そろそろ息子の嫁や娘の嫁ぎ先も考えないとな
さて、弟の伊勢丹波守弥次郎盛興に津島の管理を任せて俺達は相模に戻ってきた。
しかし領地が西は尾張から東は相模と東西に細長くなって居るので、迅速に移動できるように、橋や渡し船も含めた東海道の街道整備と食料や兵員輸送の安宅船の確保をさらに迅速な情報伝達のために伝馬などの整備もしたほうが良いのだが、これをやるとまたすごく金がかかるのでとても頭が痛い。
織田信長や豊臣秀吉などは直轄地が少ないのが悩みのタネだったわけだが、急速な拡大をすればそれは仕方ないという部分はある。
もっとも信長の場合は親族である連枝衆も使えばもう少し直轄地を増やせそうでもあるが尾張統一までは親族同士で争っていたこともあって、親族であれば信用できるとは行かなかったのだろうし次々に討ち死にしていったというのもあるだろう。
もともと武士階級でなかった豊臣秀吉の場合は直臣における人材不足は更に深刻だったし、むしろよく日本統一にこぎつけたと言える。
だからこそ今のところ俺は自分であちこち動き回っているが、元服した北条左京大進新九郎氏綱の嫁や他の二人の嫁に出来た娘の嫁ぎ先もそろそろ考えねばならないだろう。
俺のときと違って京都の公家が娘を氏綱の嫁にさせたいということはあんまりなさそうでもあるかと思ったがそうでもないらしい。
「従一位・関白、太政大臣の鷹司政平や参議の日野勝光が養女を氏綱の嫁にしたいと言ってきているが、これは受けるべきか?」
俺がそう言うと大道寺重時がうなずいた。
「ああ、良いんじゃないか。
何だかんだと京の公家とのつながりがあったほうが、中央の情報が手に入りやすいだろう」
「まあ当然実家へも金を送る必要はでてくるけどな」
日野富子の兄である日野勝光は押大臣ともよばれ大きな影響力を持っていたが、息子の日野勝光にはその影響力は残されずあまり出世もしていないようだ。
一方の近衛家や正親町三条家はかなり影響力を強くしているらしい。
「あと、近衛家の妻との娘を今川本家に嫁として出すか?」
娘を今川の嫁にすれば関係も親密になるし」
俺がそう言うと風魔小太郎はうなずいた。
「それが良いかと」
大内政弘の母は山名氏だがその息子、大内義興の正室は長門守護代の内藤弘矩の娘なので家臣から正室を迎えるということも珍しくはない。
まあ後は姉上がそれを許すかどうかだとも思うが。
「できれば太田資康をこちらに引き込みたいところか。
父の太田道灌を扇谷上杉定正が疎んじて謀殺したように、一度は山内上杉に合力した大田資康の勢力を扇谷上杉朝良は疎んじているらしい」
風魔小太郎はうなずいた。
「では上田政盛同様にこちらへ引き入れるようにいたしましょう」
「ああ、頼むぞ」
太田道灌の甥で養子と言われる太田資家の子供の太田資頼やその嫡子の大田資顕は後北条についたりもしているので太田道灌暗殺は根強い不信感を植え付けたのだろうな。




