第1話 悪夢の朝
目が覚めてすぐに、ほほに触れる石の感触がおかしいって気づいた。
屋外の石畳ではなくて……
ホコリでざらざらしているけれど……
それでも高級だってわかる石材の、黒い床。
頭がズキズキする。
ここはどこ?
眠っていたっていうことは、いつもみたいにハイヒールに歩かされて……
頭を押さえながらゆっくりと体を起こす。
黒い壁に覆われた広間。
ああ。あたしは今、最悪の場所に居る。
ここは黒衣城の中だ。
ハイヒールのつま先に、血のような赤い汚れがついてる。
夢の中で誰かのアゴを思い切り蹴り上げたような気がしないでもない。
睡眠薬を嗅がされて、無理矢理に眠らされたことで、呪いが暴走したんだわ。
……あくまでも呪いに操られたからであって、あたし自身は人を蹴飛ばすなんて、そんなおてんばじゃあないからねっ。
銀髪の人の目的はわからないけど、呪いはあたしを黒衣城に連れ込んだ。
いつか来なくちゃならなくなるのはわかってたけど、心の準備がまだなのに……
銀髪の人の姿は、少なくともこの広間にはない。
それに他の誰も居ない。
今のうちに逃げよう。
一刻も早く。
あたしは瓦礫の散らばる床をすり抜け、ガラスのない窓枠に張られたクモの巣を破って、黒衣城の庭園へ飛び出した。
靄の向こうから射し込む朝日に照らされて、あたしはあんぐりと口を開けて立ち尽くした。
黒衣城の庭を囲む城壁が、まるで眠り姫のお城のように、大量のイバラでがんじがらめに覆われていたのだ。
あたしは恐る恐るイバラに近づいた。
その蔦は、お花どころかツボミもないのにトゲだらけで、しかもどのトゲも鋭くとがってて……
ほんのちょっと触れただけで、あたしの人差し指から血が一雫、したたり落ちた。
あたしは慌てて飛び下がった。
指先の痛みは、頬をつねるよりハッキリと、これが夢ではないって告げている。
落ち着け、あたし。
夢でないならなおのこと、ここで脅えてる場合じゃない!
あたしはどこかに出口はないかと、城壁に沿って慎重に調べながら、庭園をグルリと一周した。
けれどイバラが途切れる場所はどこにもないし、門も、城壁が崩れて低くなっている部分も、全てイバラに埋められていた。
どうしよう……
あたしは庭園を、今度は駆け足でもう一周した。
庭園は、表側はお祭り中なだけあって歩きやすく整理されているけれど、裏庭は瓦礫でグチャグチャで……
どうやら表から持ってきた瓦礫も裏に捨てているみたい。
出店もお芝居のためのステージも昨日のまんま。
人が来ればすぐにでもお祭りの続きを始められそうではあるけれど、人の気配は全くない。
町の人も、あの銀髪の姿もない。
……あの銀髪はどこに居るの?
ハイヒールで蹴り倒して……今もまだ路地でノビているとか?
呪いだけでも厄介なのに、ナニ、わけのわかんないのが出てきてんのよっ。
もしかしてあれが死霊魔道なの?
大昔に死んでるくせに、アゴを蹴られて血が出るなんておかしくない?
……考えるためには調べなきゃ。
あたしはお城の中に戻った。
黒衣城の窓は、小さくて、数も少ない。
それは不知死の魔物が住んでいたからってだけじゃあなくて、どこの国でもあの辺の時代のお城は、戦争に備えて、敵の矢が窓から入ってきにくい作りになってるのよね。
でも今は、壁があちこち壊れてるから、日中の光には不自由しない。
あらためて見回すまでもなく、お城の中は荒れ果てていて……
呪いの主が誰であれ、お客をもてなせる状態じゃあない。
無駄に広い上、瓦礫のせいでハイヒールでは入っていけない場所も多い。
床に積もったホコリには、あたしのではない足跡が数組。
でもあの銀髪がどんな靴を履いているのかわからないし、たぶんほとんどはお祭りの実行委員のものなのかなと思う。
肝だめしで入った人もいるみたいで、古びた壁のそこここに、妙にイマドキな落書きも。
そのそばに、靴音の一つが床を踏み抜いている場所があった。
あたしも気をつけないと……




