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伊豆制圧は焦らず行くこう、まずは狩野城の城主狩野道一を何とかするか

  さて伊豆の堀越へ討ち入りを行って堀越公方を滅ぼし、伊豆の国人をある程度麾下に加えたとは言え、当然すべてがこちらに付いたわけではない。


「まず障害となりそうなのは狩野城の城主狩野道一か」


大道寺重時の言葉に俺はうなずく。


「何しろ平安の頃から伊豆の主としている連中だしな。

 簡単には従わないだろうさ。

 まずは本拠地を修善寺へ移動するとしよう」


 堀越御所に比較的近い、狩野城の城主狩野道一はそういったこちらに抵抗する勢力の一つで、狩野氏は遠江・駿河・伊豆に勢力を持つが今川義忠と戦った遠江の狩野氏も同族である。


 狩野氏は藤原南家の藤原為憲を祖とし、940年の承平天慶の乱にて平将門討伐で功績を上げ、従五位下木工助に叙任されると藤原の藤と木工の工を合わせた、工藤姓を名乗るようになり、1050年頃に子孫の工藤維景が駿河守を退任したあと、修善寺から天城湯ヶ島に至る狩野郷に移り住み、狩野姓を称するようになった。


 そして平安末期の狩野茂光は伊豆の武士を束ねる棟梁で保元の乱にて、伊豆大島に流罪となった源為義の八男・源為朝の監視役を務め、源為朝が反乱を起こすと、その反乱を鎮圧して源為朝を自害に追い込み、源頼朝が挙兵した際にそれに従いったが、石橋山の戦いにて敗北したときに自刃して果てた。


 その家督は嫡男の狩野宗茂が継いで鎌倉幕府や室町幕府では重用され、狩野家では代々「狩野介」を称している。


 で狩野道一は堀越公方足利政知に重用されていた結果、重い軍役負担にあえぐこともなかったから俺と敵対しているわけだ。


 もっとも庶流の宇佐美氏と伊東氏はこちら側についていたりもするのだが。


 狩野道一の狩野城を包囲はしているものの城へつながる道は狭く大軍で包囲するのは難しいのでそう簡単に落ちそうな感じではない。


狩野城が落城した場合は予定通り根切にするか、反抗した者は地縁から切り離すために沼津に送るかになるだろう。


 早めに従えば元の所領は安堵するんだが、反抗的かつ古くからいて地縁の強さをよりどころとする者をそのままにしておくわけには行かないからな。


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