第91話 荒天と守護 2
『......ごめんなさい』
床の上で座る彼女に、妻にそう告げられた時、初めて神を呪った。いや、何よりも自身を呪ったのかもしれない。アイゼン・フェーブルはそう思う。
『間違いないんだな?』
『はい』
凛とした表情で答えられる。奇しくも彼らは、同じ病に心臓を侵されていた。
『くそ、伝染は無い筈なのに』
『貴方の所為ではありません。......あれだけ医師に診て貰ったじゃないですか』
そう、あれだけ医師に診て貰った。2人揃って、何度も何度も診て貰った。結婚する前、妊娠する前、ウェンディが産まれる前、ずっとずっと妻は大丈夫だと聞いていた。
だというのに、こうなってしまった。もはや運命に近い何かだろう。アイゼンは妻の膝で眠る幼い娘を見つめる。彼女は無事なのだろうか? ここまで来れば、現在の医学など宛にならない。
そして心配ごとはそれだけではなかった。
『この子が大きくなるまで、私は持ちそうにありません』
『......頼む、そんなこと言うな』
何とかしなければいけない。散々、自分の身勝手に付き合わせてきたが、流石にこれは看過できない。アイゼンは手の限りを尽くした。
『病を治す方法、ですか。できたらとうの昔に貴方を治していましたよ......そうですね、そちらに割く時間を増やしましょう』
唯一、彼の事情を知るエスペルトに尋ねた。昔から彼の治療を試みていたエスペルトに、無理やり問い詰めるアイゼンの話を、彼は嫌な顔1つせず聞いてくれた。
『わかった、可能な限り手配しよう。貴様にも、しばらくの休暇を命ずる』
自身のことを隠し妻の容態だけを伝えるアイゼン。普段は彼に不機嫌さを隠さないグラジオラスは、珍しく彼の為に動いた。
『ウェンディに悟らせるわけにはいきませんから』
痛みを隠し、娘の前で平穏を装う妻。
『今日で8歳になったのね!』
彼女は内心理解していたのだろう。床の上でどれだけ身体を休めようと、もう快復など望めぬことを。
『貴女は好きに生きれば良いのよ? 戦場に出ずとも、家柄なんか気にしなくても。私たちがそうだったように、好きに生きるの』
だから彼女は、必死に生きた。病などなかったら、こうしてたであろう、そんな人生を痛みに耐えながら必死に生き抜いた。
『パパだって好き勝手してるんだもの。無茶して、戦場駆け回って楽しいだなんて。不思議な人よね〜』
反論する余地なんてなかった。彼女に安静して、少しでも延命しろだなんて言えなかった。本当はそうして欲しかったが、言えなかった。彼女自身がそう生き抜くと決めたのだから。
そして、アイゼンの奮闘も虚しく、彼女は旅立った。
◆
「最後まで手を出さずに見ているだけとは......薄情だな」
地面に横たわる“守護神”。そちらに顔を向けながら、霞はそう発した。
「奴が選んだ生き場所よ。横槍を入れれば、怒りを買う」
船体の上から彼らを見下ろす者が1人。グラジオラス・ウィンドベルだ。
「次は汝の番だ。七栄道は残り5人。難なく仕留めてみせよう」
“守護神”と称されるのだから、おそらくアイゼンがキングプロテア王国の中で、最も防御に秀でてる人物だ。それが斃れた今、霞の魔法を防ぐことができる者は誰もいない。
「全く、困ったものだな。貴様もそんな身体だとは聞かされていなかったぞ、私は」
だが、グラジオラスは眉1つ動かさない。今まで病状を隠していたアイゼンにため息を吐く。
「......死人に話してどうなる」
「エスペルトめ、この事も隠していたか」
無視をするグラジオラス。それに違和感を覚えた。彼の音は焦りを感じさせない。
「そういえば貴様は盲目らしいな」
「......?」
「ならばよく耳を澄ました方が良いぞ」
鼓動が聞こえる。忘れるはずもない希望に満ちた鼓動――
「......また油断。これで2回目だ」
グラジオラスの不敵な笑みが、アイゼンの拳を呼び起こした。それは確実に下顎を捉え、霞を宙へと連れ去る。
「あー、痛ってーなぁ」
再び船体に身を沈める霞を見て、肩を回すアイゼン。いたるところから、血を流してなお、彼は立ち上がる。
「俺が死ぬまで手ェ出すんじゃねーぞ、グラジオラス。お前は今、負傷するべき人間じゃない」
今、負傷するべきではない。ここで加勢すれば有利になることなど明らかなのに、それを否定するアイゼン。彼の性格からして、水を差す行為を嫌うのは当然だが、それ以上に意味を含んでいるようだ。
「その口ぶり。さては貴様、何か知ってるな?」
「ん? ......やべ。まぁ、なんだ。どうせここまで来たら後は全部俺がやるって話だよ。戦力の温存! 温存!」
「......ふふふふふ」
土埃の中、笑みが溢れる。彼は、本当に不思議な存在だった。この際、何故生きているのかは尋ねない。おそらく自身そのものにも防御魔法を張り巡らせていたのだろう。
「何故、そうも希望に満ちていられるのだ?」
「あ?」
「病に虐げられている、脆き者よ。このまま戦えば汝は死ぬ。だというのに何故、そこまで平然としていられる」
霞は立ち上がった。
「大人しく床で寝ていれば良いものを......」
「ごちゃごちゃうるせーよ」
そう切り捨て、彼は構えた。拳を握る。強化魔法の類か、彼の腕が鋼色に染まった。
「病気だから寝てなきゃいけない理由なんてねぇ。どんなことがあっても俺は俺として生き抜く、そう決めてんだ」
別に大人しくしてることが悪いわけじゃない。むしろ、安静にしていた方が利口だろう。当たり前だろう。しかし、アイゼンは戦場で生きると決めた。それは、仮に病に侵されていなければ、生涯かけて生き抜いたであろう場所。
「お前らが俺の護るべきモノを脅かす以上、俺はこの場から絶ッ対に降りねぇ」
「......」
霞は片腕を伸ばす。空が再びかがやいた。今までにない感情が、彼の中で渦巻いている。敗北に虐げられるかもしれないのに、不快な音を立てない者がいる。いや、彼なら最後まで心地よい音色のまま果てるのかもしれない。
「“天哭”」
魔法の名を口ずさむと、雷が落ちる。普通に直撃すれば、グラジオラス諸共消し飛びかねない威力の雷。だというのに、それが塞がれた。上空に展開された魔力の盾が雷をはね返す。
どうして? どうしてそこまで前向きでいられる? 霞の胸中が乱れ始める。このまま戦えば死ぬのに、彼は微塵も揺るがない。これまで“晴天”に教えられ、信じてきた真理に亀裂がはいった。
そこで、1人の兵士が船内に転がってくる。戦いの末、ここまで落ちてしまったであろう千日紅国の兵士。彼はアイゼンの真横まで転がったところで止まった。やはり不快な音を奏でる兵士だった。
眉を潜める霞とアイゼンを、兵士は交互に見渡す。そして、恐怖で顔を引きつらせた。“荒天”の前で無様な姿を見せれば、何が起きるかわからないからだ。
「ちょうどいい」
アイゼンは兵士の胸ぐらを掴んだ。
「おい」
「ひ、ひいっ!」
「お前らは何の為に戦う? アイツの身代わりになって、砲弾を受けた味方は見たか? アイツの犠牲になってまで戦う理由はなんだ?」
兵士は一瞬、呆けた顔をする。何故、このタイミングでそんなことを聞かれるのか。
「答えろ」
「わ、我らが千日紅国の勝利のためだ! “荒天”様は我らを勝利へと導いてくれる」
「さらに聞く。お前は勝利の先に何を望む」
「く、国と民の安寧だ! なんでそんなこと――」
「じゃあ、答えてみろ。アイツはお前たちを護ってくれるのか? アイツの言う勝利の先に、お前たちや民衆の安寧はあるのか?」
「......」
そこで兵士が言葉を詰まらせた。それは、禁忌の失態。その疑問が、“天”の怒りに触れる。
「......要らぬよな? 敗北に虐げられている汝らは、勝利以外に何を欲するというのだ?」
「あ......あ」
兵士の顔が絶望に彩られていく。この後の展開が予想できたからだ。
「汝は“天”を疑った」
霞がカマイタチを飛ばす。迷うことなく兵士へと突き進むカマイタチ。しかし、アイゼンの腕がそれを防いだ。
「......敗北に虐げられてるだの、不快な音だの言ってるがよ」
混乱と安堵の表情を浮かべる兵士を見ながら、彼は口を開いた。
「俺にはコイツらが、アンタに怯えてるように見えるぜ。“荒天”様よ」
アイゼンが発した言葉。それは確実に、霞の中にある真理の亀裂を広げた。
「......」
兵士の音色が変わった。不快さが僅かに薄まり、彼の中で安らぎが広がる。キングプロテアから勝利を勝ち取っていないのに、敗北から抜け出せてないというのに、明らかに彼の中にある闇が取り除かれ始めている。
この時、“荒天”の思考がそれ一色で染まった。弱者であるのにも関わらず、勝ちを得ずして不快な音を消す。今までの自分には出来なかったこと。
「......確かめる必要がある」
ここまで心をかき乱す存在は何なのか? 渦巻くものは何なのか? おそらく、この男であれば答えを出してくれるに違いない。
「最大の試練をもって、汝を叩き潰そう。病に侵されし脆き者よ、これを見て尚、汝は希望を持ち続けるか?」
空へと手をつき伸ばす。真っ暗な曇天。そこに、かつてないほど眩い光が灯された――




