第90話 荒天と守護 1
彼が奏でる音は、これまでにない類のものであった。
「......おい」
そこらの雑兵・民草のように虐げられているわけでもなく。
「おい」
“晴天”のように物静かなわけでもなく。
「聞こえてるだろ」
“四季将”のようにどこか諦観があるわけでもない。
「返事くらいしろよ、もう1発ぶん殴るぞ」
「......ならばそうすれば良い」
“守護神”に殴り飛ばされ船体の中、土埃を気にする様子もなく、“荒天”は、霞は立ち上がる。真正面に彼が立っていることがわかった。およそ情熱的という概念を理解していない身であったが、もしそんなものが存在するのであれば、彼の中にあるものこそ、そう呼べるのかもしれない。
「......お前、さっき味方を犠牲にしただろ」
「......?」
「砲弾を部下を使って防いだだろ」
「......それがどうかしたか?」
すると、“守護神”と称される男から怒気が膨らむ。不思議とそれが心地良かった。少なくとも彼は、敗北なんぞに虐げられていない。
「気に入らない」
「砲弾を撃ったのは汝だ」
「あー、そーだな。俺が殺した」
「ならばそこに議論の余地は――」
空を切る音がする。拳だ。霞は風魔法を使い、風圧だけで拳を止めた。
「お前には自力で止められるだけの力があるじゃねぇか」
「......」
つまり、部下の命を使わず自力で止めろ、と言いたいのだろう。
「......ふふ。なんとも難儀なことだ」
「あ?」
「価値観の違う者に、理解を求めるのは難儀だと言ったのだ」
霞は腕を横一文字に振る。彼の挙動に、風が付き従った。カマイタチと化した魔法は、アイゼン・フェーブルへと襲いかかる。しかし、その攻撃は届かない。鋼色に硬質化した腕が、易々と攻撃を弾く。
「あれは必要な犠牲よ。勝利の為、彼は礎となった」
「ほう、おもしれぇ。そこまでした勝利の末に、お前らは何を望む?」
今更、犠牲だの死人だの喚くつもりはないが、味方を軽々しく盾に使うような男の理念は気になる。アイゼンは話を聞くことにした。
「......?」
「どうした? あるんだろ? 目標かなんか」
「異なことを訊く。勝利以外に何か望むものがあるのか? 勝利こそ全てではないか」
首を傾げる霞。その様子から、彼が本心で話していることがわかる。
「......あ?」
「そうだな、強いて言えば、耳障りな音が消えることぐらいだが......」
何か重要なものが欠如している。アイゼンはそう感じた。
「あぁ、汝らの音は心地よい。不思議なものだな、どうして汝らは勝利を得る前からそのような音を奏でられるのだ?」
「音......?」
「特に汝。どうしてそのような境遇で、そんなにも希望が満ちているのだ?」
ここでアイゼンが共感できることはただ1つ。
「......お前と価値観が合わないことだけはわかった」
構えを取る。性格はどうであれ、相手は只者ではない。強者だ。戦うと決めた以上、油断はできない。アイゼンは自身の魔法で砲弾を創りだした。
「先からそうだと言っている。しかし不便よな。ここには汝の弾を撃つ砲などないぞ」
「あー、訂正するのを忘れていた――」
アイゼンはそのまま砲弾を片手に持つ。霞は悪寒を覚えた。相手の筋肉が軋む音から、何をしようとしているのかを察知する。
「これは撃つんじゃなくて、投げるもんだ」
砲弾が放たれる。彼は身体強化魔法で、およそ人が投げることのできない砲弾を放ったのだ。
一直線に飛んだ砲弾は、霞に命中し爆ぜた。土埃が舞ってもアイゼンは手を止めない。船体が悲鳴を上げるのを無視して、どんどん砲弾を放り込む。
「......狭いな」
爆音の中、声など聞こえるはずがない。しかし、アイゼンの耳には確かに、そう聞こえた。次の瞬間、彼は屈んだ。これまでの戦闘経験からか、本能からか、そうすべきであると身体が判断した。頭上の空気が揺れる。僅かに遅れ、船体の上部が消し飛んだ。
「今、汝は攻撃を躱した」
「それが何だよ」
屋根を失った地面に、豪雨が降り注ぐ。
「今の一撃を防がなかった所為で、何人かは死んだだろう」
「......」
霞は空を仰ぐ。
「当てよう......防がなかったのではなく防げなかったのだ。次の一撃で、汝は消える。せめて最後まで、その希望に満ちた音を絶やさないでくれ」
空がほんの一瞬だけ輝いた。
「誰がやられるって――」
「聞こえるぞ、心臓の悲鳴が」
「......ガフッ!」
突然アイゼンが苦悶の声を上げ、吐血する。その隙を霞は逃さなかった。
「やべぇ、身体が......」
「病を抱えて戦場とは......愚かなものよな」
膝をつく彼の頭上に、容赦なく雷霆が降り注いだ。




