息子が元服したのでまずは取次の見習い仕事からやらせることにしたよ
さて、伊豆・西相模の治水・開墾事業の継続や甲斐・駿河・遠江の組織の明確化・再構築などに奔走しているうちにあっというまに文明17年(1485年)になった。
この一年でとりあえずは徴税や軍事などの組織系統の再構築はある程度は終わった。
まあこの手の仕事は完全に終わることは永遠になかったりもするが。
そして嫡男の千代丸も無事元服を行うことが出来た。
この日のために日野富子を通じて朝廷などに付け届けを行ったこともあり、俺は従四位下左京大夫に任官し、千代丸は従六位上左京大進の任官を受けることが出来た。
「元服をすましたお前は今日から北条左京大進新九郎氏綱と名乗り、我が北条と今川氏との申次の見習いから始めるが良い」
「はい、父上」
「うむ、早く私が家督を譲り楽隠居をできるように頼むぞ」
「は、はあ、それは当面先のことではないかと思いますが」
「何らかの理由で私が突然倒れるようなこともありえる。
そう肝に銘じるのだ」
「は、かしこまりました」
また書類には虎の印判状を用いるようにし、印判状のない徴収命令は無効として、郡代や代官による百姓・職人などへの違法な搾取を抑止し、違反したものは更迭することにもした。
また、箱根三所大権現や伊豆山権現の再建といった寺社再建事業にも踏み切った。
執権北条氏の古例に倣い、一色氏などの四職の家門の武家官位でもあった、左京大夫に任じられたことで、俺個人や氏綱の家格による権威付けも出来て、今川や上杉と同等という認識になっただろう。
もっとも扇谷上杉定正やその家臣たちなどの反発などはまちがいなくありそうだし、相模での戦いになる可能性が高そうな気もするな。
と思っていたら案の定「他国の逆徒」が北条を僭称するなど片腹痛いと言われることになった。
まああちらからみれば今までは部下だと思っていたものが対等の立場を名乗ったということは許せんのだろう。
他は言えもともと伊勢という家は上杉に家格で負けているわけでもないのだが。
「今年は間違いなく、相模川東岸の上杉朝長を叩いて相模国最大の荘園である大庭御厨を抑えることになるだろう。
西相模や伊豆の国人に合戦の準備をさせなければな」
俺の言葉に大道寺重時がうなずいた。
「まあ、そうなるよな。
これで今川に加えて上杉にも好きにこき使われることはなくなったのだろうが、本当に扇谷上杉定正と戦うことになって大丈夫なのか?」
「扇谷上杉定正自体は山内といがみ合っているからすぐには動けんはずだ。
両者がグダグダしているうちに兵を進めてしまったほうがいい。
遠江や駿河の兵は動かせないが甲斐の国人ならば豊かな武蔵への異動を伝えれば彼らの兵を動かせると思う」
「確かに甲斐の東側の土地は特に貧しいからな。
武蔵に土地を持てるならそちらのほうがいいというものもいそうだ」
「まあ駿河から遠江の掛川に異動した朝比奈みたいになっても困るからあたえる土地は程々にしないといけないが」
「なかなか面倒なことではあるな」
「全くだ」
直属の戦力を国人より多く持たねば彼らの顔色をうかがうことになる。
伊豆や西相模では対等な関係ではなく俺に従属している国人のほうが多いからまだいいのだが。
「新九郎の初陣は……まだ流石に早いか」
俺の言葉に大道寺重時がうなずいた。
「そう焦る必要はないと思うぞ」
流石に書類の取次と軍事運用を同時に覚えろというのは酷だろうしな。




