まずは細川と大内に銭を使って貰う約束を取り付けたよ
――翌日。
俺は朝から、細川方の屋敷へ向かっていた。
「しかし、本当に細川様に新しい銭を使わせるおつもりですか?」
隣を歩く大道寺重時が、どこか不安そうな顔で尋ねてくる。
「使わせる、じゃない。使ってもらうんだよ」
「言い方を変えただけでは?」
「かなり違うぞ」
俺は苦笑した。
今回作ろうとしているのは、ただの銅の塊ではない。
市場で使われる――貨幣だ。
ならば、何より先に必要なのは信用だった。
そして、その信用を作る一番手っ取り早い方法は――。
権力者に使ってもらうこと。
細川勝元が使う。
細川家の家臣が使う。
細川家と取引する商人が使う。
そうなれば、銭は少しずつ市場へ流れ込んでいく。
「とはいえ、細川様は戦続きですぞ」
「だからこそだ」
「だからこそ?」
「戦が続けば、兵糧も武具も人手もいる。つまり、大量の取引が発生する」
俺は前を見ながら答えた。
「需要がある場所へ銭を流し込めばいい」
そのために俺は――鋳銭司になった。
◆
「ほう……新しい銭を鋳造するとな」
話を聞き終えた細川勝元は、顎に手を当てた。
「はい」
「しかも、朝廷より正式に鋳銭司の官職を得たと」
「その通りです」
勝元の目が細くなる。
「それで?」
「細川様にも、この銭を使っていただきたいのです」
「……俺に銭を使え、と?」
「はい」
即答した。
勝元は黙った。
しばらくして、試すように俺を見る。
「どうして俺が、わざわざ新しい銭を使わねばならぬ?」
「理由は簡単です」
俺は懐から一枚の試作品を取り出した。
まだ正式な量産品ではない。
だが、規格は決めてある。
大きさ。
厚さ。
重量。
そして銅の配合。
可能な限り、すべてを揃える。
「堺銭のような粗悪な銭ではありません」
勝元は試作品を摘まみ上げた。
表を見る。
裏を見る。
指で弾く。
――カン。
「……重さも揃っているな」
「揃えます」
「これを大量に作るつもりか?」
「はい」
「銅はどうする?」
「国内から集めます」
「鋳造費は?」
「大阪で賄います」
「銭そのものの信用は?」
「これから作ります」
「……」
勝元が眉をひそめた。
「信用を、これから作る?」
「はい」
俺は頷いた。
「最初から誰も信用していないのは当然です」
「それでも作るのか」
「だからこそです」
俺は銭を指差す。
「銭は、作ったから価値があるんじゃありません」
勝元は黙っている。
「皆が使うから価値が生まれるんです」
俺は続けた。
「なら、最初に使う人間を増やせばいい」
「……つまり?」
「細川様に使っていただきたい」
「俺に?」
「はい」
勝元は試作品をしばらく眺めていた。
やがて、口元に笑みを浮かべる。
「具体的には、どう使わせる?」
「兵糧の買い付けです」
「兵糧?」
「米、麦、塩、魚、布、木材。軍を動かすなら大量に必要でしょう」
「確かにそうだ」
「その代金の一部を、この銭で支払っていただきたいのです」
「だが、受け取る商人が嫌がるぞ」
「嫌がるでしょうね」
俺はあっさり答えた。
「だから、そこで細川様の名前を使うんです」
「……なるほど」
「細川家がこの銭で支払う」
そして――。
「商人が受け取る」
さらに。
「その商人が、新しい銭で別の仕入れをする」
そうなれば。
銭は少しずつ、市場を回り始める。
「つまり、俺を保証人にするわけか」
「まあ、そんなところです」
勝元が苦笑する。
「お前は相変わらず、人を使うのが上手いな」
「使っているわけじゃありません」
「ほう?」
「お互いに得をする話をしているだけです」
俺は笑った。
「細川様は兵糧を買える。商人は支払いを受けられる。俺は銭を流通させられる」
「……確かに、悪くない」
勝元が試作品を机の上へ置いた。
だが、すぐにもう一つの懸念を口にする。
「一つ問題がある」
「何でしょう?」
「その銭を受け取った商人が、今度は俺のところへ持ってきたら?」
「受け取ればいいでしょう」
「俺が?」
「もちろんです」
「……」
勝元が黙る。
「細川家が、この銭を受け取り続ける」
俺は淡々と告げた。
「それだけで、かなりの信用になります」
「……」
「使えると思われるまで、使い続けるんです」
勝元が試作品を指で弾いた。
――カン。
乾いた音が響く。
「なるほどな」
細川勝元が笑った。
「銭そのものを信用させるのではなく、細川家を通して信用を作るのか」
「そういうことです」
「面白い」
勝元は立ち上がった。
「よし」
「?」
「試してみよう」
「本当ですか?」
「ああ」
勝元は試作品を俺へ返した。
「まずは兵糧の購入代金の一部からだ」
「ありがとうございます」
「ただし――」
勝元は、にやりと笑った。
「本当に使える銭なのだろうな?」
「もちろんです」
「一枚一枚、品質を揃えろ」
「はい」
「銅の量をごまかすな」
「はい」
「妙なものを混ぜるな」
「はい」
「それから――」
勝元が俺を見る。
「途中で銅が足りなくなったから鋳造を止めました、などというのもなしだ」
「……努力します」
「そこは断言しろ」
「善処します」
「お前な……」
勝元が呆れたように笑った。
だが――。
話は決まった。
まずは細川家で使ってもらう。
これで一歩だ。
◆
「……上手くいきましたな」
屋敷を出ると、大道寺重時が呟いた。
「ああ」
「これで新銭は流通するので?」
「まだだ」
「まだ?」
「細川家だけで使われているうちは、細川銭にすぎない」
俺は歩きながら答えた。
「必要なのは、商人が自分から欲しがる状態だ」
「なるほど……」
「だから次は――」
俺は足を止めた。
「大阪の商人に使わせる」
「大阪の商人ですか」
「ああ」
大阪には、堺から流れてきた商人も多い。
彼らは金の匂いに敏い。
儲かると分かれば動く。
「細川家が使う」
俺は指を一本立てる。
「大阪の商人も使う」
二本目。
「そうなれば?」
重時が俺を見る。
俺は笑った。
「京でも使えるようになる」
そして。
京で使えるようになれば――。
畿内全体へ広がっていく可能性がある。
まだ、一歩目だ。
だが、貨幣というものは、一度流れ始めれば強い。
川と同じだ。
水が流れる道さえ作れば、あとは勝手に広がっていく。
問題は――。
最初の流れを、どう作るか。
「次は大阪だな」
そう呟いた、その時だった。
「旦那様」
「なんだ?」
「大内様のほうからも、返事が来ております」
「……早いな」
思わず振り返る。
「内容は?」
「新しい銭について、一度話を聞きたいとのことです」
俺は少しだけ笑った。
「……なるほど」
細川に話をした。
そして――。
今度は大内か。
思ったより早く、こちらの話に食いついてくれる相手が現れたらしい。
「よし」
俺は歩き出した。
「次は大内政弘だ」
新しい銭を巡る戦いは――。
まだ、始まったばかりだった。
◆
――数日後。
俺は、大内政弘から届いた返書をもう一度読み返していた。
「……大内様も話を聞きたい、と」
大阪の屋敷。
机の上には、細川家から返ってきた試作品の銭と、大内家からの返書が並んでいる。
細川勝元には、とりあえず新銭を兵糧の購入に使ってもらう約束を取り付けた。
これだけでも大きい。
だが。
本当に欲しいのは――もう一つの名前だ。
大内政弘。
周防・長門を中心とする大内氏は、日明貿易との関係が深い。
博多を押さえ、海外交易にも強い。
つまり――。
銭の流れを考えるなら、これほど重要な相手はいない。
「細川様とは、ずいぶん性格が違う相手になりそうですな」
大道寺重時が言う。
「まあな」
細川勝元は、畿内の権力者だ。
対して大内政弘は、海外交易まで視野に入れている。
「だからこそ――」
俺は返書を置いた。
「細川様以上に、話が早いかもしれない」
「話す内容も変えたほうがよいでしょうな」
「そのつもりだ」
細川には、兵糧や商取引の話をした。
だが、大内に対しては、それだけでは足りない。
彼らにとって重要なのは、国内だけではない。
海外交易を含めた決済の安定だ。
ならば――。
こちらが提示する話も、一段大きくする必要がある。
◆
「お待たせいたしました」
やがて、面会の場が整った。
俺の前に現れた大内政弘は、静かにこちらを見ている。
「初めてお会いするな」
「はい」
「聞けば、そなたが鋳銭司になったとか」
「その通りです」
「しかも、新しい銭を作ろうとしている」
「はい」
政弘は俺の手元を見る。
「それが?」
「試作品です」
俺は一枚の銭を差し出した。
政弘は受け取り、表と裏を見る。
指で弾く。
――カン。
重さを確かめる。
「……なるほど」
「どうでしょう?」
「少なくとも、今出回っている鐚銭よりは、ずいぶんまともそうだ」
「ありがとうございます」
「だが――」
政弘が顔を上げる。
「良い銭を作れば、それで流通すると思っているわけではあるまい?」
俺は思わず笑った。
「さすが大内様です」
「そこを分かっていないほど、私は愚かではない」
政弘が銭を机の上に置く。
「銭の価値は、銭そのものだけで決まるものではない」
「その通りです」
「誰が受け取るのか」
「はい」
「誰が保証するのか」
「はい」
「そして、どこで使えるのか」
俺は頷いた。
「だからこそ、大内様にも使っていただきたい」
「私にも?」
「はい」
政弘は少し考えた。
「細川殿にも使わせるつもりか?」
「もう話はついています」
「……なるほど」
政弘が、初めて少しだけ笑った。
「それで私にも声を掛けたわけか」
「はい」
「ずいぶん欲張りだな」
「良い銭を作るだけなら、俺一人でもできます」
俺は政弘を見る。
「ですが、良い銭を『使える銭』にするには、一人では無理です」
「ふむ」
「細川家と大内家。この二つが使う」
俺は続けた。
「そうなれば、京と大阪だけではなく、瀬戸内や九州にも広がっていく可能性がある」
そこまで言うと、政弘の目がわずかに細くなった。
「……海外交易まで考えているのか」
「当然です」
俺は即答した。
「日本国内だけで完結する貨幣制度ではありませんから」
明との交易。
朝鮮との交易。
海外との往来が続く限り、銭は必要になる。
「ならば、なおさら品質を揃える必要がある」
「ええ」
政弘が続ける。
「博多では、様々な銭が行き交う」
「知っています」
「中国から入ってきた銭もあれば、日本で鋳造されたものもある。さらに粗悪な私鋳銭まで混ざる」
「だから、撰銭が面倒になる」
「そうだ」
政弘が頷いた。
「そこを減らしたい」
「どうやって?」
「規格を揃えます」
俺は答えた。
「大きさも、厚さも、重量も」
「それだけか?」
「銅の配合もです」
「……そこまで管理するのか」
「むしろ、そこを管理しないと意味がありません」
銅を減らして鉛を増やした粗悪品と、きちんとした銭が同じ一文として扱われる。
そんな状態では、やがて市場から信用を失う。
「そして――」
俺は、もう一枚の銭を取り出した。
「粗悪な銭を回収します」
「回収?」
「はい」
「使えない銭を?」
「使えないなら、溶かして使えるようにする」
政弘が黙る。
「新しい銭を一から作るだけではありません」
俺は言った。
「市場にある銭そのものを、少しずつ良質な銭へ置き換えていくのです」
「……」
「時間はかかるでしょう」
俺は苦笑した。
「ですが、銅そのものが消えるわけではありませんから」
政弘は長く考え込んだ。
やがて――。
「面白い」
ぽつりと呟く。
「何がでしょう?」
「お前は銭を作ることだけを考えていない」
「……」
「市場そのものを作り替えようとしている」
俺は肩をすくめた。
「まあ、できる範囲で、ですが」
「それを私に手伝え、と」
「はい」
政弘は笑った。
「なるほど」
机の上の銭を指先で転がす。
「では、一つ条件がある」
「なんでしょう?」
「大内家がこの銭を使うとして――」
政弘は俺を見る。
「途中で品質を変えるな」
「……」
「最初は良い銭でも、銅が足りない、鋳造費が高い、利益が少ない。そう言って後から質を落とす銭師は珍しくない」
「それはしません」
「本当に?」
「はい」
俺は即答した。
「むしろ、品質を落としたら俺自身が困ります」
「なぜだ?」
「俺が信用を失うからです」
銭の価値は信用。
ならば――。
鋳銭司である俺自身が、その信用を守らなければならない。
「……よかろう」
政弘は頷いた。
「大内家でも使わせよう」
「ありがとうございます」
「ただし、最初から大量には無理だ」
「分かっています」
「まずは博多と山口で試してみる」
「十分です」
むしろ、それだけでも大きい。
博多。
山口。
そして大阪。
さらに京。
これらが繋がれば――。
新銭を流通させるための大きな道になる。
俺は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼はまだ早い」
「え?」
政弘は笑った。
「本当に信用されるかどうかは、これからだ」
「……」
「銭そのものではない」
政弘は言う。
「その銭を使った者が――『またこの銭を受け取りたい』と思うかどうかだ」
その言葉に、俺は少し考え込んだ。
なるほど。
やはり大内政弘は話が早い。
「その通りですね」
「では、やってみるといい」
「はい」
こうして――。
大内家からも、新銭を試験的に使用する了承を得ることができた。
◆
「……細川家に続いて、大内家まで」
帰り道。
大道寺重時が呆れたように呟いた。
「ああ」
「本当に上手くいくものですな」
「まだ始まったばかりだぞ」
俺は笑った。
「むしろ、ここからが大変だ」
細川家。
大内家。
二つの有力者が使う。
だが、それだけでは足りない。
商人が受け取らなければならない。
農民が使わなければならない。
寺社も受け取る必要がある。
そして何より――。
「市場で、普通に使えるようにする」
新銭を見た商人が、
――また鐚銭か。
と嫌な顔をするのではなく。
――ああ、これはあの銭か。
と、ごく当たり前に受け取る。
そこまで行って、ようやく成功だ。
「となると、次は大阪の商人ですな」
「そうなる」
「堺から来た連中は、なかなか手強いですぞ」
「だからこそ面白い」
俺は笑った。
商人は損得に敏い。
逆に言えば――。
儲かると分かれば、誰よりも早く飛びつく。
「新銭を使うと得をする仕組みを作る」
「具体的には?」
「それをこれから考える」
俺は大阪の町を見た。
道には荷車が走っている。
船が行き交う。
商人が声を張り上げる。
人が集まり、物が動き、銭が行き交っている。
その中心に――。
まだ誰も知らない新しい銭を流し込む。
「……さて」
俺は笑った。
「次は商人を口説くか」
そうして俺は、大阪の商人たちを集めるための話を考え始めた。
だが――。
このときの俺は、まだ知らなかった。
新しい銭を流通させようとすれば。
当然、それを嫌がる者も出てくる。
今まで銭の品質で儲けてきた者。
鐚銭を混ぜて利益を得ていた者。
そして――。
既存の銭の流通を握っている商人たち。
新しい銭が市場へ入る。
それは、誰かの利益が奪われるということでもある。
「……まあ」
俺は大阪の町を眺めながら呟いた。
「銭を作るだけで、敵まで増えるとはな」
だが。
そんなものは今さらだ。
政治も。
農業も。
商売も。
改革しようとすれば、必ず誰かが困る。
そして――。
困る者は、必ず抵抗する。
「それなら、それでいい」
俺は歩き出した。
「こっちも、やることをやるだけだ」
こうして。
俺の鋳銭事業は――。
いよいよ、大阪の商人たちを巻き込んだ本格的な段階へと入っていった。
◆
――それから数日後。
俺は大阪の主だった商人たちを集めていた。
場所は、大阪の商人たちが商談に使う一室。
畳の上には、米、塩、魚、布。
それぞれを扱う商人が並んでいる。
そして――。
堺から大阪へ移ってきた者たちもいる。
誰もが、こちらの出方を窺っていた。
「さて」
俺は正面に座ると、机の上へ小さな包みを置いた。
「本日は皆さんに、少し変わった話があります」
「変わった話、ですか」
一人の商人が眉をひそめる。
「ああ」
包みを開く。
中から出てきたのは――。
新しく鋳造した銭だった。
――チャリン。
一枚を机の上へ置く。
その瞬間。
何人かの商人が身を乗り出した。
「……銭?」
「見たところ、普通の銭ですな」
「いや」
別の商人が手に取った。
「少し違う」
「お気づきですか」
「厚みが揃っている」
「その通りです」
別の商人が指で弾いた。
――カン。
「音も揃っているように聞こえる」
「できる限り規格を揃えています」
「……なるほど」
商人たちの目の色が変わった。
さすが商人だ。
金になる話には敏い。
「これが、今後大阪で流通させる新しい銭です」
「新しい銭……」
一人が呟く。
「どこの銭です?」
「俺が鋳造します」
「……」
沈黙。
まあ、当然だ。
見たこともない銭。
しかも「俺が作る」。
不安にならないほうがおかしい。
「それで?」
年配の商人が口を開いた。
「この銭を、我々にどうしろと?」
「使ってください」
「……」
空気が止まった。
「それは困りますな」
別の商人がすぐに答えた。
「銭は信用が第一です。見たこともない銭を受け取って、あとで誰も受け取ってくれなければ、ただの金属の塊です」
「その通りです」
俺は頷いた。
「だから、受け取ってもらえる仕組みを作ります」
「仕組み?」
「はい」
俺は一枚の書類を取り出した。
「まず、細川家がこの銭を正式に受け取ります」
商人たちがざわつく。
「細川様が?」
「はい。すでに話はついています」
次に。
「大内家も使います」
「大内様まで……?」
「博多や山口でも試験的に流通させます」
今度は、商人たちが顔を見合わせた。
「つまり……」
年配の商人が俺を見る。
「細川家と大内家が、この銭を保証する?」
「保証というより、実際に使うということです」
「それだけでも大きいですな……」
「だからこそ、皆さんにも使ってほしい」
俺は新銭を指差した。
「細川家が使う」
一本。
「大内家も使う」
二本。
「そして、大阪の商人が使う」
三本。
「そうすれば、この銭は少なくとも畿内と西国の一部では、普通に使えるようになります」
「……なるほど」
商人たちは黙り込んだ。
俺は――もう一手出す。
「そして――」
「まだあるのですか?」
「あります」
俺は笑った。
「この銭を受け取ってくれた商人には、俺のところから優先的に商品を回します」
「商品……?」
「塩です」
「!」
商人たちの目が変わった。
「大阪で生産している塩です」
「まさか……」
「はい」
俺は頷いた。
「新銭で支払う商人を優先して、一定量の塩を卸します」
静まり返った。
だが。
その表情を見れば分かる。
――儲かる。
「もちろん、無条件ではありません」
俺は続けた。
「こちらも商売ですから」
「条件を伺いましょう」
「簡単です」
俺は笑った。
「新銭を嫌わないこと」
商人たちが顔を見合わせる。
「そして――」
もう一枚、紙を出す。
「新銭で支払いを受けた場合、俺のところへ持ち込めば、一定の割合で必ず別の商品に交換します」
「……つまり」
年配の商人が目を細める。
「この銭を持っていれば、大阪で商品を買える?」
「その通りです」
「そして、そこで買った商品を売れば……」
「また新銭が手に入る」
「……」
商人が黙る。
今度の沈黙は、さっきまでとは違った。
疑っているのではない。
――計算している。
頭の中で、利益を。
「なるほど」
一人がぽつりと呟いた。
「銭そのものを売るのではなく、銭を使うことで商売が得になるようにするのですな」
「そういうことです」
「これは……」
年配の商人が笑った。
「なかなか、えげつないですな」
「褒め言葉として受け取っておきます」
俺も笑う。
商人は儲かるなら動く。
銭を信用しろと説得するより――。
その銭を使えば儲かる。
そう思わせたほうが早い。
「ですが――」
一人の男が手を挙げた。
「問題があります」
「なんでしょう?」
「この銭が大量に出回れば、今までの銭を使っていた者が困る」
「ええ」
「そして、古い銭を扱っている商人からすれば、新銭は邪魔になる」
俺は頷いた。
「その通りです」
「ならば、妨害されるのでは?」
「されるでしょうね」
俺はあっさり答えた。
商人が目を丸くする。
「……そこまで分かっているのですか」
「もちろん」
むしろ。
そこを想定せずに始めるほど、俺は甘くない。
「ですが、それなら――」
俺は新銭を一枚持ち上げた。
「俺たちが先に市場を押さえればいい」
「市場を?」
「はい」
銭の交換場所を作る。
新銭と旧銭を一定の基準で交換する。
粗悪な鐚銭も、一定量までなら引き取る。
そして新銭を大阪で使えるようにする。
「つまり、銭を交換する場所そのものを作る?」
「そうです」
「それを、あなたが?」
「俺が管理します」
商人たちの間にざわめきが走った。
「それなら……」
一人が呟く。
「銭の価値が分からなくなった時でも、ここへ持ってくればいい」
「そういうことです」
商人たちが互いに顔を見合わせる。
そして――。
「それなら、試してみてもいい」
一人が言った。
「私も」
「私もですな」
「塩が買えるなら、新銭でも問題ない」
少しずつ。
声が増えていく。
俺はその様子を見ながら、心の中で拳を握った。
――第一関門、突破。
だが。
そのときだった。
「待っていただきたい」
低い声が響いた。
部屋の奥。
今まで一言も喋らなかった男が立ち上がった。
「私は反対です」
空気が変わった。
「理由を聞こう」
俺が促す。
男は新銭を手に取った。
「品質は確かに良いのでしょう」
そして。
「細川様や大内様が使うという話も、本当なのでしょう」
「はい」
「それでも――」
男は銭を机の上へ置いた。
「今まで使ってきた銭を、簡単に捨てるわけにはいきません」
「……」
「古い銭には古い銭の価値があります」
その言葉に、俺は少しだけ目を細めた。
なるほど。
これは単純な抵抗ではない。
この男は――。
古い銭を大量に抱えている。
「あなたの商売は?」
「堺で銭と金属を扱っております」
「なるほど」
そういうことか。
この新銭が広まれば。
今まで抱えていた鐚銭や金属の価値が変わる。
つまり、この男にとって俺の改革は――。
商売そのものを脅かす。
「だから反対なのか?」
「はい」
男は俺を見る。
「新しい仕組みを作るのは結構」
「……」
「ですが、そのために我々が損をする必要があるとは思えません」
正論だ。
改革というものは。
誰かにとって得でも――。
誰かにとっては損になる。
だから反発が生まれる。
俺は少し考えた。
そして――。
「では」
俺は笑った。
「あなたの持っている銭を、買い取ります」
「……何?」
「全部ではありません」
俺は続ける。
「使える銅は、俺が買い取ります」
「なぜ?」
「新銭の原料になるからです」
男が絶句した。
「鐚銭を嫌っているわけではありません」
俺は言う。
「銅として必要なんです」
これなら――。
古い銭を抱えている商人も損をしない。
俺は原料を確保できる。
市場からは粗悪な銭が減る。
新しい銭が増える。
――一石三鳥だ。
「……本気ですか?」
「本気です」
男はしばらく俺を見つめていた。
やがて。
「……考えさせてください」
「もちろん」
俺は頷いた。
商人たちがざわめく。
そして――。
一人。
また一人。
「私も試してみましょう」
「私もです」
「塩の取引なら、新銭でも問題ないでしょう」
そうして――。
その日の商談は終わった。
◆
「随分と思い切ったことをしましたな」
帰り道。
大道寺重時が言った。
「何が?」
「鐚銭を買い取るなど」
「必要なことだろ」
「銅が足りるのですか?」
「足りなくなるかもしれない」
「……」
「だからこそ、今のうちに集める」
俺は笑った。
新銭を作るには銅がいる。
だが、銅鉱山を新しく開くには時間がかかる。
ならば――。
今ある金属を回収すればいい。
「大阪中の鐚銭を回収してやる」
「……本気ですな」
「ああ」
そして。
俺はふと立ち止まった。
「ただし――」
「?」
「一つ気になることがある」
「何でしょう?」
「さっきの商人だ」
俺は振り返る。
もう姿は見えない。
「妙に反応が早かった」
「銭を抱えていたからでは?」
「それだけならいいんだけどな」
俺は新銭を指先で弾いた。
――カン。
乾いた音が響く。
「俺たちが新しい銭を作り始めたことを、誰かがかなり早い段階で知っている」
「……」
「そして、その動きを止めたいと思っている」
大阪で銭を握る商人。
堺。
既存の鋳銭に関わる者。
あるいは――。
もっと大きな相手。
「まあ、考えすぎかもしれないけどな」
俺は歩き出した。
「明日から、銭の回収を始める」
「承知しました」
「それと」
「はい」
「新銭を鋳造する工房の警備も増やしておいてくれ」
重時が怪訝な顔をする。
「まさか……」
「念のためだよ」
そう言いながら。
俺は少しだけ笑った。
銭を作る。
銭を流通させる。
銭を信用させる。
そして――。
銭を巡って争う者たちとも、戦わなければならない。
どうやら俺の鋳銭事業は――。
思っていたより、ずっと大掛かりな仕事になりそうだった。




