領地拡張後の組織の明確化・再構築というのは大変なものだ
さて、現状の俺は伊豆・西相模・甲斐・駿河・遠江を実質的に押さえているような状況だ。
それだけの領地があるなら三河や尾張の制圧など簡単ではないかと思えそうだが、そんな簡単な話ではなかったりする。
封建制軍隊の最大の問題は指揮系統が明確でないことだが、これは徴税や司法に関しても同様のことが言える。
遠江の福島や朝比奈が統治していた地域へは代官を優先的に送り込み差し出し検地をしたりして、貫高を出させ、地頭や小さな国人などには貫高に応じた軍役を行わせ、いざ合戦となった場合に代官の下に入るようにして代官の下にて直属で彼らを管理するようにすればいいのでまだ少しは早い。
だが、伊豆の狩野一族や駿河の興国寺城代の土肥富永氏、相模の津久井城の内藤氏、小田原城の大森氏や松田氏などは家臣扱いだから彼らに命じることはできるが、その領地には手を出せないし、甲斐の小山田氏や穴山氏、油川氏、今川分家や残っている重臣たちにはそもそも命令すらできない。
まあ、今川の家臣や分家に対しては姉上を通じて俺に従うようにさせることで実質的な命令を出すこと自体はできるけどな。
問題は甲斐で風魔が直轄している地域はともかく、国人達の影響が大きい地域では何かをするのはかなり困難だ。
無論のこと彼らがあからさまに敵対する様子を見せたら塩などを荷留したりすることはできるが。
そんな現状だが甲斐や遠江の長い戦乱で荒れ果てた耕作放棄地を再開墾したりもしている。
風土病の被害がひどい場所では無理に再開墾はせずに、住民には遠江などへの移住を進めさせたりもしている。
甲斐の荒れ具合もひどいものだが、斯波と今川で長い間争っていた遠江に関しての荒れ具合もひどいものだからな。
いずれにしても支配下に入った場所の人間などの軍事的・経済的・行政的な組織の再構築に俺は奔走しているのが実情で三河へ攻め込むなんてことは、とてもではないが現状では不可能なのだ。
そもそも足利幕府の第8代将軍足利義政が「諸国の御沙汰は毎事力法量」つまり、他国を侵略することも是認されたことで、司法権を放り投げ、それに伴って徴税権も失ったことで守護や守護代は、国人や家臣団に対する支配力を著しく低下させていたが特に遠江のような実質的な守護が明確ではない場所はそれが特に顕著だったのだな。
そういう点では名目上の守護は細川だったのだが吉良という足利名家が存在する三河はもっとややこしい場所になるので三河に手を出す前に遠江はきっちり組織がためをしなければならないのだ。
そしてこの手の作業には書類がつきものなので俺は今現在書類の山と格闘中というわけである。
それにしても東海や関東にはそもそも伊勢の地盤がないし、それ故に人材不足極まりないのが辛いよな。




