甲賀や伊賀の国人の調略に成功したし、言うことを聞かない国人は討伐しようか
さて、南近江や伊賀、北伊勢などの六角の影響範囲における近江の権利関係を解きほぐそうとしたが予想以上に複雑怪奇で頭が痛い所だ。
そして甲賀や伊賀の国人衆や地侍の調略を任せた風魔達が戻ってきた。
「流れ巫女の伝手もあり、甲賀望月家及び三雲、和田、隠岐、池田、青木、山中の諸家、伊賀守護仁木に従っていた服部や元は六角に従っていた百地などの調略に成功いたしました」
風魔小太郎の報告に俺はうなずく。
「ああ、よくやってくれた。
貧しい土地のものであることもあって話も通りやすかったであろう」
俺がそう言うと風魔小太郎はうなずいた。
「はい、そのとおりでございます。
彼らも食べるために必死なだけでございますゆえ、我々風魔がどのように遇されているか知ったこともあり多くはこちらによる様々な援助と引き換えに味方するとのこと」
そこで大道寺重時が言った。
「まあ、山内宮内大輔(政綱)などは従うつもりはなさそうだが」
俺はその言葉にうなずく。
「六角氏の一門でもある山内政綱はやはり難しいか。
守護代の伊庭貞隆や元は東軍だった蒲生貞秀はどうやらこちらに従いそうではあるが」
もともと六角高頼は、応仁の乱勃発の時にはまだ11歳と幼少であり、六角氏の西軍への参加は六角氏の一門である山内政綱と守護代の伊庭貞隆主導で決定されたらしい。
ただし、その関係は必ずしも円滑なわけではなく、文明11年(1479年)に伊庭貞隆と意見が対立した六角高頼が一色義直の邸宅に逃げ込む騒動を起こしていたりもするらしいがこれは越前の朝倉や美濃の斎藤などの様子を見て実権を握りたかったのだろう。
それでもさきの六角征伐の際には、六角家中はまとまって幕府軍に抵抗していが、将軍の病気や加賀一向一揆もあって討伐が中断されると、領地を返還して赦免されたい六角高頼と実質的に領地を放棄させられる国人の代表である、伊庭貞隆は素直に従えない状態でもあったようだが、訴訟そのものは行い、現将軍の意向に従った沙汰に対して納得しないで、力ずくでそれをひっくり返そうというやつは討伐し、それでもともと持っていた土地を他の国人に与えるようにして国人衆を整理したことである程度はまとまってきた。
いずれにせよ六角高頼たちは本領を失ったうえに、甲賀や伊賀への影響力も事実上失ったと見ていいだろう。
そして出仕してきた望月・服部などに俺は一旦風魔の下に入って行動するように言う。
「そして、六角高頼らの首に金をかけそれを領内に広く広めよ。
そうすればそのうちに奴らの首がここに運び込まれるだろう」
俺が風魔小次郎に指示をすると彼はうなずいていった。
「かしこまりました」
甲賀や伊賀の俺達の調略に乗った連中もうなずいた。
まあ、大変になるのは加賀一向一揆をなんとかしろというこれからがむしろ本番だと思うけども、その前に近江をもう少し安定させないといけないな。




