2.宵闇の聖女(2)
かなり間が空いてしまいました、すみません。
聖女との面会で、アーロンはこの少女の正体を聞かされた。
曰く、彼女はこの国の民として今まで市井で暮らしていたが、親はなく、物心がついた時から孤児院で育ったのだそうだ。
「わたし、昔からお城を眺めるのが好きで…それで、祭典の際にアーロン様をお見掛けするのだけが、ずっと楽しみで…」
とろけるような瞳でアーロンを見つめる聖女を、さらに下がった目じりで見つめる宰相が言う。
「ミシェーラ様を見たものすべてが、この国難の時に現れた“宵闇の聖女”の伝説を連想しました。御覧の通りの艶やかな黒髪…花のように麗しいかんばせ、はちみつのような御声…すべて伝説の通りです」
宰相は歌うように語った。
”宵闇の聖女“とは、国難の際に現れるという救国の聖女である。国が宵闇のような難事に際していること、王族と同じ漆黒の髪を持つことなどから、”宵闇を照らす奇跡の聖女“という意味を持つ。彼女はその伝説の通り、歌声によって国民を癒し、混乱を沈め、王が不在の3年間を支えた。
「わたくし…最初は、ここが王宮だなんてまったくわかりませんでしたの。でも、みずからのやるべきことは、ちゃんとわかっていました。昔から、歌が好きでしたし…。心が赴くまま歌ったところ、王宮の皆さんが私を聖女と認めてくださって」
頬にうっすらと紅を浮かべ、聖女ははにかんだ。
「まさしく奇跡といえましょう」
「いえ、いいのです!私がこの国のためにお役に立てるのでしたら…!」
まるで小芝居でもしているかのようなやりとりに、アーロンは思わず半眼になった。ちら、とセレスティナを見ると、なんだかキラキラした目でやり取りを見ている。
「認めていただいたからには、わたくしは聖女の勤めを果たしたいと思っています…アーロン様の…お役に立てるなら…」
頬を朱に染め、ひざの上できゅっと手を握り締めて上目づかいでこちらをうかがってくる。その様子に宰相は感無量といった顔である。
その言葉を聞いて、アーロンの心はすっと冷えた。
「…それで。聖女である彼女を私の伴侶とするために、私の”元“婚約者であったセレスティナを…アストライア公爵令嬢を、何の罪状で処刑したのでしょうか?」
その言葉に聖女は息をのみ、宰相はさっと表情を変えた。
このような茶番を見せられてもなお、隣にふわふわと浮かぶセレスティナはニコニコとしている。何を以ってそんな顔ができるのか、アーロンにはわからなかった。
「国難にあって、彼女がどのような国家反逆を謀るのかわからない。国のため…王妃となるため、彼女が幼いころからたゆまぬ努力をしていたこと、私は知っている。そのアストライア公爵令嬢が、いったい何をしたという?聖女の出現により婚約者のすげ替えがあったとして、彼女が処刑される必要はなかったはずだが?」
アーロンは努めて静かな声で言ったが、その瞳には強い後悔と疑念があった。その顔を見て、聖女は眉を下げ、顔色を悪くする。
それをちらりと見やり、宰相は嫌な顔をして答えた。
「どのようなも何も、“国家反逆”だったのです。この国難にあり、彼女は国に害をなすものであった。殿下のおっしゃる通り、ミシェーラ様とのご婚儀に関して、アストライア公爵令嬢を弑する必要はありませんが、国に害をなす以上、生かしてはおけませんでしたから」
「…セレスティナさまは、決して悪気があったわけではないと思うのです…で、でも…」
当時のことを思い出してか、ミシェーラは小刻みに震えだした。泣き出したのかと、宰相もミシェーラの肩をなでる。
眉をひそめて、アーロンは続きを促した。
「セレスティナさまは…セレスティナさまには、私の歌による癒しの力を、打ち消してしまう力があったのです」
アーロンがそっと隣をうかがうと、セレスティナ本人も「はて?」といった顔をしていた。
「力を、打ち消す…?」
目線を戻しながら問うと、その言葉に宰相が神妙な顔で答える。
「ミシェーラ様の歌声は、それを耳にしたもののすべての不安を消し去り、穏やかな心を取り戻させることができます。しかし、アストライア公爵令嬢にはその効果を打ち消す”何か“がありました。妙な術を使った様子もなく、ミシェーラ様のように歌うこともせず、ただ彼女の近くにいるとその不安な気持ちや焦りが戻ってしまうのです。実際、アストライア公爵をはじめとした公爵家の皆様は、使用人に至るまでミシェーラ様の癒しを受けておりませんでした。さらには王妃教育の講師や王宮ですれ違う貴族やその他もろもろ…彼女と接触すると、何かしらの影響を受け、ミシェーラ様の癒しを失うのです」
『…そういえば、私が話しかけた方や、会釈をした方は、眠そうなお顔が少しはっきりするような印象を受けましたわ』
隣でセレスティナがポツリと答えた。
その言葉を目線で受け取り、アーロンは宰相につづきを促す。
「…ミシェーラ様の癒しの力は、国政に大きな影響を及ぼします。アストライア公爵令嬢により癒しの効果を奪われた大臣や貴族は、こぞってミシェーラ様の癒しを否定し、焦りや不安から議会が紛糾し、ミシェーラ様の歌によってまた平穏を取り戻す…そんなことが半年近く続き、アストライア公爵令嬢に嫌疑がかかったのです」
そのとき、ミシェーラの瞳から、ぽろりと涙が零れ落ちた。
瞬間、場の空気が一変し、アーロンは正体不明のものに感情を大きく揺さぶられた気がした。
―ああ、なんと愛しい娘なのだ、と。