第66話 少年と修羅 2
「秋仙様がお見えです」
「整列!」
キリッとした声と共に刀を帯びた兵士たちが廊下の隅に並ぶ。しばらくすると喧騒どこへやら、静寂が訪れた。その中を1人の男が歩く。
――光景には似合わぬ静けさだ。
と、心の中で笑っていると戸の前に着いた。
「荒天様は?」
「中でお待ちです」
「わかった」
1番近い距離で跪く兵から聞き終えると、戸を開いた。一面の曼荼羅とお香の匂いが広がる。僅かに暗い闇の奥には菩薩が――人間が鎮座している。もはや菩薩と言っても過言ではないだろう。風貌はおろか、仕草まで同じだった。強いて違う点を挙げるなら、少し細身で若々しい印象があるぐらいか。
「......来たか」
声がかけられる。ただし、聞こえてきたのは正面からではなく横から。心なしか声の方が明るくなったように感じた。そちらを向くと秋仙の予想通り、男がもう1人。真っ白な装束、首に勾玉。まるで神のような容貌だ。
「はっ、“千日紅国四季将”が1人、秋仙、只今参りました」
今度は秋仙が跪く。彼が跪く相手はこの国で3人しかいない。1人は彼の師。そして残る2人は目の前にいる彼らだ。“双天”。千日紅国の頂点に君臨する者。“荒天”の霞と“晴天”の暁。彼らは一通りの挨拶に満足したのか、秋仙の正面に座る。
「“鍵”の様子はどうだ?」
暁が口を開いた。“鍵”とは秋仙の妹、紅葉のことだろう。
「平静でございます。少なくとも暴走はしません」
「そのような意味ではない......まぁ、良いだろう。若いうちは許してやる。これもあるしな」
と、彼は腕輪のようなものチラつかせる。秋仙はそれを食い入るように見た。彼が指す様子とは“鍵”が暴走していないかどうかではなく、兵器として機能できるかどうか、という意味である。そして彼がチラつかせた腕輪、それは――
「これさえあれば、いつでも戦場で真価を発揮させられる」
ーー嘘だ、そんな代物ではない。そう心中で叫ぶ。腕輪はいわば、制御装置のようなものだ。それさえ聞けば良い響きだ。しかし、それはただの制御装置である。一度、蓋を開けば“鍵”の中にある全ての魔力が暴走するだろう。そうなれば今の紅葉では抑えきれず、目も当てられない惨事になる。秋仙は、彼が持っているうちはまったく安心できなかった。
「欲しいか? くれてやらんでもないぞ」
「......!」
思わず目を見開く。だが、その言葉には続きがあった。
「ただし条件がある」
「......何なりと」
「七栄道......特に先代の“天”に君臨していた裏切り者の首を取ってこい」
先代の“天”、これには少し語弊がある。エスペルトは幼少の頃から千日紅国の頂きである、“天”の地位を約束されていた。しかしある日、彼はその地位も権力も投げ捨て国外に出た。今となっては2人いるが、その後釜になったのが“双天”なのだ。
秋仙はもう1人の“天”、霞を見る。盲目の彼は、静かに秋仙たちのやり取りを聞くのみだった。何も言葉を発さず、ただ瞳を閉じながら禅を組むだけ。それが秋仙には不気味で仕方なかった。常に衆目で発言する暁と違い、真の意味で腹の底が読めない人間。だが、それ以上に気になるのは――
「先代の首......と言うことは」
「あぁ、ついに始めるぞ! キングプロテア王国に侵攻する! ルピナス攻略の先手は取られたが、依然として我らの優勢は揺るがん」
◆
「そう、そのままじっとして」
「あ、あぁ」
地面に座るゼデク。その周りにレティシアは結界らしきものを張り巡らせた。
「これは?」
「結界よ。貴方の力が暴走した時のための」
説明は程々に、険しい顔で結界の綻びがないか確認するレティシア。彼女はそのままゼデクの方を向き直ると、
「ねぇ......」
躊躇いがちに尋ねてきた。
「何だ?」
「貴方の中にある力、一体何なの?」
「俺もわからない。でもエスペルトたちが目を付けていることだけはわかる」
悪霊退治に必要な力で、六花の紋様に過剰反応していて、初恋を追いかける自称“恋する乙女”。存外パーツはあるものの、他人に説明しても疑問しか浮かばないだろう。ゼデクは詳細を省くことにした。で、今からそんな彼女に会いに行く。もちろんゼデクの魔法をコントロールするためにだ。
「レティシアもこんな危険なことやってたのか?」
「う、うん! でも大丈夫だよ! この通り無傷で成功できたし!」
両腕をグッとして健在をアピールする。そんな微笑ましい光景の裏にどれほどの努力があったのかなど、考えるまでもない。きっと壮絶なものだ。ゼデクの思考を他所に、彼女は恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「......その、ありがとう、ね」
「え?」
「え、えっとね、ゼデクが居てくれ......ううん、何でもない! とにかく安心して! もし力が暴走しても私が止めてみせるから!」
何か誤魔化すように手を振る彼女に戸惑いながらも、ゼデクは頷いて応えた。
「じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
その言葉を最後に意識を己が魔法に集中させた。それだけで、景色が真っ白になる。中央には例のごとく燃える“鍵”のようなものが。そして、その下に球体がもう1つ――
「よぉ!」
「......は?」
ゼデクは素っ頓狂な声を上げる。居ないはずの人間がここに居たからだ。半裸の男が槍を担いで立っていた。かつてゼデクに稽古を付けてくれた人、プレゼンス・デザイアの息子である、トレラント・デザイアだ。
「なんだよ、そんな顔して」
「いや、え? 何でアンタがここに? いつから?」
「ずっと居たさ。ただ、お前がやっと俺に意識を向けた。それだけのことだ」
放心するゼデク。トレラントはお構いなしに続ける。
「まさかお前、死人と修行してただなんて言うんじゃないだろうな? それは無理ってもんだ。いいか、俺はな――」
急に声が途切れ、口だけを動かすトレラント。やがて、自身の異変に気付いたのか喉に手を抑えると、ゼデクの背後に抗議の目線を送った。
「いいえ、貴方がいけないのよトレラント。話して良いことと悪いことがある。ゼデクが今、知って良いことと悪いことがある。その悪いことに貴方は触れた。それだけよ」
皮肉混じりの声が背後から聞こえた。やっと頭が状況に追いついてきたゼデクは呆れながらに振り返る。
「で、アイツは何でいるんだ?」
彼女がいた。ゼデクの魔法、恋する乙女が。
「貴方の光よ。それ以上でもそれ以下でもないわ」
トレラントを冷たく切り捨てた彼女は、ゼデクに嬉々とした顔を向ける。
「それにしても嬉しいわ! また逢いに来てくれたのね? どう? ルピナスから少しは強くなった?」
「あぁ、少なくとも前進はしてるぞ」
相変わらず彼女の要求レベルは高い。オスクロルと戦ったあの時以上の強さを求めているのだ。もっともゼデクも足りないと思っているのは同じだが。
「そう! 日々邁進! そして燃やしましょう、恋の炎を!......って何よ、2人してジッと見つめて。わかった、見惚れてるのね? ダメよ? 私には誓った人がいるんだから――」
呆れ顔のトレラントと、感慨深そうに見つめるゼデク。しばらく彼女の言葉に耳を傾けながらゼデクは口を開いた。
「アンタ、やっぱ似てるよ」
「似てる? 誰に?」
「誰って、レティシアに。俺のこと知ってるなら、多分アイツのこと知ってるよな?」
本当に似ていた、瓜二つだ。つい先ほどまでレティシアを見ていたから改めてそう思う。違うのは雰囲気と服装と、身体の端が燃えているか否かくらい。それに彼女は笑う。
「似てないわよ」
「似てる」
「似てない」
「いや、絶対に似てる。家族か何かか?」
珍しく、頑なに折れないゼデク。やがて根負けした彼女は遠くを眺めた。
「繋がりはないわよ。あったとしてもそれは――とても遠くて薄い繋がり」
「......一応繋がりはあるんだな」
「もー、うるさい!」
彼女は濁すように話を切ると“鍵”のようなものへ駆けて行った。そして、
「ほら、今日はこれが目的でしょ? なら早く片付けましょう!」
手招きした。ゼデクは顔をしかめるとトレラントの方を向いた。彼は呆れ顔のまま、指のみでゼデクを促す。それに従った。
「これから蓋を開ける。まずは少しずつ、でも最終的には全部開けるつもりだ」
「あら、ようやくね! やっと自立できそうでなりより!」
レティシアの説明によれば、それで今まで魔法に抑えてもらっていた魔力を自身で制御することになる。そしていつでも望む分だけ引き出せるようになるのだ。しかし、それは引き出せるだけで、その後はどうなるかわからない。使いこなせるのはゼデクの身の丈にあった分量のみであって、常時それ以上を望もうなら、暴走まっしぐらだろう。
「でも何れは全てをコントロールしてみせ......おい、その仕草はやめろ。そういう意味じゃない」
彼女は両腕で自身を抱き寄せ、ダ、ダメッ、変態と呟いている。被害妄想全開だ。それにゼデクが白けた視線を送っていると、咳払いと共に姿勢を正した。
「冗談よ。さ、今度こそ始めましょう! じゃあ手を伸ばして――」
そこで言葉を止める。同時にゼデクは、背筋を凍らせた。殺気だ。それも覚えのある殺気。つい昨日感じたばかりの殺気。トレラントのような死人や彼女のような魔法ならともかく、自分以外の人間がこの場に来れるはずなどないのに――
「う、嘘だろ......?」
ゼデクの魔法空間に姿を現わす男が1人。
「少しずつだと? 甘えるな、最初から全開だ。全て捻り出せ」
背後にいた獅子は――修羅のような男は静かにゼデクを見下ろしていた。




