第2話 明かされる生存律(ルール)
「ギ、ギギャァァッ!」
醜悪な咆哮と共に、ゴブリンが跳躍した。
振り下ろされるサビだらけの鉈。カイの脳内には、VRMMO『レグナント・オンライン』の最前線で何万回と繰り返してきた、完璧な回避とカウンターのタイミングが弾き出されていた。
(右に半歩踏み込み、左下から切り上げる!)
思考と同時に肉体を動かす。だが、致命的な違和感がカイの動きを遅延させた。
体が、鉛のように重い。
レベル1へと強制的に初期化されたステータスと、仮想空間には存在しなかった現実の肉体の『質量』。ゲーム内では羽のように軽く扱えた自身の体が、今は泥水の中でもがいているかのようにひどく鈍かった。
「ちぃっ……!」
回避を諦め、カイは咄嗟に腰の長剣を引き抜いて防御姿勢をとった。
初期化され弱体化したとはいえ、この長剣は元トッププレイヤーの愛剣。最高級品としての「格」が、かろうじてその刃の強度を保っている。
ガァンッ! と、甲高い金属音と共に火花が散った。
鉈の暴力的な一撃を剣の腹で受け止めた瞬間、カイの腕の骨がミシミシと軋み、指先の感覚が麻痺するほどの痺れが走った。
「が、はっ……重、すぎだろ……ッ」
完全な力負けだ。そのまま押し込まれそうになった瞬間、カイの身体が「システム」の恩恵によって微かに熱を帯びた。
『 基本スキル【剣術 Lv.1】のアシストが起動しました 』
VR時代のような派手なエフェクトはない。だが、剣を握る手に微かな補正がかかり、最適な重心の移動先が本能的に「理解」できた。
カイは力で押し返すのをやめ、刃を滑らせて鉈の軌道を逸らした。自身の筋力ではなく、相手の突進力を利用した技術の冴え。バランスを崩し、前のめりに倒れ込んでくるゴブリン。
(ここだ……ッ!)
カイは、渾身の力を込めて長剣を振り抜いた。
肉を断ち、骨を砕く生々しい感触と共に、ゴブリンの右腕が宙を舞う。赤黒い鮮血が間欠泉のように噴き出し、生温かい血しぶきがカイの頬を濡らした。
「ギャッ……ア、ギギャアアアアアッ!?」
これまで画面越しのエフェクトでしか見たことのなかった、本物の「痛みによる絶叫」。
ゴブリンは切断された腕を押さえ、泥に塗れてのたうち回る。カイは荒い息を吐きながら、そのみぞおちに容赦なくブーツの踵を振り下ろして踏みつけ、喉元に血濡れた剣の切っ先を突きつけた。
「動くな。」
冷酷な殺意を込めた、低い声。
その瞬間、ゴブリンの濁った瞳に、はっきりと「死の恐怖」が浮かび上がった。
怪物は残った左手で頭を抱え込み、ガチガチと牙を鳴らしながら、必死に命乞いをするかのような鳴き声を上げる。戦意は完全に喪失し、ただカイという圧倒的な強者の前に屈服していた。
その時だった。
カイの視界を覆うように、バグったようなノイズ混じりの真紅のシステムウィンドウがポップアップした。
『 条件クリア。【対象・下級亜人】の完全な屈服・戦意喪失を確認 』
『 固有権能【絶対的隷従】が発動可能です 』
『 対象を隷従させますか? YES / NO 』
カイは喉を鳴らした。この怪物を殺せば、レベル1の貴重な経験値になる。だが、自分の権能の真価は「支配」することにある。
カイは迷わず『YES』のウィンドウをタップした。
直後、ゴブリンの悲鳴がピタリと止んだ。
怪物の生々しい肉体が、突如として真っ赤な「光のポリゴンデータ」へと分解され始める。それは空中に渦を巻き、カイの展開したシステムウィンドウの中へと、文字通り吸い込まれて消滅した。
『 対象のシステム権限を簒奪。隷従化に成功しました 』
『 対象を権能専用領域【隷属檻】に格納します 』
『 支配ボーナス・対象の討伐時経験値の50%を獲得しました 』
『 隷従特典・対象のステータスの1割を、プレイヤーの基礎値に加算します 』
システムのアナウンスと共に、カイの身体の奥底からじんわりとした熱が湧き上がってきた。失われていた筋力と感覚が、ほんの僅かだが戻ってくるのが分かる。同時に、視界の隅にある経験値バーが少しだけ上昇した。
「なるほど……。殺した時の半分の経験値は入るのか」
カイは虚空を操作し、新しく追加された【隷属檻】のメニューを開いた。そこには先ほどのゴブリンが、チェスの駒のような小さな3Dアイコンとなって格納されていた。
【 No.001:下級ゴブリン / 隻腕 】
[状態:ケージ内待機中(HP・欠損部位は時間経過で回復)]
[コマンド:実体化(召喚) / 帰還 / 遠隔視界共有 / 自立行動]
「生身のまま連れ歩く必要はなし。データとしてシステム領域に隔離しておいて、必要な時に、必要な場所にだけ実体化させられるのか」
さらには『遠隔視界共有』という機能まで備わっている。これを使い、小型の魔物を実体化させて解き放てば、自分は安全な場所にいながら、未知のダンジョンの構造や周囲の脅威を完全に把握できる「生きた監視カメラ」として運用できるだろう。
詳細を確認すると、この権能の「制限」を示す数値が刻まれていた。
『 権能制限:隷従個体には、種族・強度に応じた【統率コスト】が設定されています 』
『 現在の統率力: 1 / 10 (現在レベル:1) 』
『 構成内訳:【下級ゴブリン】(コスト:1) 』
『 プレイヤーのレベル上昇に伴い、統率力の最大値は拡張されます 』
「なるほど……固定枠じゃなくて、コスト制か。おまけにレベル依存」
カイは顎に手を当て、即座に思考を巡らせる。
現在の最大キャパシティは『10』。ゴブリンのような下級魔物がコスト1だとして、迷宮の奥底に潜むような強力なボスクラスのモンスターであれば、1体でコスト50や60、下手すれば100以上を平気で食い潰すだろう。
今のままでは、そんな化け物と遭遇しても絶対に枠が足りない。強大な魔物を隷従させるためには、自身のレベルを上げ、最大コストを引き上げ続ける必要がある。しかし、魔物を屈服させて得られる経験値は、普通に殺した時の半分だ。つまり、手駒を使って安全圏から魔物を狩り続けても、自身のレベルアップ効率は著しく悪い。
「圧倒的な軍団を作るには、俺自身も前線に立ち続ける必要があるってわけだ」
逆に言えば、この数字がカイに突きつけているのは「編成」の自由度と、冷徹な取捨選択だ。
コスト『1』の雑魚を限界の10体揃えて序盤の盤面を制圧するか。あるいは、今の最大コストである『10』を丸ごと使って、より強力な単体の魔物を狙うか。状況や敵の能力に合わせて、手駒の構成を最適化していく必要がある。
さらに、ステータス画面の最下部には、小さくも致命的な警告文が赤字で記されていた。
『 注意:実体化した隷従個体が消滅(死亡)した場合、当該個体はロストし、プレイヤーへのステータス還元バフは即座に解除されます 』
「……なるほど。使い捨ての自爆特攻みたいな真似は推奨しないってことか」
カイは微かに顔をしかめた。
ケージの中にしまっておけば、安全に手駒のステータスの1割を自分の力として上乗せできる。いわば「生きた装備品」だ。
だが、数を頼りに実体化させて前線に出せば、当然死ぬリスクが生まれる。もし戦闘の最中に強力な手駒が殺されれば、その瞬間にカイ自身のステータスが急落し、一気に死地に追い込まれる危険性を孕んでいるのだ。
「前線に出す手駒と、バフタンクとしてケージに温存する手駒。……この采配を間違えれば、一瞬で命取りになるな」
圧倒的な力には、それに相応しい強烈な制約とリスクが伴う。最高の縛りプレイじゃないか、とカイは血塗られた長剣を払い、静かに鞘に収めた。
元の世界へ帰る方法はおろか、ここがどこなのかすら分からない。ステータスは初期化され、かつて共に戦ったトッププレイヤーたちすら、次に出会った時に味方である保証はどこにもない。
そんな極限のサバイバルにおいて、最適な部隊を構築し、そのリスクを管理しながら盤面を支配するこの権能は、間違いなく生存のための最大の切り札になるはずだ。
カイが次なる獲物を求めて歩みを進めようとした、その時だった。
『 生存者15名の初期空間への定着、および初回戦闘の突破を確認。 』
『 これより、本世界における【基本ルール】および【クリア条件】を開示します。 』
脳内に直接、あの冷酷な女の声が響き渡り、視界を黄金のテキストウィンドウが埋め尽くした。
【生存律】
1. 最終勝利条件
世界各地の「神造迷宮」に隠された『創世のレガリア』を計10個確認。
最初に「3個」のレガリアをインベントリに納めた者を勝者とし、その先の道を開く。
2. PKへのペナルティ
他の「プレイヤー」を殺害した者には、即座に【大逆の罰】が執行される。
ペナルティ:全レベルの喪失(レベル1へ初期化)、および全装備・アイテムの完全ロスト。
※レガリアは殺害によって奪うことはできない。所有者死亡時、レガリアは世界に再配置される。
3. レガリアの譲渡
レガリアは、所有者が合意の上でシステム的に「譲渡」した場合のみ、その所有権を移転できる。
「……っ、殺し合いは無し、か。だが、レガリアは早い者勝ち。そして奪うには『合意』が必要」
カイは黄金の文字を読み解きながら、唇を噛んだ。
直接殺せないということは、相手に自発的にレガリアを差し出させる状況を作らなければならないということだ。
「……最悪なゲームだ」
だが、カイの口元には微かな笑みが浮かんでいた。
他プレイヤーを殺さずに追い詰め、降伏を余儀なくさせる。その一点において、カイの持つ【絶対的隷従】は、このルールに最も適応した凶悪な権能のひとつだと言える。
黄金のウィンドウが砕け散り、周囲に再び静寂が戻る。
耳を澄ませても、聞こえるのは不気味な葉擦れの音と、名も知らぬ怪物の遠吠えだけだ。他の14人のプレイヤーが放つような、強烈な闘気や気配は一切感じられない。
おそらく、この広大な世界の各地へランダムに転送され、それぞれが完全に隔離された状態で孤独なスタートを切らされているのだろう。
見えないからこそ、恐ろしい。
どこか遠く離れた場所で、あの規格外のトッププレイヤーたちが、それぞれの「独裁」と「開拓」を始めているのだ。
カイはもう一度、鞘から剣を抜き放った。
来るべき他プレイヤーとの遭遇戦に備え、戦力を整えなければならない。当面の目標は、コスト上限である『10』を埋め切ること。
「さあ、狩りの時間だ」
カイは、紫色の森の深部へと、一人足を踏み入れた。




