10月31日 -6-
魔力の減退症状。
その症例の内、もっとも多いのが心体年齢の逆行だ。心と体が、ある年齢までさかのぼってしまう。それ以後培った経験も知識も、記憶もないのは当然だ。
「ですから、“27歳の私”の記憶が消えたというわけではないんですよ」
ただ、ここにいるのが“二十歳の私”というだけで。
そう言って、アジュールは自嘲の笑みを浮かべた。
二人は現在、床に敷かれた電気カーペットの上に座っていた。夕刻を過ぎ、だんだんと寒くなってきたからだ。小さな折り畳みの机を出し、その上にカップやお菓子を並べた。
「つ、まり、その、減退症状が治ったら…!」
ビーズクッションにもたれていた身体をぐっと起して、櫻子は興奮気味に叫んだ。
「“27歳の私”になります。櫻子の良く知る“私”ですよ」
「そっか…」
明らかにホッとした様子の櫻子に、アジュールはうっすらと微笑んで見せる。
「さらに朗報です。減退症状は、闇の日を過ぎると自然に治るのです。つまり、明日になれば元通り、というわけですよ」
「そうなの?」
「ええ。……減退症状は、闇の日に生まれた初代魔王の悪戯、とも呼ばれています。若返らせたり、性別を変えたり、眠り続けたり…色々な症状はありますが、どれも一日限りです。まさか自分がかかるとは思ってもいなかったでしょうけれどね。色々と準備をしていたようですから」
「準備?」
「ええ。私が目覚めたのは、真っ暗な執務室でした。廊下が明るいので、何だろうと思って見てみたんです。そうしたら、おびただしい数の蝋燭が飾ってありましたよ。ご丁寧に、長く持つようにと術も刻んでいたようです」
「真っ暗だから、蝋燭? ランプは?」
「闇の日は蝋燭と決まっているのです。屋敷中に蝋燭を飾り、リビングは特に念入りに飾って、魔王誕生を家族とともに祝う。そういう風習があるんですよ。――私には家族はいませんから、きっと、櫻子、あなたと過ごすつもりだったのでしょう」
「わたし…?」
目を丸くする櫻子に、アジュールは可笑しそうに笑った。
「蝋燭を飾る以外、特別なことは何もしないのです。家族で集まって、一つのテーブルを囲い…話をする。それだけですよ。その一年のとっておきの話を愛する者に語る」
「とっておきの、話」
「ええ。そんなことは、夢物語だと思っていました。ですから、可笑しかったのです。本当に。なぜこんなに蝋燭を飾っているのだろうと、苦々しく思いました。でも、あなたがいたんですね。櫻子。あなたがいた」
嬉しそうに目を細め、アジュールは言った。その言葉には、微かな悲哀がこもっていた。
櫻子はアジュールに手を伸ばし、その背に手を回し、抱きしめる。
「うん。わたしがいるよ。アルのそばには、わたしがいる」
「私は、一人は慣れています。一人で良かった。馴れ合いなど必要ないのです。でも、」
つ、と言葉を切って、アジュールは櫻子の肩に顔を埋める。
「でもいずれ、私は櫻子に出会う。あと七年。そうしたら、櫻子は私に恋をする」
「うん。アルはわたしに恋をする。わたしは、アルを、世界で一番幸せにするよ」
「私は、櫻子を、世界で一番幸せに、したい」
「うん」
櫻子は、自分の肩が僅かに濡れているのを感じた。
その翌日、二十歳のアジュールは消えていた。どうやら櫻子が眠ったころに、魔界に戻っていたらしい。減退症状が消え、27歳に戻ったアジュール当人が、せっかく用意した蝋燭が無駄になってしまったと嘆きつつ、そう推論した。
昨日の記憶はないらしい。だが、包み隠さず話すよう懇願され、櫻子は赤面しつつ詳細を口にした。
「……妬けますね」
逆行に気付かず第一戦に突入したくだりで、アジュールは妬ましそうにそう言った。
「いや、あの、それは、」
「謝らないでくださいよ。まあ、二十歳から外見の変化はほとんどありませんでしたし、むしろ、その状態で櫻子さんを抱いた自分に問題があると言うべきか…」
どうやら若かりし頃の自分にがっかりした様子である。
「そういえば、手持ちがどうとか言ってたけど、あれってなんだったんだろう。お土産かなって思ったんだけど、馴れ馴れしくするなとか言われて、…どういう意味なの?」
「手持ち?…………あー、いえ、まあ、お土産、みたいなものです。より、用途の広いと言うべきか、まあ、色々と使い勝手の良いお土産です」
「ふぅん」
そこはかとなくアジュールの様子が妙な気もしたが、追求する気は起らなかったらしい。
「そ、それよりも、手ひどく扱われはしませんでしたか?」
「え、いや、別に、」
多少勢いに任せて激しかった、とはとても言えなかった。あんなのは一度で十分だ。
「そうですか。まあ、私は比較的理性の強い男ですから」
「……そ、うだね」
はは、と乾いた笑いを零す櫻子。その頬にアジュールの手が伸びる。じっと見つめ合うこと数秒、二人の顔は自然と引き寄せ合い、やがて唇が重なった。
「来年は、魔界で一緒に過ごしましょうね」
「その時は一緒に飾り付けね。料理も頑張る」
「楽しみです。チーズケーキは今年の分も合わせて二ホールお願いします」
震えるほどに綺麗な笑みを張り付けたアジュールに、櫻子は誤魔化す様にキスをする。誘われたアジュールがバトンを引き継ぎ、主導権を握った。
「そういえば、二十歳のころに人間界へ飛んだ記憶はないのです」
口づけの合間、途切れ途切れにアジュールは語る。
「ですが、きっと、二十歳の私も、櫻子さんに恋をしたんだと思いますよ。私は何度でも、櫻子さんを好きになる。いつの時代の私でも、それはきっと変わらないと思うんです」
「ん…」
ほわんと頬を赤らめ、熱に浮かされたような櫻子が、ぐったりとその身をアジュールの胸に寄せた。
「櫻子さんを、世界で一番幸せにするのは私。それはずっと変わりませんよ」
アジュールはそう耳に囁きこむと、櫻子の髪を優しくなで、頭頂部に口づけた。
読了ありがとうございました。10月31日はこれにて完結です。




