第12話 妖精王子-貴族たち②-
「やあ、ベルベット。今日は二人も一緒ですか。今度は私ともどうです?」
途中裕福そうな商人に声をかけられたが、適当にあしらってアスパシアは二人を自室に招いた。彼女の部屋は甘い香りに満ちていてマクシミリアンはどうも落ち着かない。
奥には秘め事が行われる寝室も見える。
アスパシアが魔術で蝋燭に点火すると薄暗い部屋も多少明るくなったが、蝋燭に香料が混ぜ込まれているのか漂う匂いがいっそう濃くなった。
マクシミリアンは落ち着かないまま日光を遮る為の分厚いカーテンから窓の外を盗み見た。少し離れた所に公王の本城が見える。今いる部屋は三階で下の方を見ると市内を走る運河に小さな輸送船が忙しくいきかっている。
部屋に視線を戻すとマイヤーは興味深そうに高価な調度品を見ていた。
「年代物じゃな。庶民が一生働いても手に入らないものばかり。ずいぶん金のかかった部屋じゃ。皇帝の執務室にあるような倒流香まである、よく手に入ったな」
「投資よ、お客に夢を見せてあげるの。名門貴族になったかのような、ね」
マクシミリアンも透明度の高いガラス窓や装飾過多な箪笥や椅子などの家具を見る。
金だけあってもコネがなければ魔術による加工が入ったものは手に入らない。
魔術で微細な温度変化を用いながらでないと制作できない芸術品もあり、魔術装具には継続的に魔力の補充が必要であるのだがここにはそういったものまである。
こればかりは裕福な商人でもコネが無ければなかなか購入できないのだ。
アスパシアの場合、べべーランから手に入れたのであろう。
「ああ、あった。あった。これこれ」
アスパシアは地図を机に広げて二人に見せた。
「マリア様が捕らえられているバルバリッド王宮の見取り図と幽閉先の塔周辺の風景画ね」
「助かる。ありがとう」
「うん」
アスパシアはマクシミリアンの素直な感謝に子供のころのように応じた。
「まさか侵入して救い出す気か?スパーニアのような大国の王宮に?」
マイヤーはそれはさすがに無謀では、と釘を刺した。
「どうにかなるだろう」
「そうね」
無謀な子供たちを前にマイヤーは額に手をやって首を振った。
「はあ・・・困ったもんじゃ、無駄死にはするなよ?で、何が不味いんじゃ。先ほどの話に戻ってくれ」
「イルラータ家はボルティカーレ公よりもさらに上位の公爵で、スパーニア五大公のひとつだ。帝国から見ればどれも大して差はないように見える規模だろうが、そこらの小国よりも規模は大きい」
「いちおうそれくらいは知っておる」
マイヤーもスパーニアほどの大国であれば多少の知識はある。
そもそもフォールスタッフの師なのだからそれも当然か。
アスパシアはある程度説明は省いても大丈夫そうだと判断してマクシミリアンに話しかける。
「私がフランデアンの王宮に居たころ皆で机上演習したの覚えてる?」
「もちろん。ウルゴンヌを我々に敵対的な勢力が制圧した時にフランデアンは大きな経済的損失を被る、その前に先んじて制圧すべし、と設定した奴だろう」
アスパシアとマクシミリアンが昔を思い出しながら語っていった。
「おいおい、お嬢ちゃんと王子が王宮に一緒に居た頃なんて10歳かそれより前ではないのか?フランデアンの王宮ではそんな頃から机上演習をするのか?」
「え、普通だろう?」
「そうよね。10歳になれば午後の遊びでよくやるわよね」
「やらんわ!せいぜいカットランガみたいな盤上遊戯じゃ!!」
おかしいな、帝国ではよくやると父から教わったんだが、とマクシミリアンはアスパシアと首を傾げた。マクシミリアンも留学時に盤上遊戯はやったので、皆も演習はやっているものだと思っていた。実際にはフランデアンが平和過ぎて世界から取り残されているのでせめて机上だけでも演習をさせてみるかと先王が始めさせたものだった。マクシミリアンは少々学ぶ順序が逆転していたらしい。
子供の遊び代わりにそんな演習をしているとはなんちゅー物騒な国じゃ・・・、マイヤーは慄いていた。うちは何百年も国家規模の戦争なんかしたことがない平和な国よ?とアスパシアは可愛らしく抗議した。
「まあ、いいわ。とにかくいろいろ条件変えて考慮してみたけれど私達の結論としては五大公家ほどの大家に乗り出されるとフランデアンに勝ち目はない。帝国の介入までツヴァイリングで持久戦に徹底しウルゴンヌには兵を進めない事、としたの」
「ふむ・・・無謀なのかそうでないのかよくわからん子供たちじゃのう。もう少し解説してくれんか、そこまで国力差はあったかのう。フランデアンも大国じゃろう。この周辺国家の国力差はどのくらいとした?」
「スパーニアが10、リーアンが6、全部まとまればの話だが。フランデアンが4。南のヴェッカーハーフェンら自由都市連盟の都市群があわせて1.ウルゴンヌ自体は1以下。スパーニアの国情からするとスパーニア王が出てきた方がまだ話が出来るが・・・イルラータ公が相手では・・・」
「イルラータはともかく、あとパスカルフロー諸島も忘れちゃ駄目よ」
マクシミリアンの回答にアスパシアがひとつ加えた。
「パスカルフロー?」
「今回、あの連中が関係あるか?」
マイヤーとマクシミリアンがアスパシアに尋ねる。
「それが、あるのよ。陛下が戦死された急報を聞いてすぐに宰相が彼らに傭兵を発注したの。あちらの女王陛下は快諾してくれたそうよ。どのくらいの規模になるかまではわからないけどヴェッカーハーフェンに集結する筈よ」
「ふむ、中継貿易や傭兵団の運営で繁栄している国じゃったか。しかし小規模で契約先に縛られているしそれほどの兵力は動かせないと思っとったが」
「ああ、元はスパーニアの公爵、ギョーム公が内紛に明け暮れていたスパーニア本国を尻目にかの島々を占領して建国した国だ。昔は帝国が占領していた島々だったが、古い住民は帝国が今の自由都市連盟を直轄領から自治領に変えて引き上げた際に放置されていたので今でも古代の暮らしを続けているらしい」
「で、そのギョーム公の侵入を受けた際にも自分たちの生活に口出ししないなら、とその支配を甘んじて受け入れてろくに抵抗しなかったそうよ。開発してみたら結構な良港が多かったみたいでスパーニアの港に向かう船やヴェッカーハーフェンに向かう船が嵐を避けたりして寄港し段々と発展していったの」
特に島の人間が愛好していた蒸留酒は各地に輸出されて貴重な収入源になっている。海産物もよく取れて帝国が強大すぎるスパーニアの勢力伸長をある程度抑える為に、門前にある島々の統治はパスカルフローに一任していた。
「ふむ、ではスパーニアとさぞかし対立していたじゃろう」
「正解。スパーニアは独立を認めないと宣言して戦争になったけど、もう海軍力だけならスパーニアに匹敵していたから分裂してばっかりのスパーニアじゃ上陸もできずに海戦では連戦連敗。といってパスカルフローには大した陸軍力がないから反攻する事も出来ず海を挟んで睨みあうだけ。スパーニアにまだ持っていた領地は占領されてこの時没収されたわ」
「最終的には帝国の介入で停戦し、ギョーム公は旧領の請求権を永遠に放棄。スパーニアは独立を認める、とした。まあ今でもスパーニアはパスカルフローが海賊行為を働いていると度々紛争を起こしているが」
マクシミリアンはマイヤーなら知っているのかと思っていたが、国情は詳しく知らなかったらしい。彼はフォールスタッフよりも世情を知る事より魔術への探求に専念しているのだろうか。
「なるほど、じゃあ援軍としては期待できそうじゃな」
「いや、内陸での戦いになるから、僅かな傭兵以外には期待できないだろう。紛争の規模が大きくなって本腰を入れられたら寧ろ戦力差が広がる」
「ほうほう、お主にしてはよく考えておる。イルラータ家の介入が不味いといったのもそのあたりか」
いささか楽観的ではあるが、マクシミリアンにはスパーニアが本気でフランデアンと敵対する道を選ぶとは思えず堂々と強気で行けば少なくともマリアの身柄は引き受けられるだろうと考えた。
しかしイルラータ公が暴走すると彼らに借りがある現王家がどう出てくるかわからない。プリシラの件もありマクシミリアンは帝都で可能な限りスパーニアの内情を調べていた。
「そうだ。スパーニアが本腰を入れてきた場合、この方面には15万以上の兵力を集中させることが出来るが、兵站から考えて実際には投入してくるのは10万前後だろう。だが、その程度ならイルラータ家単体でも投入できる。アル・アシオン辺境伯と領地を接していて何度も対蛮族の救援要請に答えているので、旗下の貴族たちへの動員命令について法整備が進んでいて動員速度が非常に早いんだ」
「ははあ、段々と話が見えてきた。スパーニア王国自体が今回の問題に直接介入すれば帝国からお咎めを食らうが、あくまでも封臣達の争いに過ぎず、公王と対等なイルラータ公やその家臣との争いであればスパーニア王家がとやかくいって介入する方がおかしい。で、彼らはイルラータ公を全面に立てて進軍させる、というわけか」
「だいたい帝国がスパーニア王国やウルゴンヌ公国など建国させるから厄介な話になるんだ。イルラータの大公はウルゴンヌ公より遥かに領地も広く保持する戦力に何倍も開きがあるというのに」
マクシミリアンは帝国人のマイヤーに八つ当たりをするようにそう言った。
「お主がフランデアン王となっても勝てんか」
「もう手遅れだ。今から正式に王位に就こうとしても時間がかかる。それから貴族たちに兵力提供を求め、相手によっては脅し、宥め、命令し、報酬を約束し、出陣中に自領の安泰を約束し、不公平にならないよう提供規模を他の家臣たちと調整する・・・それには時間がかかりすぎる。ウルゴンヌを確実に守り切るならこちらも10万を投入しなければならないが動員には半年以上かかる。すでにイルラータ公が介入する準備を進めているなら到底間に合わない。今のフランデアンは平和な国なんだ、すぐには徴兵できないし約束できる報酬もない」
やはりマリアを見つけたらさらって逃げようとマクシミリアンは決意した。
「で、現状はどうなんじゃ?新聞を読む限りはまだ外交合戦と現地貴族の小競り合いのようじゃが嬢ちゃんの所には最新情報が届いておるのじゃろう?」
マイヤーが水を向ける。
「ええ、今のところイルラータ公は軍団を編成していない。そこは心配しなくていいけど、アル・アシオン辺境伯の所に編成済みの軍が1万人はいるはず。蛮族との対陣中に勝手に帰還してこっちに来ることはあり得ないけど」
「そうじゃな、そんな事したら後で辺境伯の怒りでスパーニアごと滅ぶ」
アル・アシオン辺境伯は帝国最大最強の戦力を持つ帝国貴族。
元は一退役軍人が退職金代わりに蛮族との境界近くに領地を帝国から預かったが、地道に開拓を続けて大きくなり、部下たちも上官を慕って集まりさらに拡大した。
経済的に困窮した退役兵が多く、帝国本土の治安を悪化させる為、帝国政府は辺境伯に押し付けようとどんどん送り込んで経済的にも優遇条件をつけさらに拡大化は加速、東方諸国にしては珍しく女性の扱いが悪いリーアン連合王国と母系社会の北方諸国の間でしばしば争いが起きていた為、緩衝地帯としての役割も辺境伯に任せていくうちにその強大化は歯止めが利かなくなっていた。
かくして帝国本土外で最大の戦力を保持する辺境伯だったが帝国に対して反旗を翻すこともなく、帝国が内部で宗教紛争を起こしたり、王朝交代期の混乱があった時も一貫して軍務に忠実で帝国の権益を守り続けた。
そんな辺境伯に対して帝国政府も伯を国王待遇とし、後に選帝侯の権限も与える厚遇で応えた。
「で、イルラータ公爵自身は神出鬼没に自領や王宮を行き来してるみたいだけど何の案件で動いているかわからないわ。今の王家はその前の王家から奪い取って王座についたうえに後を継いだ王自身は病気だか発狂してるんだかで最近は太后が政務を仕切っていて未だに王国を掌握していないし」
「確かストラマーナ家が現王家だったか」
「そう。もしもマリア様を平和的に返還して貰うならストラマーナ家の当主ペルセベラン様と交渉しなさい。現在の国王は面会謝絶でその母の太后が表向きの政務を仕切っているけれど、実質的な権限は国王のお爺様にあるの。先代国王の直系男子はまだ現国王以外若すぎるしたいした直臣もいないから交渉しても意味ないわ」
アスパシアの忠告にマクシミリアンは黙って耳を傾ける。
「現当主のペルセベラン様は先々代国王を暗殺して前の王家から来た養子を王座につけたといわれている方。その時の王家であるエイラマンサ家にイルラータ公と同盟して争ったからペルセベラン様ならイルラータ公に口利きもできるし、逆にイルラータ公の無理を聞くこともあり得るわ」
「ほんに貴族というのは面倒じゃのう。玉座があってもなくても大して変わらんな」
王とはいったい何なのか、マイヤーは完全に他人事風に言った。
「白の街道安定化の為だとかなんとか言って強引に建国させたのは帝国だろうに」
マクシミリアン達が白けた目で老人を見やる。
皇帝の権力が強い帝国とは違うのだ。
「ごほんごほん、まあ帝国も皇帝の代替わりでたまに選帝に納得いかん皇族が争いを引き起こすがの。大規模な常備軍を持つ帝国に反旗を翻しても、一皇家では即刻叩き潰されるだけじゃが。で、そのエイラマンサ家に助けを求める事はできんのか。今でも五大公家なのじゃろう?」
「ええ、まあご察しの通り五大公家は足を引っ張りあってるから今でも大きいわ。もともと暗殺されたらしきアルフォンソ王はイーネフィール公家から娶った王妃を幽閉して愛妾をたくさん作っていたから批判は多かったけど、本当は幼いころに玉座につかされて成人するまで一緒に過ごしてきた侍女と恋仲でね?王妃にしようとしたけど当然の如く全公家から猛反対されて、結局侍女は適当な罪を着せられて処刑されちゃったわ。そんな経緯もあるから吟遊詩人達が悲恋の歌を作って広めて結構世間の同情も買っていたのよ」
可哀そうにといいながらも若干アスパシアは面白そうに語っているのでマクシミリアンは何だかよくわからなくなってきた。
「それで幽閉された王妃というのは?」
「イーネフィール家のお姫様。結局牢獄で病死したみたい。イーネフィール家はアルフォンソの侍女の処刑を主導したこともあって世間の支持を得られずストラマーナ家の蜂起の際には玉座を譲ったけど、今でも玉座を狙ってるわ。もしペルセベラン様に圧力をかけるならイルエーナ家の協力が必要ね。ここ最近の王位争いではうまく立ち回ってさほど傷を負っていないから」
「残念ながらイルエーナ家に働きかけはできない」
ガルシアは親に後継ぎとしてみなされておらず疎んじられている。
頼っても迷惑になるだけだ。
「そう・・・じゃあウルゴンヌを守るにはやっぱりどうしてもフランデアン王の肩書が必要ねえ」
アスパシアは溜息をついた。
「別にマリアさえこっちに渡してくれれば最悪ウルゴンヌを守れなくても構わない。フランデアンにとって敵対的にならなければそれでいい」
「そうじゃな。帝国も己が権威の為にも独立保障を撤回することはなかろう。多少領土を削ってグランマース伯とやらにくれてやれば引き下がるじゃろ」
「どうかしらねえ・・・。さっき届いた情報だとシュテファン様、公王陛下の次男ね。かの王子が投降しようとしたグランマース伯の兵士約4000人を皆殺しにしちゃったのよ」