第99話 晴天と陽光 3
およそ900年近く前、身体を得た。
『コイツの身体手に入れんのは苦労したんだ。ホントは憎くて憎くてぶっ壊してやりてぇが、我慢してやる。精々大切に扱ってくれよ』
魔法使いを――人類を裏切った道化が用意した身体だ。千日紅国の初代“天”。当時は“轟天”の名を冠した大剣豪だった。
それを人ならざるバケモノは手に入れる。人の身体を手に入れたとしても本質はバケモノ。バケモノは本体であり、母体でもある主の願望に則して、ひたすらに人を食べ続けた。
少なくとも、“轟天”の顔を知る者が消える時代になるまでは、影で人を攫っては食べ続けた。他の個体と好みは別れたものの、暁にとって、とりわけ心根に芯のある人物は最高だった。
食べる度、人としての理性・知性を獲得していく。共に人による食欲が衰退するのを感じた。これが、自分の個体としての限界なのかもしれないし、人に近付いているのかもしれない。
証拠にブローディアの女王――サフランはずっと食べ続けていた。暴食の域だ。彼女は人であれば何でも良いらしい。
やがて数百年と時間を重ねるごとに、“轟天”は名前だけの存在と変わり行く。顔を知っている者はおろか、本当に正確な伝承を知る者は極一部しかいなかった。
国が衰退を始めた。それどころか六国が衰退を始めた。やがて暁に及ぶ者が減っていく。彼は機を見て国の頂点に立った。民衆は“轟天”の再来の如き強さだと誇った。当たり前だ、なんせ身体は彼の全盛期を維持しているのだから。
しかし彼の顔をもう知る者はいない。誰も“轟天”の骸が立っているとは知らない。やがて彼は国を支配する。そして、操りやすい傀儡を求めた。
最初の候補に挙がったのは、朧。今はエスペルト・トラップウィットと名乗っているらしい。
『......あやつは逃げたよ』
かつての剣豪だった老人が吐いたセリフだ。実力がありながら、心が“天”という重圧に耐えきれず亡命したのだろう。そういう意味で彼は軟弱だ、と暁は思った。
代わりはすぐに見つかった。瞳を閉ざした上に、歳行かぬ故、道理を知らぬ童だ。それも力だけは一級品の。
彼を育て上げた時、半ば成功していた。達成していた。六国全体で見れば、3番目ではあったが、暁が為すべき計画は殆ど遂行できていたと言えるだろう。
彼の目的はただ1つ――
◆
思考が止まる瞬間だった。いや、ここにいる何人が理解できただろう? ゼデクは振り切った刀を翻すこともなく、ひたすら目の前の光景を見続ける。
首を飛ばした。“晴天”の首を飛ばした。で、首と胴が別れたからには、普通に考えて死ぬ。人間なのだ。異常な自己修復能力で抉られた腹や斬られた腕が治る話は聞いたことがあるが、心臓や頭といった絶対的な致命傷から復帰できる事例など聞いたことがない。
なのに、なのにだ。
「......え?」
飛んだ首を手が掴む。“晴天”自身の手が掴む。首から流れた鮮血は、やがて濁った緑色へと変わっていった。人間はあんな色の血を流したりしない。
周囲の人間もバケモノを見るかのような目をしていた。
「......なんだその目は? 疑っているのか?」
ビクッと皆が震える。切断された首が喋った。
「我は頂点にして全てを統べる存在、“晴天”なり。これしきで死ぬ訳なかろう」
『早く防いでッ!』
その声でハッとする。ゼデクの頰に蒼炎が走った。すぐ側まで刀が迫っている。知らぬ間に、首を掴んでいない方の手で、彼は刀を振るっていた。
まずい――
身体は伸びきっている。だから、手元にある刀を戻すとか悠長なことは考えない。ゼデクは命懸けで回避へと手段を選択した。とっさに真下へ身体を持っていくように炎を噴射する。
それでも間に合うかどうかわからないレベルだ。正直、なぜここまで思考が回れているのかすらわからない。これが走馬灯というものなのか、あるいは本能的に導き出したものなのか。
いずれにせよ、出来なければ死ぬ。この時、彼が本当の意味で頭の中を支配していたのは、迫り来る死からの逃避と、生への絶対的な執着だ。
しかし、それは全て杞憂に終わる。
「......!」
暁が動きを止めた。かと思うと、刀を持っていた腕が飛ぶ。ゼデクが生に近付くにつれ、視界が広がり始めた。地面に落ちた彼が見上げた先に、暁がいる。そして、彼の背後から斬りかかった人物が――
「......くそッ」
僅かな安堵と共に出た呻き声にさえ、嫌悪感を抱く。エスペルトだ。ついに介入されてしまった。彼は暁の腕を素早く斬り落とすと、胴を横一文字にねじ伏せようとする。しかし間に合わない。それはゼデクでもわかった。左右から圧迫する高熱を感じ取ったからだ。
エスペルトはゼデクを小脇に抱えると、その場から離脱する。蒼炎が暁を呑み込んだ。
「わぁ、バケモノ」
彼は嬉々とした声を上げる。彼には見えているのだろう、あの業火の中の様子が。やがて、炎の中から五体全てが元通りになった“晴天”が姿を現わす。
「はいっと!」
エスペルトは片腕を振る。それに伴い、地面からいくつもの短刀が展開された。さきほど退いた時に仕掛けたのだろう。あまりの手際の良さに、ゼデクは感心する。
「ひとりでに動く短刀、か......なるほど」
不気味な笑みを浮かべながら、暁は自身を囲む短刀を見つめた。
「そこそこ力量がなければ見抜けんな――」
短刀が発射される。彼は刀を片手に舞った。本当に舞いのような動きだ。ほぼ同時に発射されたと言っていい短刀群を丁寧にいなす。適切な位置に回避し、撃ち落とす数を最小限に抑える。そして一本だけ掴んだ。
「ほうれ、捕らえた」
ぐいっと短刀を引く。
「あっ」
エスペルトの間抜けな声が響いた。ゼデクごと身体を引っ張られる。そこで彼は気付いた。暁の見えない蒼炎地雷の仕組みを理解した今ならわかる。糸だ。彼は魔力を極限まで凝縮させ、視認できないレベルまで細めた糸で短刀を操っていたのだ。
「ふっ、隙だらけだぞ」
「わ〜殺される〜」
エスペルトは何をするわけでもなく、ふざけた口調で流れに身を委ねるだけ。故にゼデクは焦った。今度は2人まとめて斬られる。
「お、おい! はやく――」
「すでに手遅れよッ!」
暁が声を荒げた瞬間、彼の背後が金色に輝いた。
「......と、思うじゃない?」
「!」
振り返る。そこには“黄金の英雄”――ライオール・ストレングスが剣を構えていて――
「はッ!」
強烈な閃光を伴った剣が暁を襲う。彼はあっさりと短刀を手放すと、辛うじて刀で防いだ。
「今の防がれちゃうか〜」
「生憎、直前まで“光”魔法を見ていたからな。異常な速度には嫌でも慣らされたよ」
会話もそこそこに、2人は剣戟に移行した。黄金と蒼白い光が交錯する。それを音が僅かに遅れて追随した。やはり“英雄”と称されるだけあって、あのバケモノ相手に一歩の引けを取らない。
「やけに悔しそうな顔ですね、ゼデク」
「当たり前だろ。アンタたち来る前までに仕留めたかったんだよ」
やっと呼吸を取り戻し、落ち着けることができたゼデク。
「でも、勝ったようなものだったでしょう? 何せ首を刎ねたんですから。貴方は人としての“晴天”の首を刎ねた」
「いや、首刎ねても動くし治ってるじゃねえか。アイツ何だよ。本当に人間か?」
「いいえ、悪霊です」
「......」
「......」
さらりととんでもないことを言う。アレがエスペルトの悲願であり、ゼデクが手助けすべき存在である悪霊だと言うのか?
「と言っても本命ではありません」
「どういう意味だ?」
「数あるうちの1つってことです」
エスペルトは混乱した戦場を駆け巡ると、ある場所を目指した。
「だから本命の練習をしましょう」
「はぁ? あれこそ本命みたいな強さだろ」
「確かにそうですね。実質本命の一部です」
「どっちだよ」
途中、邪魔をする何人かを斬りふせると、目的の場所へとたどり着く。
「隣からこんにちは〜。これで役者が揃いましたね」
突然現れたエスペルトに、困惑する秋仙の姿があった。彼も今の状況について行けない1人だろう。何せ身内であるゼデクすら動揺を隠せないのだから。
「では、これから皆さんで悪霊退治といきましょうか」
そんな人々をからかうかのように、エスペルトは道化地味た笑みを浮かべるのであった。




