しばらくは駿河の小川城で焼津の発展を手助けするか
さて、今川義忠の不慮の討ち死にからの家督争いは「文明の内訌」と呼ばれることになるが、取り合えずは収まって、龍王丸とその母で俺の姉の北川殿は駿河の小川城に現在は滞在中。
まあ本来は法永長者屋敷と呼ばれる程度のもので、一般的に想像するような城ではないけどな。
「この度は我が姉とおいを保護していただきありがとうございました」
俺は姉やおいの命の恩人である長谷川政宣へと礼を述べる。
「いえいえ、これも御仏の導きというものでございましょう。
林双院の住職はそちら様の身内のようなものでございますゆえ」
”山西の有徳人(大金持ち)と聞えし”と言われる有力国人とは言え法永長者こと長谷川政宣が危険も顧みずに龍王丸母子を保護したのは、法永長者の帰依する林双院の住職である賢仲繁哲の要請によるものであり、賢仲繁哲は備中伊勢氏と類縁の人物つまり俺達とは親戚で、彼が出家した備中の草壁庄の洞松寺と備中伊勢氏の氏寺である法泉寺とは同じ曹洞宗大源派でもあったりするのでなんとも不思議な縁があるものだとも思う。
そして長谷川政宣の子孫には鬼平犯科帳で有名な長谷川平蔵がいたりする。
「それにしても少し見ない間に随分と偉くなったのね」
姉上は龍王丸を抱きかかえながら笑っていった。
「まあ、元服してから京で色々やりましたので、しかし、この地は思っていたより随分栄えているのですね」
「ええ、ここは色々な要素が重なっている場所のようね」
焼津湊は駿河湾が岸近くから水深を確保できるため、漁業だけでなく海運の中継地点としても優れているうえに、瀬戸川、小石川、黒石川等の中小河川がはしっているため農業にも向き、焼津神社の歴史はものすごく古く三世紀からあり、東海道の門前町の宿としても機能しているのがこの場所が豊かな理由だろう。
「ともかくこの場所の発展に俺も協力しましょう」
「そうしてもらえると助かるわね。
この子のためにも」
すやすや寝ている龍王丸が将来今川家の勢力を大きく伸ばすとは今の時点では誰も思っていないだろう。
母親である姉と俺以外はだが。
残念ながら入浜式塩田には向いた地形ではないから大阪のように塩田の塩で稼ぐのは無理だろうけど、木綿栽培などには向いていそうだし、治水開墾の余地もあるだろうから、まだまだ豊かにすることは出来るんじゃないかな。
「まずは治水開墾から始めるとするか」
俺がそう言うと大道寺重時もうなずく。
「まあそれが無難だろうな」
食料の確保ができれば兵の維持も楽になるしな。




