第15話 妖精王子-宿場町-
「さて、儂らがヴェッカーハーフェンの事を気にしていても仕方ない。近くの町で宿を取ろう」
街道沿いのあちこち宿場町があるので日が大分暮れてきてからでも宿は取れる。
「む、白の街道なら夜でも進めるだろう。私は先を急ぎたい。疲れたら野宿すればいいじゃないか」
シャールミンは世慣れしていない自分でもあとは街道を直進するだけなので、一人で走ろうかと思い始めていた。
「馬具が痛み始めている。一度鍛冶屋に見てもらった方が良い。急がば回れ、じゃ。お主もそれを学んだ筈じゃ」
「そうはいうが、後は回る必要はないし。直進するだけじゃないか」
白の街道は基本的に沿岸沿いに敷設されていて、ウルゴンヌ領を出た後はスパーニアのイーネフィール公領との間にあるエスカルパド山脈のティント山の隧道を抜ければ危険な前線を通るまでもなく一気にスパーニアの王都へ向かう事が出来る。
「言葉通りの意味ではないわい。姫を救出して全速力で逃げ出したい状況になったとする。その時馬具が外れて捕らえられたらどうする。修理できる時にしておいた方が良い。だいたい痛んだのは街道を外れて迷ったせいじゃろ」
「ぐむむ・・・」
自業自得の為、シャールミンは唸った。
「それに、の。確かに夜でも街道を走って進む事は出来る。だが密輸業者なんかも距離を稼ぐために夜間に白の街道を行くこともある。帝国兵に疑われて逮捕されては厄介な事になるぞ」
そういえば、今まで街道で多数の人と行きかったが野宿したり夜間も突っ走ってそうな人はいなかった。マイヤーが用意した身分証に問題はなくマイヤーは帝国商人として仕入れた北国産の酒樽を荷馬車に積みシャールミンはその護衛であるジャール人の傭兵ということになっている。
「わかった、ひとまず宿を探そう」
「うむ。一級街道には一級街道の作法がある。周囲によく気を配るのじゃ」
シャールミン達が入った宿ではウルゴンヌの人々が酒を飲み戦勝を祝っていた。
「よぅ、商人さん。あんたも祝ってくれよ。卑怯者のスパーニア人達が負けて逃げ帰っていったぜ」
すっかり出来上がった赤ら顔の町の人間たちが勝手に酒を振舞ってきた。
「おうおう、有難いの。ウルゴンヌの勝利を儂らも祝わせて貰おう。だが、ちょっと馬車を修理に出しに行きたいんじゃ、急ぎでな」
「そんならあっちのジョイスに声かけてきな」
「酔っぱらっとるではないか」
「弟子が仕事してるさ」
仕方ないのう、とぶつくさいいながらマイヤーは馬車を修理に出しに行った。ついでにシャールミンの馬具と馬の蹄も見てもらうことにした。
街道沿いで頻繁にこういった注文が多い村の鍛冶屋の腕は熟練でかなり良い。
大きな町では馬に焼き印を施して貸し馬車屋を経営している商会や、帝国から厩番としての業務を請け負っていたり、獣医師が常駐している所もある。
シャールミンは部屋を取り、それから軽く食事をしながら地元の人間達から戦況を聞いた。リッセント城での戦いはどうやら水門を操作して陸の孤島を作り出し、取り残された敵兵が投降を申し出てもそれを許さず全滅させたらしい。ほぼアスパシアの報告書通りの内容だった。
シュテファン王子を補佐するエムゼン男爵はなかなかやり手で、城が包囲される所を寡兵ながら逆包囲することに成功したようだ。
あちこちに水門があり敵兵の進入路は限られている、湖水地方の土着貴族ならではの戦術だった。
店主も酔っぱらっていたが、部屋を二つ取り金を支払った。
シャールミンは手持ちが無いので、アスパシアから貰った金で。
アスパシアが稼いだ金で婚約者を救いに行くのか、ともう何度目かになる情けない思いだった。彼女は見送りに来た時、断っても強引に懐に入れてしまい頬に口付けして、戸惑うシャールミンを笑って職場に帰っていった。
店主とやり取りしてる最中も酔っぱらいが次々乾杯しに来た。
「ところで今日なんか地震なかったか、旅の人?」
「お前酔っぱらい過ぎて膝に来てんじゃねーのか?」
げらげらと彼らが陽気に笑っている。
シャールミンが返答する前に勝手に解決してまた向こうに行ってしまった。
「まあ、いいか。より大きな敵が迫ってきている事は言わない方がいいんだろうな」
スパーニアの兵士たちもここまで侵攻はしてこないだろうから、彼らが徴兵されない限り関係ないだろう。心情的にはウルゴンヌを応援してやりたいが、別にスパーニアとフランデアンは敵対しているわけではない。
次々やってくる酔っぱらいに適当に相槌を打って話を聞いているとマイヤーが戻ってきて、馬の手入れは問題なく進んだ事を報告してきた。
「明日までに直りそうなのか」
「いくつか交換する事になった。大分報酬を弾んでやったから一晩中かかっても明日の朝には出発可能になるそうじゃ」
そこまで言ってマイヤーはシャールミンに近づいて小声で囁いた。
「やはりあの爆発の件で帝国軍の早馬が駆け回っておる。その前からどうも借り馬の依頼が随分あったようじゃが、今度関所で帝国軍の士官から直接聞いた方がいいかもしれん」
「あんたなら何か他に情報を仕入れる手段あったんじゃないのか?」
高位の魔術師なら余人の知らぬ手段がありそうに思えた。
「残念ながらお前さんの国に行くまで他所の国におったし、公職からは引退しとる」
弟子に頼まれてちょっと様子見にフランデアンに遊びに来ただけだったらしい。
翌日、二人は朝早くから出発したが夜の間も周辺は随分ざわついていた。
爆発事件についても、人々が噂し始めていたのだ。
「やはり寄っておいてよかったのう」
「街道を慌ただしく移動する騎兵が多いようだ」
「夜間に街道脇で野宿しとったら見とがめられて事情聴取を受けていたな」
「うん、そうらしい」
世慣れしていないシャールミンでも町や街道の様子がおかしいことに気づいていた。
整備の済んだ馬車は石畳の街道を飛ぶように走り、並走するシャールミンものんびり考え事をしている余裕はない。
だが、いくつかの商隊を追い抜いて昼になったころ行列で止まってしまった。
「何があったんじゃ?」
並んでいる人にマイヤーが聞いてみた。
「ああ、なんか昨日から関所で通行止めみたいだ。地元の駐屯軍司令官から指示があるまで開放されないんだとかでまだ協議中らしい」
「困ったのう、先を急ぐんじゃが」
「皆そうさ」
マイヤーは溜息をついた。
シャールミンは大人しく護衛の傭兵として控えていた。
マイヤーはここの司令官に対して何の権限もないし、身分を明かしても逆に協力を求められて面倒に巻き込まれるかもしれない。
「しばらく大人しく待つ。夜までこのままということはあるまい」
「わかった」
一向に進まないので、二人はその場で風呂敷を広げて昼食を取った。
その間に帝国の騎兵と魔術師が騎乗したまま駆けてきた。
「身分証提示の準備をせよ。街道はこのまま当面閉鎖する、質問は受け付けない」
騎兵の声を魔術師が拡大しながらどんどん長くなる行列を後ろの方まで駆けて行った。引き返すなり、地元の街道を使って迂回するなり好きにしろという事らしい。
「ふうむ、そう来たか。東方との流通を停止させるとは。これは一軍の司令官風情が決定できる事ではないな」
「このあたりは第17軍の軍管区だが」
「アル・アシオン辺境伯からの要請じゃろうか。東方軍総司令は遠いから無理じゃろう」
「何とか通過できないのか?街道を突っ走ればスパーニアの王都バルドリッドまで二、三週間で着けるのに」
「おぬしの身分なら明かせば外交特権で通行できるかもしれないが、ギュイがおぬしの逮捕要請を出していた場合、拘束されるか。送り返されるかもしれないぞ。だいたい身分の証明が出来まい」
フランデアンの宝剣を見せた所で、関所の人間に理解できるとは思えなかった。
「回るにもほどがあるぞ、帝国の街道ならともかく、戦争中の国の国境を問題なく通過できるか?」
「こっちは帝国商人の紋章付きの馬車じゃから両軍共にこっちにちょっかいを出してはこないじゃろう。とはいえ関所で何かしら書類を発行してもらうなりしよう。他の商人達だって困る筈じゃ」
質問は受け付けないといわれたものの、そう素直にいう事を聞く商人達ばかりではなかった。中には帝国貴族とコネの強いものもいてさんざんにゴネた。
だが結局通行許可は降りなかった。
ヴェッカーハーフェンの港は崩壊して利用不可能になっており、海路に切り替える事も出来ず、道を戻って他の港町まで行くか、スパーニア国内で二線級の街道を使うかしなければならない。
関所の門兵達の態度もだんだんと苛立ったものに変わっていき、帝国の軍団が迫ってきているのでさっさと道を開けるよう要求されてしまった。