第98話 晴天と陽光 2
『......以上の説明を踏まえてこれを。アイゼンには別にこちらをお願いしますね!』
えらく弾んだ声で封筒を渡される。男はゼデクに一方的な説明をしたことに満足し、返事を聞くまでもなく話を切り上げた。
『なぁ、エスペルト』
『では私はこれにて! また後で会いましょう!』
彼は、くるっと翻すとそそくさに去ろうとする。
『おい! 待てって!』
『なんですか、私忙しいんです』
『いや、だから勝手に話して完結するなよ』
彼の話は、
1.“鍵”の保持者である紅葉は絶対生かすこと
2.四季将は後のために極力生かすこと
3.できるだけ戦況を長引かせること
から始まった10にも及ぶ注文が連なっていた。司令書にも似たようなことが書いてあるのだろう。
エスペルト曰く、全ての項目を達成・維持できると“晴天”を戦場に引きずり出すことができるらしい。
『さらっととんでもないこと要求すんなよ。今の口ぶりからしてアンタたちは何をするんだ?』
千日紅国の頂点、即ち随一の実力者、“晴天の暁”。彼を始め、四季将をまとめて相手取るというのは、千日紅国を丸ごと相手取るのと同義だ。それをゼデクたちだけで戦うなんて無謀なことは要求しないはず。
そして、肝心なことに“晴天”を引き出すまでで説明が途絶えている。
『ほう、意外な反応ですね。 “晴天”の首なんてそうそうにないチャンス。貴方なら躍起になって狙いに行くと思っていましたが』
『......それは、そう、だな』
『というのは冗談で、実のところ貴方たちにそこまで期待してません』
『あ?』
イタズラにゼデクの欲を刺激させるエスペルト。彼はすぐ、その可能性を否定する。
『“晴天”は私たちが背後からバッサリいきます。ですから貴方は死なない程度に耐えてください。何なら逃げても構いません』
『俺たちは囮ってことかよ』
不満を隠さず、眉をひそめた。
『えぇ、囮です。文句は言わせませんよ? 私が私の目的の為に貴方を利用する。これはずっと前からの約束でしょう?』
ゼデクがレティシアに近づく為にエスペルトを利用する。代わりにエスペルトは何かを成し遂げる為にゼデクを利用する。彼と出会った頃からの約束だ。
『俺が囮になれば......お前は目標に近付けるんだな?』
『それはもう。これでもかってくらいに前進します』
『それが悪霊退治に繋がる』
『あぁ、意外と覚えが良いのですね。そうです、悪霊退治です。エライでしょう? 私、世界を救うために身を粉にしてるんですよ?』
彼は両手を胸に当てて、白々しくおどける。ゼデクはそれを黙って見つめた。しばらく流れる沈黙。
『......そこは何かツッコむべきでは?』
『レゾンやグラジオラスに、身の振り方について聞かれたことがある。俺は利用される側の人間だって』
唐突な話に目を丸めるエスペルト。
『自分の魔法が他と違うことは何となくわかる。現にアンタを始め、目を付けた人間がそれなりにいるわけだし、他人とは違って不思議な体験もした。よく考えて行動しろって言われた時、納得できたんだ』
『で、私を怪しいと思った貴方は今ここで、私を裏切る?』
ゼデクは今、半ば自立できている。そして、宰相という立場あれど、存外エスペルトと対等な立場の人物は少なくない。ペルセラル然り、グラジオラス然り、誰か他の人物の後盾を得た場合、エスペルトの要求や目的次第では約束を反故にすることも不可能ではないのだ。
『アンタを信じる。この先、アンタがどうなろうと俺は味方だ』
『例えどんなに悪事を働いても?』
『なんだよ、世界救うんじゃないのか?』
『その為にレティシア・ウィンドベルを犠牲にするかもしれません』
『それは無いって断言する』
エスペルトは首を傾げてみせた。なぜそんなことを断言できるのだろうか。おそらくこの少年は知らない。親しい者の裏切りを知らない。どこまでも純粋な少年だった。
『私が言うのもなんですが......もっと用心深くですね――』
『アンタは俺が見てきた中で1番胡散臭い人間だ』
『否定できないのが悲しい』
『でも......少なくとも約束を自分から破るなんて真似は絶対にしない人間だとも思う』
『なぜ?』
すると少年は気恥ずかしいそうに目線を逸らすのだ。あぁ、こんな純粋に育てた覚えはないのだが。エスペルトは内心で不安になる。
『ムカつくことに、俺がこの人生で1番長く見てきた人間がアンタだった。それだけの話さ』
少しだけ、心臓が跳ねるような感覚に襲われた。そして、すぐに握られるように締め付けられる。
『えー、そこは嘘でも光栄とか言っておきましょうよ』
『でもそれは何でもかんでも言うことを聞くって意味じゃない』
こんなことを言われたのは初めてだ。
『今はアンタに振り回されてるかもしれない。だけど、いつか自分で何が正しいのか悪いのか判断できるようになった時、自分の意思で選択できるように強くなる』
『......』
『だからもし、アンタが悪い方向へと進んだ時は俺が止めてやる。アンタの隣で戦えるような人間になってやる』
『うわ、傲慢君だなぁ〜。......大きく出ましたね』
エスペルトは、ちょっとだけ圧を込めた視線をぶつけてみた。昔よく使った視線。媚びへつらう文官は、よくこれで萎縮していた。
ゼデクの表情は凛としている。
『その為に、今日は1つ。俺は反抗しようと思う』
『味方なのに?』
『味方なのに』
『で、どう反抗するんですか?』
しかし、足元が若干震えていたり、手を強く握りしめていたりする。緊張している証であり、まだまだ青い証だ。そんな少年は意を決したように口を開いた。
『“晴天”の首は、俺が獲る』
◆
「君は騙されている」
「......」
「その中に潜む女に利用されているだけだ。体のいい文句を並べられ、騙されているだけ」
暁はゼデクに語りかける。
「君が戦う理由は何だ? 地位か? 名誉か? それとも家族、友達? あるいは恋人? 何であれ良く咀嚼して考えてみたまえ。わざわざこの“晴天”と対峙してまで戦うこと、それが君の願望に繋がることか?」
「何が言いたい?」
「君は戦うべき人間ではない。少なくとも君の背後で動いている奴らの言葉に耳を傾けるべきではない」
そして、彼は手を伸ばした。
「私の元へ来い。先に述べた願望くらい戦わずして叶えてやろう。私は彼らと違って君に戦いを強要しない。君は僅かな間、息を潜めているだけで良いんだ。何もせず、穏やかに過ごすだけ。魅力的な提案だろう? さぁ、無謀な要求など全て捨て、私の手を――」
「断る」
「......つまり君は彼らの傀儡として、私に殺されると?」
「どうせ手を取っても、アンタの走狗に成り下がるだけだ」
ゼデクは刀を構える。暁は急に懐柔という手段に出た。ゼデクの炎が、魔法が余程怖いのだ。しかし、それはゼデク自身ではない。あくまで中に存在する力を恐れている。
だから、今度は自身も脅威とならなければいけない。彼の恐れている力を、喉元に突きつける力量がある人物だと。
「......俺を利用してる奴はこう言った。“晴天”とまともに戦うな、と。でも俺は今アンタと対峙している。意味がわかるか?」
「......」
「俺はアンタの首を獲るって、自分の意思でここに立ってるんだ。他ならぬ自分の野望を叶えるためにな」
暁の顔に曇りが広がるのがわかった。
「人は時に幻想を持つ。昔見た何でもない景色、他人から見れば普遍な人間、たわいもない小動物に小物。幼い頃の情景が輝いていた故に、実際なんてことのない事象に、幻想的な光を......付加価値を勝手に見出す」
「......?」
「わからぬか? 女? 居場所? 宝物? 何に執着しているかは知らんが」
突然、ゼデクの真正面が歪みはじめた。熱い。熱による大気の歪みだ。
「君が見て、望んでいるものとは存外換えのきくものだということだよ」
すぐさま飛び退く。僅かな間の後、蒼白い炎が爆ぜた。
「アイツは今、何をしたんだ......?」
「......生きていたか。私の言うことを聞いていれば、もっと長生きを出来ていたものの。もっと美しい女、景色、宝物など探せばごまんといる」
再び視界が揺らめく。嫌な予感が周囲からゼデクを刺した。今度は囲まれている。
「......くそッ」
一面、蒼白く染まる。ゼデクは自身の炎で身を守った。それで防げるのだから、彼の中に眠る力と暁の力の間には何かしら因果関係があるのだろう。それが、“晴天”の首級という大挙へと導く鍵になる。
ロゾ然り、オスクロル然り、見えない相手との戦いは経験してきた。だが、今回のソレは今までの経験とは違う。炎そのものが見えないのだ。彼が使っている力はおそらく魔法だ。なのに魔力が全く感じられない。感じるのは嫌な予感と熱だけ。
その仕組みを解明しない限り、地雷の如く設置された爆炎を越えて彼の元まで行く必要がある。
「悪いが君に近付くことなく勝たせてもらう」
さらに暁は、見える蒼炎の塊を噴出してきた。見える炎と見えない炎。そのハイブリッドがゼデクの視界と脳に揺さぶりをかける。
『彼の力は魔法じゃないわ』
頭の中で声が響いた。恋する乙女の声。やはり彼女は何かを知っている。
「じゃあ何だよ!」
『あら。いつになく声を荒げて、随分と余裕がないのね』
「いつになく余裕がないのはお互い様だ」
余裕が無いなんてずっとだ。レティシアを追いかけると決めてからずっと。どれだけ力を溜めても強くなっても全然足りないのだから。おまけに今は情報も足りない。
『......人ならざる力、としか形容できないわ。彼は極限まで炎を凝縮させて隠している。貴方の前に展開されてるのは見えない炎の塊よ』
「魔法じゃない不鮮明な力は厄介だな」
見えない理由は何となく理解した。だが、打開策までに繋がらない。爆ぜる炎から逃げ続ける。これでは彼から遠ざかる一方だ。それだけで済めばまだ良いのだが、無差別な爆破は徐々に周囲の人間に矛先が向き始めた。
『ここまで言っても閃かない? あの力、私ととても相性が良いのだけれど』
確かにゼデクの炎は自然現象の理屈を超えて、彼の蒼炎を打ち消すことができる。
「......まさかそれって」
『ええ、そのまさかよ。向かってくる蒼炎、仕掛けられた地雷の数だけ貴方が私の炎でひたすらに相殺すれば良いじゃない』
簡単に言ってくれる、と内心毒突くも、彼女は真理を読み取ってるかもしれない。視界に収まるだけの蒼炎でも随分とある。見えない分も加味するに、全てを受け切りながら到達するのは難儀だ。時間がかかるし、視界も曖昧になる。その間に距離を取られることだって十分に考えられる。
『......と考えてるなら答えは出てる。圧倒的な速度で近付いて、彼に距離を取られる前に踏破して首を獲る、それだけよ』
いつになく刺々しい彼女。彼に“毒婦”と呼ばれていた辺り、相当憎たらしい相手なのだろう。
「......あぁーもー! やってやる!」
どうせやらなきゃ勝てないし、今のところ他に方法が浮かばないのだから――
気付けば蒼炎が眼前に迫っていた。どこまでも正確で嫌らしい攻撃。しかし、ゼデク全体を覆う蒼炎は、暁の視界から彼を隠すものだ。であれば、これが狼煙。ここからは、己の限界との勝負。
炎を自身の周囲に展開しながら、ゼデクは反転した。
◆
「......!」
違和感に気づいたのは、空気の流れが変わったからである。逃げ続けていた彼の決意と、中に眠る自身への憎悪の拡大が暁に反撃の開始を報せる。
本来ならば、心配に及ばない報せだった。ここまではそれなりに距離がある。いくらゼデクの炎が恐るべき力だったとしても、踏破する為の強さがまったく足りないからだ。
なのに胸騒ぎがした。そしてその正体はすぐ判明することとなる。
ゼデクの真っ赤な炎が、自身の仕掛けた蒼炎を相殺していく。それでも炎の供給が間に合わない瞬間が訪れる。両者の力量には、それだけ差があった。程なくして彼の背に蒼炎が届きそうになる。
刹那――
「......何?」
暁は眼を疑った。そこに炎に呑まれもがき苦しむだけの少年はおらず、消えたのだ。紙一重で躱し、少し離れた場所に現れる。
ひたすらに眼を凝らす。すると消える瞬間、彼が光を纏っていることがわかった。その時だけ、彼は異常な速さを帯びる。
酷く身に覚えのある力だった。昔、遥か昔に刻まれた記憶が呼び覚まされる。
「光魔法......またストレングスの系譜の人間か」
と言っても本人は自覚がないのだろう、暁はそう考える。眼が必死一色だ。生死の境目を走り続ける者の眼。おそらく彼は今、暁と蒼炎以外の事柄に意識を集中していない。
自身に迫る1つ1つの死から全身全霊をかけて回避する過程を延々と繰り返す。証拠に、回数を重ねる毎に増える攻撃を、常に紙一重で躱し続けている。
それは非常に危険な状態だった。彼にとっても......そして何より暁にとってもだ。常に手数や威力が増す攻撃に対して、彼は全部躱す。つまり彼はこの瞬間、成長しているのだ。それも覚醒と言っても過言ではないレベルの成長。
「これ以上、手の内を明かすわけにはいかんな」
周りに仕掛けた蒼炎を丸ごと彼にぶつけようとした時、暁の視界が揺らいだ。よく覚えのある揺らぎ。顔が熱を感じ取る。自身の熱ではない。これは――
「この一瞬で、我が術を真似て見せるかッ!」
極限まで凝縮されたゼデクの魔力が爆ぜる。暁は自身の防御の為に割いていた蒼炎をそれに当て、何とか防ぐ。相殺される爆風は、ただ土煙だけを残す。それが、絶対的強者である“晴天”に僅かな隙を生み出した。
「うぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおッ!」
煙が晴れると同時に迫るのはゼデクの刀。暁も咄嗟に蒼炎を纏う。だがそれは、ゼデクに帯びていた炎に打ち消され――
「その首ッ! 獲ったッ!」
放たれた一閃が戦場を釘付けにした。血飛沫と共に首が舞う。それを誰もが眼に焼き付ける。首だ。紛れもなく“晴天”の首だ。
ゼデクは手を伸ばす。あと少しで届く。遂に獲ったのだ。千日紅国の頂点に立つ、“晴天”の暁の首を。
ぐわんぐわんと回りながら落ちる暁の首。その首を手が掴んだ。そう、手が掴んだ。
他ならぬ、“晴天”の暁の手が―




