが悪びれてもいない。
「あいつはシュテファン様まで殺したじゃない!あんな残酷な狂人と取引なんか出来るわけない!!」
マリアとティラーノが何らかの取引をしたとしても、所詮その場限りの口約束だろうと考えられた。将来は口実をつくって併合され、併合に反対するものと従属しようとするものに別れて身内で殺しあう未来が待っているだけ。
「たとえそうでも皆を見捨てたのは姫様だ。私がティラーノに取り入ったって構わないじゃないか、どうせ捨てられた命だ。次はお前が捨てられる番かも知れないぞ、クララ」
「それが運命なら私は覚悟出来ています。お仕えするために自分の意思で実家から出てきたのよ」
クララの家も有力貴族だったが公王の方針で爵位は名誉称号に過ぎず、土地は取り上げられた。公王一家に仕えたがるものは少なかったが、彼女は自家と自分のために仕事を選んだ。
「お家の為か、ご立派だ。平民の私には理解できないな」
そういってクラントランは無造作に槍をクララに突き刺した。
クララは自分の腹から槍を伝って流れ出る血を見、クラントランを信じられないような顔で見てから血を吐き、その槍が抜かれると彼女は何も言わずに倒れた。
馬車から身を乗り出して見ていたマリアがかすれた悲鳴を上げる。
「やったな、お前」
御者席から他人事のように見ていたフアンが降りてクララに歩み寄り脈をとった。
「お前、ティラーノが暴走する前から媚を売ってたじゃないか。自分の命が惜しくて取り入った訳じゃないだろ。むしろお前が仲間を使って脅すように勧めたんじゃないのか?」
「・・・おいおいフアン、あんたティラーノ様に仕える傭兵だろ。あんたの命令違反は取りなしておくからさ。一緒に連れ帰ろうぜ。うまく橋渡し出来れば俺はティラーノ様からウルゴンヌで領地を貰って貴族になる約束をしてるんだ」
「雑兵どもには何か命令してたが俺は護衛を任されてただけだ。関係ないね。職場はちょいと放棄してるがね。あいつに仕えていたのは確かだがあいつに雇われていたわけじゃない」
フアンは嘯いた。
「でもさ気を悪くすると思うんだよ。こんなことしてるって知ったら。あいつの怖さはあんたもよく知っ・・・」
「ああ、もういい」
フアンは抜き打ちでクラントランの首を跳ねた。
血しぶきが宙へ盛大に吹き上がる。
「お前なんぞが、王弟にとりなす、だと。ふん、道化師として面白がられていただけだというのに。間抜けなやつ」
ティラーノはいつも笑いをこらえた顔をしていた。
クラントランが退室するや大笑いをし、貴族になれるとうかれる道化を地獄に突き落とす日を楽しみにしていた。
そして、そんなティラーノもペルセペランの命令でフアンに監視されていた哀れなお坊ちゃんに過ぎない。
「慈悲深い俺に感謝しろよ」
「ああ・・・クララ、クララ。そんな・・・」
マリアはまだ力の入らないからだを引きずって最後まで忠実だった侍女にとりすがって泣いた。
「まだ嘆くのは早い。こいつはミリアンの所に連れていく。お前はここで待ってろ」
フアンは血まみれのクララを抱き上げて、ミリアンの所へ急ぎ連れ戻して治療を頼んだ。マリアもよろよろと起き上がって向こうが、玄関までたどり着いた所でフアンが出てきた。
「待ってろといっただろう」
「クララは・・・、クララはどうなりました?」
「さあな。お前はどうする。やっぱりここに残るか?」
マリアの質問には答えずフアンは尋ねた。
「・・・いえ残りません。国に戻って無事を伝えなければなりません」
マリアはきっぱりと答えた。
「なら行こう」
フアンは歩き出した。
「クララは?」
「ミリアンに任せておけばいい。もう忘れろ」
フアンはマリアに肩を貸してやり荷台の藁の山の中に寝かせてやった。
そして慌ただしく走り出す。
安物の荷馬車の振動に耐えながら、マリアは声を絞り出す。
「何故、クラントランはクララを刺したのでしょうか。彼に何の利益も無いではありませんか。彼は優れた兵士でした。私もクララも抵抗できる相手では無かったのに」
「裏切者の平民には義務と名誉、献身を誇りとするあいつの事は理解できなかったんだろう。あいつを許容することは自分の存在価値を否定するようなものだ」
「そんな・・・ものですか・・・」