第9話 先生の魂
呪文が聞こえる。
この呪文をまるまる暗記したら、あたしでも魔法を使えるのかしら……?
無理ね……
そんな簡単に真似できるなら、魔法がただの迷信みたいに言われたりなんかしないだろうし、そもそも最後まで聞いていられない……
「どうなってるんだッ!?」
突然の怒声がギロームの呪文をさえぎった。
……ベルナリオさん……?
ソリア人形をギロームに突きつけて……
「ソフィア先生の魂はどこへ行ったんだ!?」
「・・・諦めろ」
激高するベルナリオさんに対して、ギロームの声は相変わらず淡々としている。
「そんな……何でこんな……ッ! アンタの言うことを聞けばソフィア先生を助けるって……ッ!」
「・・・見ての通り、傷一つつけていないぞ」
ギロームが自分の……ソフィアさんの体を示す。
「ふざけるな! 先生の魂がなければ何の意味もないじゃないか! ソフィア先生を返せ!!」
「・・・わからんな。・・・何故、魂の有無にこだわる。
・・・それに、返せだと? ・・・もともとお前のものでもないし、お前のものになろうという気も、ソフィアとやらには微塵もないぞ。
・・・お前は先程からこの器の主をソフィア先生と呼んでおるが、この者はソフィアとソリアのどちらなのだ?
・・・私をこの器の主と間違えて話しかけてくる者に何度も逢ったが、ソフィアとソリア、二通りの呼び方があった。
・・・思うに血縁や私的な付き合いの者には愛称で呼ばせ、仕事等の公の場では本名を使っているのであろう。
・・・お前はどちらだったかな、可愛い教え子のベルナリオ君?」
うわ、容赦ない。
ベルナリオさん、完全に言葉をなくしてる……
「・・・器だけあれば良いではないか。・・・お前の思い通りにできるぞ」
ギロームがベルナリオさんに体を擦り寄せる。
逃げるなら今がチャンスなんだけど、あたしの体は動かない。
……ジャリ……
ギロームの服の下で、何か奇妙な音がした。
「・・・心など邪魔なだけだ」
……ジャリ……
ギロームはつま先立ちをして……
……ジャリジャリッ……
ベルナリオさんにキスをした。
「!!!」
ベルナリオさんはソリア人形を放り出して、泡を食って飛び下がった。
相手を突き飛ばすのではなく、自分の方が飛び下がった。
さっきまでの威勢は、もうどこにもなくなっていた。
「・・・愚かしいな」
見下すでも、あざけるでもない、虚ろな響き。
「・・・私はこの器には何の思い入れもない」
ギロームがベルナリオさんの肩に手をかける。
ベルナリオさんは身をよじりつつ、それでも欲に逆らえないのかハッキリ逃げるわけでもなくて、再び唇が重なる。
……ジャリ! ……ジャリ!
……ザザザザザ!!
ギロームの服の襟や袖口がブワリと広がり、その奥から……
まるで巣を脅かされた蜂のように、無数の黒い物体が飛び出してきた!
あれは……
陶器のカケラ……
セリアさんが言っていた、ギロームの魂を封じた壺だ!
そのカケラ達が宙に浮き、死肉に群がるハエのごとく、ベルナリオさんの体に張りつく。
ベルナリオさんの体からガクンと力が抜けて、膝が折れ……
だけどその膝が床につくより早く立て直す。
それと入れ替わるように、ギロームの方がくずおれて、ベルナリオさんの胸に倒れ込む。
ベルナリオさんは無造作にそれを払い除けた。
ギロームは……いえ……宿る者を失ったソフィアさんの肉体は、死体のようにただ転がり、ソリア人形の隣に横たわる。
慣らすように肩を動かすベルナリオさんの瞳は、別人のように暗く冷たくなっていた。
ギロームの魂が、ベルナリオさんに乗り移ったのだ。
……それじゃ、ベルナリオさんの魂はどこに行ったの?
ソフィアさんの体はピクリとも動かず、呼吸をしている様子すらない。
ベルナリオさんの中のギロームは、ただの荷物を扱うように、あたしの体を担ぎ上げた。




