新しい事業を始めるぞ 1 カミル視点
今回だけカミル視点です。
ディアのデビュタントが終わり、婚約証書の取り交わしも国への提出もそれなりに穏便に完了した。
いや、穏便ではなかったか。
精霊王が八人も立ち会う婚約式なんて聞いたことがないな。
本来俺達はふたりとも、普通に、むしろあっさりと結婚式をやりたいタイプだ。
重要なのは実際に結婚してからのふたりの生活であって、その前のイベントは全て周りにいる人たちのためにやるようなものだ。
だからディアは、結婚式の衣装にも飾りつけにも全くこだわりがない。
義母上やスザンナが楽しそうに選んでくれているのが嬉しいのであって、派手に着飾ることには興味がない。
でも俺は北島で重要な地位についている王族であり、ディアは各国の王族と親しい妖精姫だ。
ふたりの結婚式は注目の的で、ルフタネン国民やベリサリオの人達も華やかな祭りを楽しみにしている。
特に今は、精霊王が迎えに来るという前代未聞の方法でデビュタントの場を退場したせいで、やっぱり妖精姫は普通の人間ではないんだという印象が、帝国貴族たちの中に浸透し、今後のイベントへの期待が嫌でも高まってしまっている。
その前に行われる皇帝の結婚式のほうが、帝国民にとっては重要じゃないのかと話しても、二年続けて大きなイベントが行われるというのが、暇を持て余している貴族にとってはたまらなく嬉しいんだそうだ。
彼らはあんなに散財して大丈夫なのか?
ここ何年か続いている大貴族の結婚式の経済効果が、とんでもないことになっているという話を聞いているんだが、つまりそれだけ多くの貴族が大枚をはたいているってことだろう。
ベリサリオみたいに使った金が自分の事業の儲けに繋がっているならいいが、俺達の結婚式が終わった後に破産する貴族が出てくるんじゃないだろうか。
帝国貴族だけじゃない、皇帝と妖精姫と二年続けて諸外国の王族が帝国に集まることを考えると、ルフタネンはもちろんのこと全世界で経済効果が見込まれる。
……派手にやるように言われるのも仕方ないな。
『カミル、ディアをあのままにしていいのか?』
精霊獣どもが心配しているのは、ディアがもうずっとソファーの隅に膝を抱えて座ったきり動かず、何か考え事をしているせいだ。
十七になってぐっと女性らしさが増したディアは、また美しくなった。
皆が彼女はもう人間ではないんだというのも頷けるくらいだ。
日差しの中では銀色にも見える淡い金髪がほっそりとした肩や腕に流れ落ちる様子も、強いまなざしが伏せられているために儚げに見える表情も、淡雪のように触れたら消えてしまいそうな様子だ。
ディアの性格を知らない男が今の彼女を見たら、人生をかけてでも守らなくてはと血迷いそうな透明感のある非現実的な光景なんだが、たぶん彼女はもう落ち込んではいない。
ディアが婚約式からもう何日も経っているのに、まだあの日のことを引きずって落ち込んでいるはずがない。
俺もディアドラも周りが言うように、もう普通の人間ではない。
それはもう誰もが知っていて、妖精姫なら仕方ないと呆気ないほどすんなりと受け止めていた。
二十五前後で年をとるのをやめて、三百年生き続ける人間がいると聞いても現実感が湧かないんだろう。
いや、現実だとわかっていても目を背けていたのかもしれない。
でも婚約式の日に俺達の家族や親しい人達は、改めて精霊王からその事実を目の前に突き付けられることになった。
誤解しないでくれよ。
精霊王に悪意があったわけじゃないんだ。
そろそろ心の準備はしておかないと駄目だぞ、くらいの感覚だったんだと思う。
それと帝国人もルフタネン人も平等に婚約式を行えるように、気を利かせてくれたんだろう。
婚約式をどちらの国で行うか、どこまでの人達を招待するかで揉めていたしな。
貴族の婚約と結婚は、帝国は皇帝のルフタネンは国王の許可がいる。
婚約式というのは結婚式のようなイベントではなく、家族という証人の前で、結婚の条件等を最終確認し合い、証書にサインして国に提出するという実務的な面が大きい。
だけど俺のほうは国王が家族なので当然出席するだろう?
ルフタネンの国王が出席するのなら俺も行くとアンディも言い出したので、だったら帝国でやるべきだ。いやルフタネンに嫁ぐのだからルフタネンでやるべきだと貴族も騒ぎ出し、俺達も出席したいと精霊王たちまで言い出して、
「私の婚約式なんだから、私のやりたいようにやるわよ!」
と、ディアの雷が落ちるという、もはやお約束の流れになった。
その結果、ルフタネンは国王夫婦とキースとサロモン、そして北島を代表してマンテスター侯爵が出席し、帝国はベリサリオ辺境伯夫妻とクリスとスザンナ、アランとパティ、帝国皇帝であるアンディとエルドレッド皇太子、そして帝国貴族を代表してパウエル公爵が出席することになった。
モニカ様はまだ婚約者なので出席できず、パティはディアの兄の婚約者なので出席できる。
そのへんのバランスに関しては帝国民ではない俺にはわからないが、重要な式になるからよく考えて出席者は最小限にという精霊王の言葉に従った結果の人選だ。
場所はそれぞれの屋敷から直接移動できる場所で、そこで会食も行える。
もちろんレックスやネリーたちと俺の侍従たちは、会場の準備や会食のために配置される
当日、ぞれぞれの屋敷に待機していた人たちの前に現れた精霊王が連れて行ったのは、広い草原と遠くに見える美しい山々、川のせせらぎの音がする自然豊かな土地にぽつんと佇む小さな屋敷だった。
屋敷を見るのは初めてだったが、その場所を俺とディアはよく知っていた。
普段大型化なんて滅多に出来ない精霊獣たちを遊ばせてやれる場所がほしいと思っていたところ、精霊王が用意してくれた空間だからだ。
将来の夫婦用の寝室から扉を開ければ行けるようになっている。
そしてここは、いずれ年をとらなくなり人間たちと生活することが困難になった時、俺とディアが生活する場所として精霊王が用意してくれた空間でもあった。
その説明を聞いた時の家族たちの顔は忘れられない。
すぐにいつもの表情に戻ったのはさすがだが、全員が愕然として呼吸さえ一瞬止めていたからだ。
「ここは……何もなくて寂しいのではない?」
「お母様、大丈夫です。まだ使わないからなにも用意していないだけです。それに私はいろんな国に行ってみたいと思っているので、ここにいる時間はあまりないと思います」
婚約式より、そう遠くない未来にディアが人間の暮らしをやめてしまうというインパクトのほうが大きくて、すっかり暗い空気になってしまった。
「今まで言っていた通り、ベリサリオには週一くらいで行くつもりですよ。もちろん兄上にも会いに行きます」
ベリサリオばかり心配すると兄上は拗ねるからな。
「モアナ、この空間を通って、それぞれの場所に行けるように精霊王がしてくれるんだよな」
『そうよ。そうそう』
暗い雰囲気におろおろしていたモアナが、ほっとしたような顔で答えた。
『それぞれの屋敷に、家族だけしか入れない部屋を作ってほしいの。そことこの空間を繋げればカミルもディアもそこにいつでも行けるでしょ? あなたたちもふたりの許可がある時はここに来ることも出来るのよ』
『王宮や皇宮に繋げるのはよく考えてね』
琥珀がいたわるようにアンディの肩に手を置いた。
『精霊の森の別宅に繋げるほうがいいかもしれないわ。それならモニカもディアに会いやすいでしょ?』
「そう……ですね。そうします」
「本当に人間をやめたんだな」
皇族兄弟にとっても相当衝撃的なことだったようだ。
着々と準備が進められているのを見て、急に現実味を帯びたのかもしれない。
「精霊獣を大型化させられるのはいいな」
「私の精霊獣も遊ばせていい?」
「どうぞ」
それに比べると俺の身内はあっさりしたものだ。
ディアはルフタネンに嫁ぎ生活の基盤が北島になるのに比べ、俺は結婚しても生活が全く変化しないというのが大きいのか、野郎の家族はこんなものなのか、その両方だな。
背中に衝撃を受けて振り返るより早く、右からも左からも精霊獣どもが体当たりをしてきた。
『早く話しかけろよ』
『やつらも心配しているじゃないか』
たぶんディアが考えているのは新しいお菓子のことか、ルフタネンで始める事業のことだと思うんだがな。
悩まないと答えを決められない問題はべつにして、たいていの問題は解決するために出来ることは限られている。
だったら悩んでいる時間に行動しようというのがディアの考え方だ。
そりゃあ彼女だって落ち込むことはあるし、傷つくこともある。
それでも、奇声を発しながらも力を振り絞って前に進もうとする強さが、彼女の魅力であり、心配なところでもあるんだ。
でもそろそろ現実に戻ってきてもらわないと、貴重なふたりだけの時間が過ぎていってしまうな。
普段ならすぐに隣に座って話しかけているんだが……、今は心配したディアの精霊獣たちが、引っ越しのために持ち込んだフェアリーカフェのマスコットを箱の中から浮かして、ディアの周りに移動して並べているおかげで、非常に可愛い空間が出来上がっているので、ついつい眺めてしまっていた。
膝を抱えて考え込む美少女と、その周りを取り囲む小さなマスコットたち。
季節ごとに新しいマスコットを限定販売するので、王都版とルフタネン版を合わせると結構な数になってしまう。
最近、ベジャイアにも新店を出したので、マスコット用の部屋を用意したほうがいいかもしれない。
「落ち込んでいるなら甘いものがほしいだろう」
小さなチョコを手にディアの隣に座り、ぼんやりと床を見ている彼女の顎に手をやって上を向かせ、唇の間にチョコを押し込んだ。




