第64話 少年と試練 3
木々に囲まれる中、1人深呼吸をする。少女は――レティシア・ウィンドベルは瞳を閉じた。普通であれば視界は真っ黒になる。しかし、広がるのは真っ白な世界。しろ、シロ、白。そして目の前に光る鍵のようなものが1つ。己が魔法の世界だ。
この世界の中で瞳を開く。自らを“鍵”と認識して以来、毎日訪れた場所を眺める。見惚れた時もあった、恨んだ時もあった。今はどうか? きっと恨みはないし、絶望もない。
「今日は......あなたと決着をつけに来ました」
そう“鍵”に告げる。当然返事はなかった。でも、彼らには意思がある。だから彼女は何となく宣言してみた。
手を伸ばす。これから“鍵”の中にある力全てを引き出す。膨大な力を持つ“鍵”。それが未熟な少女の中に収まっている。いつ溢れ出してもおかしくないのに暴走を起こすことはなかった。なぜか? それは“鍵”......否、魔法自身が蓋をしているからだ。力が溢れ出ないよう、暴走しないよう抑え込む。人は魔法を引き出す時、その蓋を少しずつズラしているのだ。自らの身の丈に合う量を引き出し、使う。
だから、本来の“鍵”としての機能を果たすためには、レティシア自身が蓋を開け切り、中にある力を制御するしかない。当然失敗すれば暴走する。周囲はおろか、広範囲に渡って被害が出る。これまで彼女は少しでも多くの力を引き出せるよう努力してきた。兄、グラジオラスの元で毎日毎日。しかしその時間も有限だ。刻一刻と迫る戦火の波は、これ以上許してくれない。グラジオラスは危惧を覚え、ついに国随一の実力者であるペルセラル・ストレングスにそれを託した。レティシアは悔しそうな兄の表情を忘れることができない。
「......わかっていた」
力をコントロールできないのは、グラジオラスの所為でないことを。
「本当はわかっていた」
もう、準備はできていることを。兄との何年にも及ぶ修行の日々で何度も何度も確かめてきたことを。あと自分に足りないのは勇気。暴走を恐れず、圧倒的な意思の強さで力をコントロールするだけの勇気。失敗すれば暴走するだろう。そして、近隣全てを更地に変える。この山も下にある村も。
――下にある村。
それにレティシアは気後れする。なんせその村はゼデクと初めて出会った村、ココ村なのだから。彼は気付いていない様子だったが、修羅のような男、ペルセラル・ストレングスは最初からそれを狙っていた。失敗すれば暴走だけではすまない、そんな脅し。思い出の場所を消さない為にも、逃げる手段を消す為にも、彼はその場を選んだ。
だから、レティシアは躊躇っていた。一週間、物怖じしていた。するとどうだ? 今度はゼデク本人が来たではないか。さらに悪化する状況。でも、少し安堵も覚えた。彼と再び会えたことに、話せたことに。勇気が湧いた。彼だけは何があっても失うわけにはいかない。
“鍵”に触れた。あとは思いっきり引くだけ。
「私は決めた。戦う覚悟も、理由も、あなたをコントロールすることも、全部決めたわ。あなたはどう?」
魔法は人を選ぶ、それが本当なら......“鍵”が自身を選んだことに意味があるのなら――
「私と共にッ! 戦う意思を示してッ!」
そう叫び、強く手を引いた。
◆
「ならば、ここで果てよッ!」
怒号を纏ったかのような木刀が、ゼデク目掛けて振り下ろされる。それがやけにゆっくり見えた。きっと、これが走馬灯というものなのだろう。避けられる気がしなかった。自分は死ぬのだろうか? 瀬戸際になってそう思う。
このまま死ぬのだろうか? 男の理不尽に振り回され、自分の力を出し切ることなく惨めに死ぬ。これまでの努力全てが水泡に帰す。せっかくレティシアの元まで来たのに、色んな人に支えられて来たのに――約束1つ守れずに死ぬのだろうか? 本当に全て無駄になるのだろうか?
『良いか......今は生きろ。生きて、もっと強くなれ......皆は反対するかもしれないが......ワシはお前のような男が......姫様の伴侶となること......楽しみに待っているぞ』
プレゼンスの死も。
『そうですか? 私は貴方を信じていますよ。貴方自身を信じています。いつか悪霊退治できる程に強くなると。それ以上に、貴方だったらレティシア様の元に辿り着くと』
エスペルトとの捻くれた日常も。
『いつか......いつか2人で気兼ねなく暮らして、お話するの。だから――』
レティシアと交わした約束も――
嫌だ、死ねない。と、ゼデクは目を見開く。死ねるわけなかった。ここまで来るのに多くの犠牲が、願いが、約束があった。それがこんな所で失われるなどあってはならない。それだけは嫌だった。格上との戦いなんぞ、これが初めてではない。むしろ、これまでの戦いの殆どがそうだった。オスクロルなんて絶望的に強かった。それでも今日、ここにいる。ここで生きている。
目前まで迫る木刀。やはり回避は間に合わない。だからといって死ぬわけにはいかない。せめて、自身の拳を突き出すことくらいはできる。
「ウォォォォォォォオオオオオオオッ!」
今できる最大限の力を振り絞って拳を振るった。生と死の境で、生きたいという願望に執着する一撃。ゼデクの想いに応えるかのように、それは木刀と重なり眩い光を起こした。何かが折れる音が響く。
「......ほう」
男は自身が持つ木刀を見た。先端が見事に粉砕され、使い物にならなくなっている。ゼデクが折ったのだ。彼自身に宿る炎魔法を使わずに、彼の拳で。男は視線を地面に戻した。しかし、ゼデクの姿が見当たらない。代わりに頭上が明るくなって――
「貰ったァァァァァ!」
光を伴った拳が、男の頭に命中した。猛烈な風と共に吹き荒れる砂埃。ゼデクは確かな手応えを感じ、地面に降りる。砂埃の中、微動だにしない男。それは彼の足元を見ればわかった。
「......やり過ぎたか?」
あまりに反応がないので、少し不安になる。いや、もはや彼の身を案じる義理などゼデクにはないのだが。それでも微かに残った罪悪感にゼデクが苛まれていると――
「脆弱だ」
ブォンと轟音が鳴る。それと共に振り払われる砂埃。ゼデクは自分の目の前に止まる拳に気付くまで、何が起こったかわからなかった。男の姿が現れる。あれほど勢い良くぶつけたのに傷1つなく、血を流している様子もない。
「脆弱な光だ。しかし、それは確かな光よな。ストレングスの血を引く者よ、今の感覚、絶対に忘れるな」
すると男は拳を下ろして、背を向ける。
「......へ?」
そして呆然とするゼデクを他所に小屋の方に歩き出した。
「お前も早く小屋に戻れ。数日何も食らってないのだろう?」
それだけ言い残して去っていく男。その背中をしばらく眺めると、ゼデクは仰向けに倒れる。
「はは、生きてるよ......」
何がともあれゼデクは今日、男に一撃を与えることができたのであった。




