番外編:どうぞお手を
COMITIA にて製本版を頒布した際に配布したペーパーSSです。
リリーと街中で美味しい焼き菓子に舌鼓を打った帰り道。
目抜き通りから入るとある路地にリリーが目を止める。表面を軽くあぶった木製の看板が、ひっそりと提げられている。そこに刻まれている図柄は小瓶と乳鉢。香水屋だ、とハーヴィスは思った。
「ハーヴィス、ちょっと待って。あそこに寄りたい」
「ん? いいよ」
リリーが足取り素早く店へと歩み寄る。狭い路地に面している割に店内は明るく、色とりどりのリボンや大小さまざまな鈴、香りかぐわしい花がふんだんに飾られている。可愛らしい内装に反して並ぶ棚は年代を感じさせる重厚なもので、行儀よく収まる硝子の小瓶がやわらかい照明の光を受けて煌めいていた。
「いらっしゃい。……あら?」
店の奥の戸布を上げて、店主らしき女性が顔を出した。年は二十代後半から三十代。人当たりよさそうな柔和な顔立ちをしている。彼女はリリー越しにハーヴィスを一瞥し、ぱちぱち瞬いた。けれど、なにか、とハーヴィスが尋ねる前に、リリーに向き直ってしまう。
「何をおさがしでしょうか?」
「手荒れを防ぐクリームってありますか?」
「ございますよ。感触や香りはどのようなものがお好みでしょうか? 指定の香りはございますか?」
「一番しっとりした……匂いはあまりきつくないもので。指定は特にありません」
「では店内ご覧になって、少しお待ちくださいね」
店主とのやりとりを終えたリリーに、ハーヴィスは耳元で問いかけた。
「ここ香水屋じゃないのか?」
「香水屋だけど……別に香水だけ扱っているわけじゃないわよ。乳鉢が看板に描いてあったでしょ」
あの図柄にそんな意味があったとは初めて知った。
「やっぱ、手って荒れやすい? 見たところそんな感じしないけど」
「気を付けているもの。ヘルミ様に荒れた手で触れないし」
「あぁ、剣を持つときあんなたいそうな手袋をするのも手を保護するためなのか」
ハーヴィスは納得に頷いた。初めて目にしたとき、柄の握りが甘くなるのでは、と懸念を抱いたのだ。
「私は家の都合で剣術も修めたし、剣術そのものは好きだけど、本職はヘルミ様の侍女だもの。肉刺を作らないように気を付けなくちゃいけないの」
「ふうん? ちょっと見せて」
「え?」
好奇心に突き動かされ、ハーヴィスはリリーの手首をとった。彼女のてのひらを観察する。白い手だ。なめらかで、やわらかそうな、娘の手である。そこに彼女の努力の跡を見て、ハーヴィスは感心した。剣術の徒になると、てのひらの皮膚は自然と硬くなってしまうからだ。
「きれいな手だなぁ」
思わず褒めて顔を上げると、リリーが真っ赤になって硬直していた。
「……え?」
ついつられて、ハーヴィス自身も硬直する。
ここで自分が固まる予定など、なかったのだが。
どうしてこんなに気恥ずかしいのだ。
「あ、あ、ありがと」
「え? あ、あぁ……」
後日、実家の屋敷に戻ったハーヴィスを、妹が鼻息荒く出迎えた。
「兄さま! 聞きましてよとうとう恋人を作られたんですって!?」
「はぁ!? 誰だそんなこと言ったの!」
「友人のアリアのお姉さまですわ! 香水屋をしておりますの!」
「あの店主かっ!?」