第6話 天使様の困り顔
いつからかあたしの魂は、ギロームの歩調に合わせて、まるで糸が絡まった風船みたいに、ふわりゆらりと引きずられていた。
あたしの右手はギロームの踵を……銀のハイヒールを掴んでいた。
これだけは、魂だけの腕でも掴めるのね……
溺れたような状態から、板切れを掴んだ程度の状態になって、あたしは少しだけ落ち着いて、辺りを見回す余裕ができた。
亡霊達の苦しげな顔には、死霊魔道に殺された時のただ怖いとか痛いとかだけでなく、荒海の中でわらを握ってもがき続けているようなもどかしさがあった。
あたし自身が霊だけの身になっているから、目には見えない、気持ちのエネルギーを感じ取れる。
亡霊達がすがりつく、わらのように頼りない拠り所……
その正体は、死霊魔道への恨み……
例え一瞬でも恨みの心を忘れると、亡霊達は溺れてしまう。
肉体が溺れても死ぬだけだけど、魂が溺れた先にあるのは消滅。
それだけは嫌。
だから全ての意識を恨みに集中させて、でもそのせいで、目の前に天使が居るのに気づけない。
何人もの天使様がたがしきりに呼びかけているけれど声が耳に入らないし、天使様が亡霊の手を掴もうとしても、ちょうど人間が亡霊に触れようとした時みたいにすり抜けてしまう。
たくさんの宗教家の人達が、魂こそが尊くって肉体には大して意味がないみたいな言い方するのを聞いてきたけど、とんでもない。
あの人達は死んだことがないんだ。
肉体は、意識しなくても呼吸をするし、意識しなくても心臓が動く。
本人が死にたい云々願っているような間でさえも、体は活動を続けてくれる。
だけど魂オンリーの状態では、少しでも消えたいなんて考えがよぎれば、本当に消えてなくなってしまう。
こんな苦痛の中で溺れ続けているぐらいなら、消えてしまった方が楽なんじゃないかって感じもするけど、だからこそ亡霊達は死霊魔道を恨み続けているわけなのね。
あたしがあれこれ考えている間にも、亡霊はギロームへの無意味な攻撃を続けている。
亡霊には、自分が襲っている相手が死霊魔道なのか他の人かなんて区別はまるでつけられない。
死霊魔道への恨みを晴らしたい、恨みを晴らすまでは消えられない、そうでも思っていなければ消えてしまう。
そう思い込んでいるんだわ。
本当は、消える前に天使様が助けてくれるのに。
ふと顔を上げると、あたしを迎えにきた天使様が、先ほどと同じ姿勢のまんま、根気強くあたしを待っていた。
あたしは……
天使様が守り導いてくれるなら死ぬことなんて怖くないし、両親は口には出さないけれどあたしにかけられた呪いのせいで苦労していて、弟はハッキリと“姉貴なんか居なくなっちまえ”って言ってるし、友達も居ないし、これといった夢もないし、恋にもガックリきたばっかりだし……
それでもあたしは、天使様へと伸ばしかけた手をそっと引っ込めた。
銀のハイヒールを掴んだまんま。
天使様は困った顔であたしを見た。
そりゃそうよね。
せっかく救助しにきた相手が、沈みかけの泥舟に戻ろうとして、しかもその泥舟は海賊に占拠されてるみたいなもんなのだから。
だけど天使様は、無理にあたしを連れていこうとはしなかった。
階段を降り続けるギロームと一緒にあたしも踊り場を回り、天使様の姿は見えなくなった。




