56話 烏の気紛れ、途切れた道
「ほんとに温帆寧なんだ……当たっちゃった」
「おや、偶然だったのですか。それは少し残念ですね」
そう言って温帆寧は右足を前に出して前進しようとする。それを止めるように、尚無鏡は緋い切先をじっと向ける。例え紳士的な振る舞いであっても犯罪者は犯罪者に過ぎない。故に警戒を解くつもりは決してないということだ。
「止まって。一歩でも動いたら斬るから─────」
「おお、これはこれは。中々にお怖い小姑娘だ」
温帆寧は笑みを浮かべながら一歩下がり、両の手を上へと上げた。吹く夜風は、長い髪と黒い外套を翻す。さらに、そこに突くように尚無鏡は温帆寧に問いかけた。
「答えて。何であんたは『宝剣・流転』を盗んだの?」
「あなたの身分を知らない以上、わたしはそれに答えることはできません」
身分?そんなもの関係あるのか?
尚無鏡は再び問う。
「泥棒に身分を明かして何になるの?」
「あなたの知りたがっている答えを教えることができます」
「それって重要なことなの?」
「はい。とても」
これ以上、このやり取りが続くのは面倒だ。典礼の優勝景品を盗んでいる以上あまりこちらの身分は明かしたくはないが仕方あるまい。
「私は典礼に参加する選手。短日国から来た道士よ」
尚無鏡の言った身分を耳にして「なるほど」とポツリと呟く。温帆寧は聞いてどう思ったのか。しばらく考えた後、温帆寧は口を動かした。
「いいでしょう。わたしの目的を教えます」
切先を向けたまま、彼の言う言葉の端から端までを耳に入れる。光が仮面を反射させた時、温帆寧は理由を端と語った。
「この宝剣は、黒手党に狙われている。故に守るためにわたしが盗みました」
「──────信用は、できない」
「ですがこれを見れば、信用していただけるかと──────」
そう言って温帆寧はひょいと柵へ乗り、尚無鏡を手でバルコニーへ招く。剣はそのまま、右手に握りながら警戒を解かずに前進する。尚無鏡の素足がバルコニーに乗った瞬間、下の方から叫び声が聞こえる。
「温帆寧が居たぞ!」
巡守隊が声を上げたかと思ったが、その正体は全くの別物だった。漆黒の服に身を包んだ何者等は、こちらに狙いを定めて弓の弦を限界まで引いている。その連中を巡守隊の皆が横から取り押さえたり攻撃したりしている様子を目撃する。
「彼等が黒手党です。彼等は物を奪っては海賊などに高く売っている集団。わたしとも、巡守隊とも敵対している存在です。信じてくれましたか?」
「まぁ、一応。じゃあ、典礼の最終日にはしっかりと返してくれるんでしょうね?」
「もちろん約束します」
「どうだか。結界が解かれた瞬間に逃げる気じゃないの?」
「とんでもないですよ。これでも、約束は守る主義ですから──────」
と告げ、温帆寧という闇夜の烏はどこかへと飛んで行ってしまった。街が明るいとはいえ帳は下り切っている。目視での追跡は断念せざるを得ない。
握っていた剣を溶かして話を思い返す。温帆寧は黒手党の手から宝剣を守るためにわざと盗んだ。飛川も「温帆寧は基本、宝石類や骨董品を盗む。よりによって宝剣を盗んだのは何か理由があるのかも」と言っていた。数時間前の会話だったが、いざ本人が目の前に居ると咄嗟に頭は回転しなくなるものなのだ。そうなると本当に……
この夜に起きたことの情報を共有したいが、私と魏君は明日の朝早いので、それは飛川に伝えて任せるとしよう。
再び肌触りが滑らかな布と布の間に入り、温もりを素肌を通して感じ取る。承影、温帆寧、気になる事は沢山あるが、ひとまずは典礼に集中しなければならない。そう思考が過ると共に目が閉じる。そしてそのまま、深く深く沈んで行った。
◆
「捕らえろ!」
怯えながら一歩と歩く黒手党の男に耳に、巡守隊の叫びが届く。どうやら別の下っ端達が巡守隊に掴まったらしい。状況を正確には把握できないので、どれほどの規模が捕まったのかはわからない。
この先にそのまま進むと巡守隊が居るので、少し回り道をするように路地裏へと進む。進んだ先には人気のない小道。建物と建物の隙間。主に業者や従業員などが活用する道なのだろう。されど、
「おい」
男は体をビクリと震わせ、その方向を恐る恐る振り向く。そこに立っていたのは黒手党の上層部の男だった。上層部の男はその様子を不思議がり、下っ端の男に向かって話す。
「なにビビってんだ?まさか俺を巡守隊だとでも思ったか?まぁ無理もないか、この状況じゃあ……」
「どうしてここに……?」
「老大からの指令を伝えにな。今はお前しかここに居ないから先に伝えるが、残っている奴は変わらずに温帆寧を追って─────────」
突如、轟雷の如く何者かが勢いよく降りてきた。手には鍘刀、下っ端の男は右肩から股関節まで真っ直ぐに、真っ二つに斬り裂かれている。噴き出る鮮血とその間から除く眼光を前に上層部の男はたじろいでしまう。それが隙となり、鍘刀を持った青年は迅雷のように迫り来る。
気付いた時には既に、首元に刃を当てられていた。
「な、何者だ……」
「─────難渉仁、巡守隊だ」
「ふ、へへ……巡守隊が人殺しか……」
「躊躇うことなく人を殺す集団に言われたところで、何も響かないな」
首に当てられた刃はじりじりと進んで行き、やがてそれは皮膚を裂き、首筋になぞって血が垂れてゆく。熱を感じた上層部の男は目前を睨みながら、手元を弄っている。それに気付くことなく、難渉仁は詰問という名の脅迫を行う。
「答えろ。老大の猛明胡はどこに居る」
突如、その上層部の男は腹の奥底から声を出して、手に握っていた小さくて白い何かを自らの口の中へと放り込んだ。
「へ……居場所を教えて老大に、答えずにテメェに殺されるくらいなら、自分で死んでやるわあぁぁぁ!」
放り込んだ物をゴクリと飲み込んで数秒後、男は突然苦しみ出し、足に力がなくなり後頭部から倒れてしまった。男は泡を吹きながら、白目を向いて意識をここに置いていない。おそらく、
「な──────死んだ…のか?」
難渉仁は突然起こった目の前のことに困惑するも、すぐに猛明胡の居場所を特定できなかったことを悔い、壁に拳の側面を叩き付ける。
まさか、下っ端と上層部でここまで覚悟に差があるとは…これは迂闊だったかもしれない。そう後悔していると、闇の奥から足音が聞こえてくる。ここは店が密接している場所だ。もしかしたら従業員か?と始めは思ったが、こんな時間に従業員が出歩くはずもない。であれば巡守隊か、黒手党か、とも考えたがこの音はどちらの靴からも出ない音だ。故に候補から外れる。ならば誰か、その答えはやがて──────
「ダメじゃないですか。そんなやり方じゃ、永遠に辿り着けませんよ」
足音の正体は仮面を着けた夜のような男だった。それを一目見た難渉仁は、
「温帆寧──────!」
と声を上げ、彼の胸座を掴もうと左手を伸ばす。巡守隊として、宝剣を盗んだ世界を股に掛ける大泥棒は捕まえなくてはならない。
されど、目の前の標的は華麗に躱す。おそらく、これを繰り返したとて永遠に終わることはないだろう。ならば少し傷を付けても文句は言われまい。右手に握っていた鍘刀を右に、その水平斬りは外套にも長い髪にも触れること無く虚空を裂く。
しかし、温帆寧の着地地点は微かに青くぼんやりと光を放っている。刹那、藍の術色によって放たれた激流が、温帆寧向けて襲い掛かる。けれど、どこから取り出したのか、その激流は彼の傘によって防がれてしまった。まさか術色の攻撃を受け止められる傘があるとは、一体どんな代物なんだ。
だが、それに絶望し攻撃の手を止めるわけにはいかない。右足に力を入れ地を蹴り飛ばし、両の手に力を入れ鍘刀の柄を握りしめる。大きく振りかぶって叩き付けようとした瞬間、温帆寧の手には水を防いだ傘ではなく、宝剣が握られていた。
寸前で鍘刀は止まり、仮面の男を睨む。このまま振り下ろしていれば、宝剣に傷が入っていたかもしれない。温帆寧は難渉仁に向かって宝剣を煌かせながらこう提案した。
「わたしであれば、黒手党の老大を引き出すことができます。ここは一時休戦をして、わたしと協力をしませんか?」
泥棒の言うことだ。ましてや盗品を抱えながら喋っている。自分は国を守る巡守隊の隊員だ。そして、人生で最も憎んでいた者達の存在が明らかになった。故に、難渉仁の出す答えは少しの迷いの果てに決定された。




