段取りを整えたので治水工事を開始したぜ
さて、地元の古老たちに昔の川筋や地名を聞き取り、実際に地形を見て回ったことで、治水工事の大まかな順序も見えてきた。
工事の段取りも決まった。
まずは石を切り出し、それを船で運んで岸へ積み上げる。
堤を築き、川の流れを少しずつ制御していく。
地道な作業ではあるが、結局のところ治水というのは、こうした地道な積み重ねでしか成し遂げられない。
「まずは大きな洪水を起こしやすい、北側から流れてくる大場川や黄瀬川と狩野川の合流地点から手を付けたほうがいいだろうな」
俺が地図を指差して言うと、大道寺重時も頷いた。
「ああ。古老たちの話を聞いても、特に洪水の被害が出やすいのはあの辺りらしいからな」
「なら、そこを優先する」
限られた人手も資材も、最初から全域にばら撒くわけにはいかない。
まず危険な場所から手を付ける。
そのうえで、効果を確認しながら次の場所へ進めていく。
治水工事は一度やれば終わり、というものではない。
川は毎年流れを変えるし、大雨が降れば堤防も傷む。
だからこそ、最初から長期的な工事になることを覚悟していた。
そして、川だけを弄ればいいというわけでもない。
周囲に残っている沼地の一部は埋め立て、そこには柳や松を植える。
さらに桃や栗なども植えていく。
いわば、防水林を兼ねた植林だ。
木が育てば土を押さえ、風雨による浸食もある程度防いでくれる。
やがて間伐できるほどに育てば、薪や炭の材料にもなる。
そして桃や栗は、食料にもなる。
特に栗は保存もしやすい。
万が一、飢饉になったときには、こうした木々が領民の命を救ってくれるかもしれない。
「治水だけじゃなく、食料と燃料まで考えてるわけか」
重時が感心したように言う。
「どうせ植えるなら、一つの目的だけに使うのはもったいないからな」
洪水を防ぐ。
薪を得る。
食料を得る。
将来的には木材も得る。
一石二鳥どころか、何鳥も狙っている。
こういうところは、前世の知識がある俺だからこそ考えられる部分だろう。
ただし、問題は人手だ。
治水工事には大量の人間が必要になる。
だが、田植えや稲刈りの時期まで農民を工事に駆り出せば、今度は肝心の農業が立ち行かなくなる。
そこで、農繁期には一時的に賦役を止める。
そして、水量も比較的少なく、農作業の手が空く農閑期に治水工事を集中させる。
その間の食い扶持は、こちらから支給する。
そうすれば農民は安心して工事に参加できるし、領内に蓄えた米を少しずつ食料として回すことで、農閑期の生活も支えられる。
何より重要なのは、領民に「働かされている」と思わせないことだ。
治水工事をすれば自分たちの田畑が洪水から守られる。
働けば、その分だけ食料も支給される。
そして工事が終われば、来年からの収穫が安定する。
そう思ってもらえればいい。
そう言えば、古代エジプトでも農閑期にナイル川の堤防修繕や公共建築を行わせていたという話がある。
農業ができない時期に国が食料などを支給し、その間に公共事業を行う。
考え方そのものは、俺が今やろうとしていることと似ている。
もちろん、エジプトのような巨大国家と比べれば、俺たちの規模なんて比べるまでもない。
だが、仕組みそのものは使える。
人間は食わなければ働けない。
ならば、食わせる。
そして働いた結果が自分たちの生活を良くするのなら、嫌々やらされる仕事よりもずっと真剣に取り組んでくれるはずだ。
もっとも――。
「治水工事が一年や二年で終わると思うなよ」
俺は自分自身に言い聞かせるように呟いた。
有名な信玄堤だって、完成までには長い年月がかかったとされている。
しかも、堤防は完成したら終わりではない。
洪水が起きれば修繕が必要になるし、川の流れが変われば改良も必要になる。
実際、信玄堤も後世に何度も改修されている。
狩野川だって同じだ。
この川を完全に人間の思い通りにすることなんてできない。
できるのは、洪水による被害を少しずつ減らしていくことだけだ。
だからこそ、今の俺たちにできることを積み重ねる。
例えば、後世に信玄堤で使われた技術も参考になる。
将棋の駒のように石を並べて水の勢いを分散させる将棋頭。
木材を三角形に組み、竹で編んだ籠の中に石を詰めて重しとする聖牛。
支流と本流が合流する場所では、流れが堤防へ直接ぶつからないように工夫する。
どれも大規模な土木機械など必要としない。
石と木と竹。
この時代に手に入る材料だけでも、工夫次第で水の力を弱めることはできる。
ならば、そうした技術を参考にしながら少しずつ工事を進めればいい。
集めた米を食い扶持として支給し、働けば生活が少し楽になるという仕組みを作る。
そうすれば領民の働く意欲も高まり、結果として治水工事そのものを早めることができるだろう。
そして治水が進めば、田畑が増える。
田畑が増えれば収穫が増える。
収穫が増えれば人口も増える。
人口が増えれば、さらに開墾が進む。
そうやって領地を豊かにしていく。
――ただし。
豊かになれば、それを欲しがる者も増える。
「……まあ、治水だけ考えていればいいわけじゃないんだよな」
「どうした?」
「いや。土地が豊かになればなるほど、他の連中から狙われるようになるってことさ」
洪水には堤防で備える。
飢饉には食料を備蓄して備える。
病や災害にも備える。
そして――。
「豊かになった土地を奪おうとする奴らには、軍備で備えるしかない」
治水工事の次は、領地を守るための備えだ。
どうやら俺には、まだまだのんびりできる日は来そうになかった。




