第六話:仕事の時間
チェーンソーのエンジンが回り始め、連動したチェーンソーのチェーン部分が高速回転を始める。それと同時にけたたましい爆音が街中から遠く離れた山中に響き始める。チェーンソーが正常に稼働しているのを確認して、私は目の前の木を注意深く眺めた。
伐倒木は目の前の全長約二十メートル程の杉。枝の絡み無し。蔓の絡みも無し。伐倒方向は斜面と垂直方向の切り株を目標にする。伐倒方向に人影も無し。重機は今の位置だと少し危ないが、……よし。退避してくれた。それでは伐倒開始。
私は目の前の杉にチェーンソーの刃を入れ、『受け口』を作り始めた。木の倒れる方向を決定する一番大切な工程だ。水平方向に切れ目を入れ、その切れ目に対して上から下へ斜めに切れ目を入れて繋げる。するとカットしたスイカのような木片が零れ落ち、倒す木に口のような穴が出来る。これを『受け口』と言う。
入念に、かつ迅速に進めなくては安全かつ効率良く作業は進まない。私はチェーンソーの刃を受け口に当てがい、ガイドラインの向きを再度確認した。よし、受け口は良いだろう。
続いて『追い口』を入れる作業だ。追い口は簡単だ。受け口の反対側からチェーンソーで木を切って行くだけで良い。とはいえ、これも切って行く度合いが難しい。切り過ぎたら木の倒れる方向を制御できなくなる。下手をすれば自分の方向に倒れる事だってある。逆に切る量が少ないと木が倒れない。簡単そうな作業でも目に見えない苦労があるのだ。
我々の界隈では、『受け口、三年。追い口、二年』という言葉があるくらい大切な技術である。
私はチェーンソーで木を少し切り進めてから切れ目に杭を打ち込み木を傾けて行く。こうして狙った方向に木を伐倒するのだ。
一応言っておこう。ここで伐倒のやり方を知ったから自宅の木を切ってみよう等とは絶対に思わない事だ。そもそも、ご自宅にチェーンソーのある家庭が有るのか疑問だが念のため重ねて忠告させて貰う。絶対にしてはならない。芸人風のネタ振りではない。
この作業で毎年必ず死者が出ている。木に潰された者。下敷きになり呼吸出来ずに死んだ者。落下した巨大な枝が刺さった者。枚挙に暇がない。それほど危険な作業なのである。
まぁ、それでも慣れて油断するのが人という生き物なわけだが。とりあえず、今は趣味について考える余裕は無さそうだ。伐採作業でさえ無ければ余裕もあるのだが、こればかりはどうしようも無い。
そんな事を考えていたら『追い口』も終了した。後は杭を深く打ち込み、木を大きく傾けて倒すだけである。普通の金槌より二回り程長い金槌を大きく横向きに振り上げて、杭目掛けて叩く。
十数回程杭を金槌で打ち込んだ辺りで木が自重で倒れ始めた。早急に木から距離をとる。
寒気を覚えるような風切り音が鳴り響き、その後に日常生活ではそうそう聞く事が無いような大きな音と土煙を巻き上げて全長二十メートル程の木が倒れた。
多少の恐怖を感じるが、それ以上に気持ちが良い。別に、某ピンクボールのようなキャラが主人公のゲームに出てくる大王様のように
『環境破壊は気持ち良いゾイ!』
等とのたまわるつもりは一切ないが、あれだけ巨大な物を自分が倒したという実感はなかなか良い。ゲームの世界で巨大なモンスターを倒した主人公はこんな気持ちなのかもしれない。
とはいえ、一日に何十本、多い時は百本を越える木を倒していると感動も薄れるというものだが。
なにはともあれ仕事は仕事。次の木の伐倒に移ろう。私はチェーンソーと金槌を手に持ち、杭を腰の袋に突っ込んで隣の木を伐採するべく移動を始めた。
「あーー、しんど」
私は駐車場に車を停めて、ため息をしながら車から降りた。そしていつものように自転車に荷物を投げ入れ、自宅に向かって自転車を漕いだ。
ここからはダイジェストでお送りするのも控えよう。どうせ前に説明した光景が繰り返されるだけである。
という訳で途中過程をすっ飛ばし現在地は私の部屋の中だ。途中、姪の可愛さを語る母と巨大なアシダカグモが出るイベントはあったがスルーさせて貰う。どうでも良くはないが、取るに足らない些事である。ちなみに私は虫が大の苦手だが、それとこれとは関係ない。関係ないのである。
私は腕時計で時間を確認する。現在時刻は午後十時を回ったところ。午前二時頃まで起きているとして、四時間は時間が有る。睡眠時間を削ってでも趣味を探すのは私にとって当然だ。最重要事項である。まぁ、たまに仕事中に眠くなる事は有るがそこは肉体労働。事務仕事のようには眠くはならない。体には悪いが、そのくらい私にとって趣味は大事なのだ。正直、寝るのが惜しいくらいである。さて、趣味探しを始めるとしよう。
とりあえずの方針は決定した。
『家でする事の出来た上で生産性のある生き甲斐となり得る物』
このテーマに沿って考えよう。……字面で見ると中々の無茶振りに思えてきた。いくらなんでも理想が高過ぎである。某携帯電話会社のCMに出てくる意識の高い学生レベルだ。一先ずは条件を二つ程に絞ってから他の条件に当てはまる物を探して行こう。
よし、『家で出来る生産性のある事』を条件に考えてみよう。
私はそう思い立ち、昔好きだった事ややってみたいと思っていた事を思い浮かべる事にした。