50話 恐怖の目、無き宝剣、蘇りし悪魔
「暫くは、療養期間ですね。安静にしていてください」
湛慮は一室の布団で寝ている太阿に向かってそう告げた。太阿は不満そうな顔をした後、まるで子供かのように文句を言い散らした。
「ああ!?何で休まないといけないんだよ!俺は参加するぞ!嵐流青舞滝典礼に!」
「そう言われましても……ご自身が勝手に勘違いして短日国に一人で向かい、挙句の果てに常詩様にボコボコにされたのはあなたの落ち度でしょう。ここまで運んでくれた赤霄様に感謝をした方がいいですよ」
「へん!そんなの頼んでねぇ!」
甲高い声が部屋に響く。すると扉の方から何か音がしたことに湛慮が気付く。外の様子を見ようと扉を開けた先には、玄関へ行かんとする赤霄の姿を捉えた。
「おや、今のお聞きになられました?」
赤霄はその声に止まる。少々顔をこちらに向けて、
「ふん。ガキの言葉だ。耳に入ったところでいちいち気にするほど、おれの時間を無駄にするわけがない。それより湛慮、墨走国までの馬車の手配はどうなっている」
「馬車の手配は既に済んでおります。おそらく、もう承影様が乗車しているかと」
「何でこの男に参加切符を渡したんですの!?」
赤霄に馬車の手配を教えた湛慮の後ろから、少女の声が聞こえてくる。振り返るとそこには、腰に手を当てて奥を睨んでいる干将莫邪とその様子を見守る龍淵が立っていた。
「納得いきませんわ!」
「そう言われましても……参加切符をお渡しになったのは軒轅様ですし…」
刹那、湛慮は背後から突き刺されたかのような熱を感じた。だが周りでは何も起きていない。だが、振り向くことさえ恐ろしい。おそらく赤霄が鋭い眼光を浴びせているのだろう。けれど対象は自分ではないと理解している。それでも尚恐ろしい。
向けられている対象が自分だと察した干将莫邪は恐怖のあまり後退り、やがてポンと龍淵の体に背が当たる。
「ガキは寝ているあいつだけかと思っていたが、まさかここにも居たとはな──────」
暫く沈黙が続いた。それを無駄だと感じたか、フンと鼻を鳴らしてくるりと体を翻して馬車の元へと向かって行った。
見えなくなったことで拘束が解かれたか、干将莫邪の口が生まれたばかりの小鹿の足のように震えながら発した。
「姐姐…わたくし、あの二人の目、嫌い──────」
◇
「あら、遅かったじゃない?」
既に馬車にて待機していた承影が乗り込んできた赤霄に言った。乗車を確認した承影は御者に「出していいわ」と告げ、再び赤霄の方へと顔を向ける。
「あなたが遅いなんてらしくないわね?」
「はぁ、ガキに絡まれただけだ。気にするな」
「いつも時間の無駄だとか言うくせして、私の時間は気にしないの?」
承影は赤霄の頬を指でなぞる。通常の男性であれば、この類の女性が密室の空間、近距離で指を頬のラインをなぞるなぞ耐えられぬだろう。されど、
「離れろ。斬られたいか────」
この男には生半可な、程度を抑えた色仕掛けなど通用しない。最も、それをフルで起動させたとて無理な話ではある。
「つれないわね」
「お前はいつも先に来ているだろう。それより、墨走国まではどれくらいだ?」
「ざっと一日半かしら。それまでゆっくりしてるわ」
「────おれの言っていたことを、覚えているか?」
「ええ、もちろん。もし宝剣に何かあった場合、あなたの参加権は放棄するって話ね。せっかく典礼の景品だし、私達の狙う剣の中でも最も強大な力を持つ宝剣。それは流石に失いたくないから、そうならないことを切に願うわ」
◆
深夜。墨走国、嵐流青舞滝典礼の会場にて──────
「何ィ!?優勝景品の『宝剣・流転』が何者かに盗まれただとぉ!?」
典礼の運営責任者である楚宮が声を響かせた。自分がかなりの声量を出していたことに気付き、慌てて口を塞ぐ。そして、それを報告した墨走巡守隊の一人である難渉仁は楚宮にこう言った。
「はい。巡守隊の警備は万全でした。誰もあの宝剣を取ることはできないようになっていました…ですが……」
「盗られてしまった、ってことか……結界の方はどうなっている!?」
嵐流青舞滝典礼を開催する期間中は、墨走国を囲うように巡守隊の大量の術者によって結界が張られる。典礼には選手のみならず客も多くこの国に集う。盗難や殺傷事件、様々な問題が起きても国外には逃げることができないような仕組みになっている。
「もちろん、既に展開済みです。あらゆる攻撃も完全に無効化。罅を入れることはおろか、外に瞬間移動することもできません」
「よし…ということは、剣を盗んだ犯人はまだこの国に居るということだな。手分けして探せ!」
「楚宮様、既に巡守隊の大半が操作に回っております」
「流石巡守隊だ。だがこの国は非常に広い。全ての巡守隊が出動しても隅から隅までは見切れん……今年は百回記念。より多くの来客やお偉方が来られるというのに。これでは国主に恥をかかせてしまう…くそ、犯人は一体誰なんだ」
眉間に皺を寄せながら震えてる責任者に難渉仁は、
「俺の推測ですが、あの警備を搔い潜って盗もことができるのはただ一人────世界中に名を馳せる大泥棒・温帆寧しか考えられません」
「もしそうならかなり厄介だ。国主のため、選手のため、客人のため。そして何より我々の信仰する『無間杯龍』[人々に言い伝えられた東将軍・燃微の別名。尚無鏡でいう晄導仙華]のためにも、必ずこの典礼を成功させる─────!」
◇
「ただいま」
返事は無く、ただ沈黙が流れるのみ。並ぶマネキンに服が着せられており、その前を難渉仁は通り過ぎていく。
「すまない。今日は荷物を取りに来ただけなんだ。事件が起きてしまって、ここでゆっくりしている暇が無いんだ」
と、虚空に向かって軽い謝罪をする。すると、
「ん?手紙が来ていたのか」
ここを出る瞬間、視界の端に映った紙切れが目に入った。誰からの手紙か確認するべく手に取って開く。
『やぁ。さっき宝剣が盗まれたって聞いて俺も大慌てしてるぜ。でも大丈夫。俺達が手を貸してやるぜ。感謝しな。そ・れ・に、典礼前日になれば、新たな協力者が来るから、そこんとこよろしく』
そう書かれてあった。
「あいつ……ちゃんと紹介してくれんだろうな?」
その手紙の主に小言を呟きながら、難渉仁はこの建物から出て行った。
◆
「本当に行かれるのですか?」
根張国の宮廷にて、馬車に乗ろうとする男を数人の武弁や女官が心配そうに背に言った。だが無理もない話である。皆が心配している対象の男は、数日前に帰ってきたばかりの太子殿下なのだから。
根張国の太子殿下は依然、秋河によって拉致されており、長らく行方や消息が不明だったのだ。だが、その行方不明だった太子殿下が一人でこの宮廷に帰ってきたのだ。
皆は泣いて喜んで、祝杯を挙げるほどだった。だが太子殿下はその数日後に、嵐流青舞滝典礼の招待券を持って、これを見に行くと言い出した。それを聞いた皆は驚愕の表情をし止めたが、国主が「わたしも妃も同行するから心配はいらない」と告げ、今に至る。
「それではいってらっしゃいませ」
「お二方もどうかご無事で…」
国主の合図と共に御者が手綱を操り、馬が歩き出す。その様子を皆が見守りながら色々と話す。
「心配だけど、国外交流を深めるためにも太子殿下は必要か」
「そうね。あの姿を見れば、無事に帰ってきたんだと一発でわかるからね」
「と言っても、攫われていた間に何があったんだろう…」
「どういう意味だ?」
「何と言うか──────何か少し、言葉が訛っていたような気がするの」
◇
揺れる馬車の中、国主としてではなく父親として、太子殿下に尋ねた。
「どうだ調子は。顔もすっかり元気になったみたいだが」
それに対し、太子殿下は意気揚々と明るく返事をした。
「はい。おかげさまですっかり元気やわ。皆に心配かけた分、しっかりと外交とかしていきたいと思っとるで──────」




