第5話 人形と亡霊
床のランタンに照らされて、あたしの影が壁に映って不気味に揺れる。
あたしはランタンの取手を口にくわえ、道を塞ぐ壁の、石と石とのわずかな隙間に手をかけた。
ランタンが邪魔であまりしっかりとは壁に張りつけないけれど、指に目一杯、力を込めると、案外うまく体が持ち上がった。
いや、駄目だわ。
ずり落ちる。
そう思った次の瞬間、右のつま先がちょうどいい隙間を見つけて滑り込んだ。
左のつま先で壁を探ると、ここにもいい感じに足を引っかけられる隙間がある。
右手をもっと高い位置へと伸ばし、あてがったように都合のいい隙間に触れて、ようやくおかしいことに気づいた。
この壁は、こんな隙間だらけじゃなかったはずだ。
……ちょっとの間に壁の崩壊が進んだ?
……暗くて見落としていただけ?
どちらでもないのはわかっているし、本心では壁から飛び降りて逃げ出したかったけれど、気づいてないフリをして急いで登り切る。
壁の向こうには誰も居なかった。
……行かなくちゃ。
縁の上で体勢を入れ替え、後ろ向きになって壁を降りる。
足下ばかりを気にしていたから、ランタンが壁の縁にぶつかって……
驚いた弾みで手が滑り、もがいた指が逆に壁を押してしまって、あたしは背中から落下した。
フニャリ。
床に着く直前に、柔らかい小さな物が、あたしの体を支えた。
!?
その柔らかな物がつぶれて、少し遅れて石畳の感触がくる。
何が起きたのかさっぱりわからなかったけど、あの高さから落ちたのに、打ち身程度の怪我しかしていないってことだけはわかった。
体を起こすと、あたしの背中の下で、ソリア人形がペシャンコになっていた。
「…………」
さっきまでこの位置にこの人形はなかった。
いくら暗くたって気づいたはず。
人形を手に取るとグニャリとしていて……
人形だから生気がないのは当然なのに……
紫のガラスの目玉が湿気で曇って、まるで白目を向いて気を失っている顔みたいに思えてどうしようもない。
あたしはソリア人形を投げ捨てて、ランタンを手に、通路の奥へと走り出した。
ユリアさんの足跡をたどって少し進んだところで……
あたしは、自分には亡霊と戦う術がないのに気づいた。
引き返して、セリアさんが来るのを待った方がいいかもしれない。
セリアさんだって何ができるとも思えないけど、それでも一人で行くよりマシよね。
そう思って後ろを向くと、ソリア人形が立っていた。
……立っていた。
人形が、支えもなしに。
ゆらり。
こちらに向かって歩いてくる。
あたしは悲鳴を上げて逃げ出した。
人形の視界から逃れるために、通路を右へ左へ曲がる。
いくつ目かの角で、進もうとしていた先に、青白い光が現れた。
亡霊だ。
慌てて別の通路に逃げ込むと、そこにも別の亡霊が居た。
うあぁ、別の道……
おっけー、こっちには何も居ない!
複雑な通路をでたらめに逃げ回り、十字路や丁字路を通り抜ける度に、追ってくる亡霊の数が増えていく。
いったい何人の亡霊が、この黒衣城には居るのだろう。
ランタンの光が追っ手に見えないようにと、胸に押し当てて体で隠す。
だって火を消してしまえば、あたしも前が見えなくなるし……
「あッ!!」
角を曲がってすぐ、あとちょっとでぶつかりそうなところに、ギロームが立っていた。
もともと生っ白い顔をさらに青くし、後ろの壁を透けさせた、亡霊の姿と成り果てて……
何でこの人、死んでるの!?
ガチャン!
驚いた弾みで、あたしはランタンを落としてしまった。
ガラスが割れてオイルが飛び散り、パッと炎が燃え広がる。
皮肉にもハイヒールのおかげでヤケドはせずに済んだけど……
炎から飛び下がったところで、あたしは力が抜けて、へたり込んだ。
追ってきていた亡霊達が、グルリとあたしを取り囲む。
声も出せぬまま炎をはさんで、あたしはギロームの亡霊の顔を見上げた。
「……?」
ギローム……ではない……?
この亡霊……女の人だ……
ズボン姿で飾り気もなく、胸もあんまりないけれど、お化粧だけはきっちりキメてる。
それにしてもギロームに瓜二つだわ。
双子の姉か、妹かしら……
あたしは彼女を見たくなくって、でも目をそらすにそらせなくって、じっと見つめた。
けれど彼女の方は、あたしを見てなんていなくって……
たゆたうように視線をさ迷わせ、やがてあたしの前から滑るように立ち去った。
他の亡霊達もいつの間にか居なくなっていた。
そうか……光だ……
亡霊は、闇の中でもあたしを見つけられるけど、光の中に居ると反対に見失うんだ……
それに気づいた瞬間に、床のオイルが燃え尽きた。




