#372 封印術士ネリスの献身10
「シャナ様と出会ったのはまったくの行きずりで、しばらく前の任務中に、お腹をすかせて倒れているところをお助けしたのが初対面でした」
私よりもやや幼いコナラの高い声は、リュートの背中に当たって柔らかく響いているように聞こえた。……そういう屁理屈ではとうてい誤魔化しきれない艶がかかっているのは、この際努めて無視する。
「天子様、という人を探していらっしゃるようで、出会って以来、何かと協力し合ってきたのです。……その、詳しい素性については堅く口止めされていまして。主様にとっても信頼に足る、マルスガルドでも随一の遣い手と覚えていただければ。……そういう私も、ネリス様にとってはまだ信用にたらないと思いますが」
心なしか饒舌に感じられるのは、コナラも高ぶった神経のなだめ方を模索してのことなのだろう。そういう、刺激的な事態の最中である。
「リュートのためにあれだけ泣いてくれたんだもの、信じてるよ。……その、二人でこういうことをするくらいには、ね」
自分の声もいつもより艶めいていることが、自己評価の低い私にとっては気味悪く感じられてしまう。……というか、そういうどうでもいいことに意識を向けていなければ、コナラについては羞恥心が、私にとっては理性のタガが、もたないのだ。
――おしゃべりもいいけど、アニマを注ぐのに集中してね? これは治療なんだから。
「……ということなので、頑張ろう」
「うう、体が熱くて、気が変になりそう……」
封印の杖から発するノアの念話をコナラに伝えれば、鳴きそうな声が返ってくる。これはこれで需要がありそうな、嗜虐心をそそられる感がある。私も、自分より動揺している彼女を観察することで正気を保っている節はある。
……さて、いい加減に、今この状況、私たちがどういう体勢でいるかに言及せねばなるまい。すべては魔力を枯渇させて気絶したリュートを救う手立て、それをノアに提案されたことに端を発する。
――エナジードレインの応用?
――そういうこと。自分と相手との間にアニマが流れるチャネルを開くのだから、どちらに向かって流すかを変えるだけでいい。自分に向かって流せばエナジードレインで、逆に流せば相手に活力を与えられる。
――吸血鬼ならではの発想ね。でも、封印されたままでできるの?
――そこで、ママの出番。同じエトランジェで魔力豊富な人に、できるだけ接触して魔力を流し込んでもらう。
――つまり、いかがわしい展開を正当化するための屁理屈ね、分かります。
――……受け取り方は自由だけど、提案している身としては釈然としないかな。嫌なら無理にとは言わないよ?
――ごめんなさいぜひやらせて。
危機に陥っているリュートを運んで文字通り飛んで帰る道すがら、そんな風に〝応急処置〟の詳細を聞いた。
意気込んで帰り着いたところにコナラと出くわしてしまい、彼女からの参加表明を受けてしまったのは前回語ったとおり。
依然として意識のないリュートをベッドに横たえ、術式を練るために必要という、ノアの封印された杖をリュートに抱かせるようにもたせると、何だかツタンカーメンの棺みたいな厳かさが出てしまった。
「ではさっそく」
「決断が早い!? あわわ……」
さっそく着衣に手を掛け、脱ぎ始めた私に、面白いくらいにコナラが動揺した。彼女はまだためらっている様子。ちなみに決断が早い、というのは私自身の認識とずれがあり、正しくは決断すらしていない。
「割と一刻を争うらしいし、私の貞操なんて、もったいつけるほど大した価値のあるものじゃないし」
「いやいやいやいや、大したものですよ……ご立派……」
どこをとは言わないが、真っ赤な顔をしてちらちら見ながら、コナラも着衣に手を掛ける。幼いから控えめなのは仕方ないのだが、私の無駄に大きい脂肪塊と引き比べている様はいじましい。その恥じらいからしか得られない何かが確かにある。脱いだもので体を隠そうとしている仕草とか、ポイント高い。
ちなみに私もコナラも、どこまで脱いだかについては読者諸氏のご想像に委ねる。
「それで、できるだけ肌を接するようにするには――」
「リュートも脱がせなきゃね……ごくり……」
「自分はためらいなく脱いだのに、そこは躊躇されるので?」
「だって――……」
シンシアに悪いよ、とはさすがに口に出さなかった。ついに結ばれ得なかった彼女を差し置いて、リュートと肌を重ねてしまうことについて。
しかし、やはり密偵として事情に明るいらしいコナラの方でも、何かに思い当たったような気付きと、私に言わせそうになってしまった後悔と、無言ながら忙しい表情の変遷を経た後。
「……しからば、一番槍は私が。……おお、きれいな鎖骨」
「……鎖骨、好きなの?」
「鎖骨以外も好きですっ」
思いの外、食い気味の返事が返ってきた。何かスイッチが入ったのか、先程よりも目を見開いて、ふんふんと鼻息荒くリュートを脱がしにかかる。
「なんといいますか、逞しい筋肉が備わりつつあるんですけど、体つき線の細さ、柔らかさが残ったままで。この時期の殿方って、男性らしさと女性らしさを両方持ってらっしゃるんですね」
その『時期』を自分はまだ迎えていないのに、ずいぶん的を射た言い方をする。人生二回目か。
それにしても、自分も好きなものを語るときはこんな感じなのかと、無意味に自戒させられた。
さて、大いに頷けるところがあったので、当初の目的を忘れ、脱がしつつじっくりリュートの体を検分してしまう。
「胸板そんなに厚くないのに、しっかり量感あるよね。体幹の筋肉があるのかな」
などと、しかつめらしい考察を装ってしなやかな胸を揉んでみたり。
「お肌きれい、すべすべー」
コナラはコナラで、リュートの肌に小さい指を這わせてなどいる。
「お腹は割れてないけど、奥はしっかり硬い……いい鍛え方してる」
「……はあ、主様……」
二人とも、検分する箇所が下がってくるにつれ、タガが緩くなり、口数も減っていた。そして。
「あっ」
何にとは敢えて言わないが、不意にコナラの手が触れてしまった。
「ごっ……」
二人して、まじまじと見てしまう。ごくり、と乙女二人の喉が鳴った。
「「ご立派……」」
どこまで脱がしたかについては、読者諸氏のご想像に委ねる。
――お楽しみのところ失礼しますけれども、二人がかりで密着するなら、パパは横向きがいいかも。
このままでは埒が明かないと思われたか、たしなめるようなニュアンスの念話を頂戴した。娘を自任する割に、冷静な気遣いをしてくれるノアだった。
「……だそうだけど、前と後ろ、どっちがいい?」
「後ろ、おせながいいです!」
てっきり前の取り合いになるかと思ったので、すぐに合意してリュートに寝返りを打たせる。
「では失礼をば……あ、背中広い、あったかい……」
一番すごいものを見ていくらか落ち着いたか、コナラは後ろからリュートに抱きついてぴたりと身を寄せる。もしリュートに意識があったなら、その感触からコナラの肢体の有り様をまじまじと想像したに違いない。
――残念だったね。
コナラに先を越されたのは若干癪だったが、心の中でリュートに毒づくと愉快だった。
「はあ、魔王様……」
コナラは気分が高まってきたのか、もどかしげに小さな体をすり寄せ、それ以上近づきようのない距離を埋めようとして足を絡ませていた。
というか。
「魔王様?」
「あ、その……ずっと昔に、主様をそう呼んでいたような気がして。初めて見たときも、何だかすごく懐かしい気がして。前世の記憶ってヤツですかね?」
「……そういうことも、あるかもね」
私たちのような転移だけでなく、アオイや信玄公のような転生の例もあった。コナラが前世なりなんなりでリュートと出会い、触れ合っていたことも、あったのかも知れない。
「……そうです、私、確か魔王様に初めての女にしていただいて……」
「……そういうことは、ないかもね」
何としてでもリュートには起きてもらい、問いたださねば。
「それじゃ、私も……」
こちらは前から、リュートにすり寄る。どうやるかはずっと考えていたが、いざやってみると、彼に触れたところだけが燃えるように熱くなった。そして、それよりも熱いものが体の奥底から湧き上がってくる。絶対的優位を保ったまま、無抵抗のリュートに合法的に触れられる。叶うはずのない念願が叶ったのだ――。
「すごい、魔王様の顔が全部埋まった……」
「せっかく自分ではぼかしたのに……」
軽口のたたき合いもまるで気休めにならない。母性と慕情と圧倒的な劣情がないまぜになったドロドロの塊が胸の奥から湧き出して、私の体を勝手に動かす――。
「魔王様の治療だから、不謹慎ですけど……幸せですね」
熱い吐息の隙間から、うっとりとコナラがつぶやいた。
「うん」
しみじみと頷き、抱き込んだリュートの向こうのコナラを見ると、リュートに身を寄せたまま恍惚とした表情で、そのまま目を閉じていた。穏やかな寝息を立てている。
「おつかれさま」
よほど、疲れていたのだろう。健気な妹のように感じられるコナラの頭を、リュート越しにゆっくりと撫でてやった。
――寝ていても大丈夫?
――チャンネルは開いたから、後は触れてさえいれば勝手に魔力は流れていくよ。蛇口をひねれば水はずっと流れてるでしょ、そんな感じ。ママも、疲れてたら休んでね。
――うん。まだちょっと眠りたくないかな。
――毛布くらいは掛けてね。パパが助かっても、みんなで風邪引いちゃう。
――ありがとう。
リュートと一緒に私に抱き込まれる形になった杖から、確かな温かみを感じられるのだった。
家庭環境などいいわけにならないほどねじ曲がった性癖をもった私のこと、好きな人とまっとうに結ばれるなんて当たり前の幸せ、端から期待していない。
だったら今夜が、たぶん私の人生で一番幸せなときだ。抱きしめた温もりを噛みしめながら、ずっと時計の音を聞いていた――。
……そして、朝を迎えた。
目が覚めると、コナラはすでにいなかった。
代わりに、彼女がいたあたりに書き置きがあった。恥ずかしいので、リュートが目覚める前に仕事に出るとか、そういうことが書いてあった。
「ここは……?」
「リュート……!」
私の抱擁の中から、彼はゆっくりと身を起こした。治療は成功したのだ。
――しかし、湧き上がる喜び、達成感は、すぐに、恐ろしい絶望に塗り替えられた。
「その声は、ネリスか……?」
起き上がったリュートの目は、私を見ていなかった。いや、私どころか、どこにも焦点が合っていなかった。
「今は、夜か?」
「ううん、朝よ……?」
虚ろな目のまま、表情筋から力の抜け落ちた顔があちこちを向く。
その様子から、黒々と沸き起こった嫌な予感が、確信の像を結んでいく。まさか――。
「見えない……目が、見えないんだ」
かつて聞いたことのない弱々しい声が震えながら怖れをはらみ――彼の人生で、最大級の試練の訪れを告げた。




