66話 情けない帰還、禁忌への違和感
仙人は死した後、時間を掛けてゆっくりと光の粒子となって消滅していく。故に初めてだ。こんな長時間、死体が光ることなくそのままでいるなんて。本当にあの剣で、彼の魂は死界へ行ったのだろう。でも、一つ疑問がある。
「東将軍。何故、斬る前に彼にあんなことを聞いたのですか?」
首のない死体を見続けていた燃微は、問いかけた飛川の方へと顔を向けた。相変わらず慣れない龍の頭蓋に怖気づいてしまうが、飛川は目の前の疑問と見えぬ顔に向き合う。
「俺も少し、禁忌について違和感を抱いたことがある。仙人という者は、人々を守るために存在しているのではないのかと、度々思ったことがある。だが、これを想っていたところで禁忌が変わるわけでも、仙界を築き上げた者が何故このような禁忌を設定したのかを知れるわけでもない」
「禁忌の内容を変える方法ってないんですか?」
「無いな。この禁忌は独立している存在ではなく、仙界の一部として動いている。もし新たに禁忌を作り直すとなれば、仙界自体を一新させる必要がある」
「は、初めて知りました……」
「無理もない。俺も将軍という座に就いてから知ったことなのだからな。だが、禁忌に違和感を抱いていたのが俺だけではなくて安心した。仙人に頼ることは確かに甘えだ。だがどうしても頼らざる一面もあるはずだ。それすらも、この世界は許さないと言うのか──────」
確かに、尚無鏡の時もそうだった。話によると、何者かが『破壊』の鬼将を呼び起こして匠歩国を滅亡に追い込もうとしていた。そこに尚無鏡が自らを仙人と明かし、仙声を直接受け取ることで絶大な力を得た。更に国民に力を与えることで、取り巻き達を簡単にあしらえるようにした。そうでもしなければあそこまでやれなかった相手だ。仙人の力無しで一体何ができたというのだろうか。
紅意段もそうだったのだろう。黒手党から宝剣を守る際に仙人の力を行使しなければならない事態に直面した─────など、思考が支配されて気にしていなかった。飛川は必死に辺りを見渡す。
その様子に燃微は、
「どうした?」
「東将軍、今何時かわかりますか!?」
「十四時半ほどだが……」
「あ、いえ…人界の時刻の方です」
「であれば、今は九時過ぎくらいだな」
人界と仙界の時間の進みは少し異なることを忘れており、今慌てて確認した。人界の時間は九時を過ぎたらしい。となると、もう既に二日目の嵐流青舞滝典礼が始まっている。今ここから急いで向かえば間に合うが、それは尚無鏡と承影の試合時間による。もし、二人の試合が早く終わってしまえば、間に合わないかもしれない。飛川は燃微に深く頭を下げて言った。
「私、人界に急ぎの用事がありますのでこれにて──────」
「待て。それなら俺が送ってやろう」
「え?」
燃微は懐から魔杯を取り出して傾ける。床と垂直になった空の魔杯から液体が垂れ始め、床に垂れた液体は水溜まりとなって人界へ繋がるゲートへと変貌した。
「ここを潜って行くといい」
「ありがとうございます!では!」
と感謝を述べ、飛川はその水溜まりに体を縮めて勢いよく飛び込んだ。ジャポンという音を立てて、飛川はこの場から完全に姿を消した。
燃微はポツリと「典礼の期間であるのに任せきりですまない」と呟きながら、首を胴体が離れた死体を処理し、水溜まりに魔杯を近づけて水を回収しようとした瞬間、遠方から爆発するような音が響き渡った。すぐに立ち上がり冷静に音が鳴った方角を確認する。おそらく帝央殿の方からだ。燃微はさっきの水溜まりにまた液体を垂らして、今度は転移先を帝央殿に設定する。飛川とは異なり、静かに水溜まりに入る。
一瞬で帝央殿に到着する。どうやら到着しているのは自分だけのようだ。だが、将軍全員が集まるまで待っているわけにもいかず、水を回収して目の前の扉を引いた。しかし、
「?────歪んでいるのか」
押しても引いても、目前の扉はガタガタと揺れるだけだった。ならば、方法は一つしかないだろう。
「フ─────ッ」
体を右に捻り、思い切り蹴破った。扉は奥の壁まで飛んでいき、壁に接触した扉はバラバラに砕け散った。その様子を見ることなく、燃微は部屋の中へ入って行った。
「ほう」
言葉が零れた。燃微の目には、メチャクチャになっている書庫の情景が映っていた。天井から岩でも降ってきたかのように、書庫は瓦礫まみれであり、真ん中に男が一人。くすんだ薄い青緑色の髪を携え、滑らかな繊維でできた茶色の衣を羽織り、自慢の冕冠は衝撃のせいか阿弥陀被りになっている。そう、この男は間違いなく、数日前に死界へ調査しに行った西将軍・雨晩である。
「随分と情けない帰還だな」
「開口一番それか。もっと心配するものだと思っていたのだがな…」
大げさに首を竦めた彼の元に、遅れて二人の将軍がやってくる。
「何かと思えば…雨晩だったのですか」
「変な登場の仕方やめてよねホント」
「別にこれは、俺が望んでやったことではない」
「休みたいのはやまやまだとは思うが、雨晩、死界で何か異常なことはあったか?」
雨晩は崩れた棚と瓦礫から立ち上がり、阿弥陀被りになっていた冕冠を直し、服に付いている埃をパッパッと払いながら答える。
「甲羅を下にして気絶している冥淚玄武が洞窟に居たが、あれは─────」
「おそらくそれは、人界で尚無鏡達が倒したものでしょう。既に短日国に出現した冥淚玄武は消滅を確認しています。死した玄武が行くべき所に行ったまででしょうね」
「なるほど。晁薜、情報提供感謝する。であれば、俺もあの場も特に異常なことはないな。まぁ、人の背丈ほどの白い石柱が数多と並んでいたあの世界自体が元々異常なものだがな」
「じゃあなんであんなところに封印されてたのよ。異常はないってことは、あそこと繋がっている場所も見つからなかったってことでしょ?」
「そうだ。まぁ、今は無事に死界で寝ていることだし。俺は城に帰ってとっとと休ませてもらう」
「お疲れ様でした。では、ワタシ達でこの棚を──────」
「私はパス。私はまだやらなきゃいけないことがあるから」
「……ではアナタは?」
「特にやることはない。手伝おう」
雨晩と駟昧は自分の城へ、晁薜と燃微は壊れた棚や本を直すために逆行砂[付いている紐で囲んだ範囲内に存在する物体の時間を巻き戻すことができる砂時計。生物は効果対象外]を取りに倉庫へ向かった。その道中で、晁薜は燃微に少し前の事について尋ねた。
「そういえば、禁忌を犯してしまったアナタの幕下はどうしたのですか?」
「……あの場で宣言した通り、処刑した」
「そうですか」
彼の口元はいつものように微笑んでいる。しかし、目は何一つ笑っていない。どこか残念そうなその表情に、以前の俺であれば何も思わなかっただろう。しかし、今の俺は違う。自分の傍付きが禁忌を犯して死した今の俺であれば────いや、ダメだ、届かない。彼の思考が読めない。故に、
「晁薜、聞いてもいいか」
「なんでしょう」
俺と違う道を選択した彼に聞きたくなった。動機を聞いてはならないという規則を破ってでも、聞きたいことが目の前にあった。
「何故、お前は尚無鏡を生かした」
「ふっ、選択の動機は聞くことができないという規則があるのをお忘れですか?」
「わかっている……だが、それでも──────」
「それですよ」
「何?」
「その感情こそが、仙人に最も必要な感情なのです。例えそれが、規則であっても禁忌であっても、自分が行くと決めた道を臆することなく突き進む、それがワタシの理想とする仙人の姿なのです。故にワタシは彼女を生かしました。民を救うべく、自らを縛る禁忌さえも振り払うあの姿こそ、仙人のあるべき姿だと……そして理想の者に巡り会えたのだと」
「─────仙人の、あるべき姿……」
「そう深く考えなくていいですよ。ワタシは単に、仙人が皆そうであってほしいと願っているだけです。今のままでは、人界はあまりにも、酷く、脆すぎる──────」
やはり届かない。彼が今どこを見ているのかわからない。ただ願っているだけなのか、尚無鏡を使って何かしようとしているのか。ただ彼もまた、禁忌に違和感を抱いている者で間違いないことだけは理解できた。
俺はいつの日か、我々将軍が力を合わせ、多くの人々を守れるような仙界を築いていきたいと思っている。それまで、一体どれほどの時間を費やすのかは想像できない。紅意段をこの手で処刑した俺にも責任はある。いつか必ず、それを実現させる。
◆
時は少し前、午前八時五十分。既に嵐流青舞滝典礼の準決勝一試合目が終了し、尚無鏡は決勝戦への切符を手に入れた。残す準決勝の試合は、承影ともう一人の選手との戦い。雲鋒館は熱気に包まれており、試合を今か今かと待ち侘びている。
その外で、焦りを露わにした黒手党が住民を構うことなく温帆寧を攻撃している。もちろん、それを崩星達や巡守隊の人達が抑えているが、このままやっていても埒が明かず、いつか怪我人が出てしまう。そう判断した陳湛は、崩星と木煙にあることを提案する。
「このままやっていても埒が明かきません!私達は、黒手党の攻撃を避けながら温帆寧を追跡しましょう!」
「住民の安全が少し心配だけど…活発になってきた以上そうするしかなさそうだね」
「そうだな。陳湛、屋根に上がるための風を頼む!」
彼女は扇を振るい、上昇気流が巻き起こる。そこに三人は一人ずつ入り、三人は難なく屋根の上に登った。同じ目線故に温帆寧の姿がよく見える。
「仙華様が決勝に進む前に、宝剣を取り返すぞ」




