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『追放された野生の天才料理人、騎士団の胃袋を掴む ~「魔物を煮込むな!」と追い出されたのに、堅物公爵の理性を粉砕しています~』  作者: にゃん
第3章 至高料理師の凱旋(再びの砦編)

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第45話:冬支度の号令と、黄金の大豆

北の砦に、冬の気配がじわりと忍び寄っていた。

朝、リゼットが厨房の窓を開けると、冷たい空気が頬を刺す。

山の上には、うっすらと白い雪が積もり始めていた。


「ふぅ……。いよいよ、この季節が来たわね」


 白く染まる吐息を眺めながら、リゼットは気合を入れ直す。北国の冬は、ただ美しいだけではない。補給路が閉ざされれば、そこにあるのは「飢え」という名の静かな戦いだ。だが、リゼットがいる今年は、かつてのような不安は微塵も感じていなかった。


「みんな、集まって! 今日は砦の『冬の味覚・仕込み大会』よ!」


 リゼットの声が朝の冷気に凛と響き渡る。訓練場の脇に設けられた広場には、ふもとの村から運び込まれたばかりの大量の大豆、そして香ばしい香りを放つ米麹の筵、さらに結晶の大きな岩塩が詰まった袋が所狭しと並べられていた。


 非番の騎士たちはもちろん、これから朝の演習に向かう者たちまで、好奇心に目を輝かせて集まってくる。かつては冬と言えば「備蓄の干し肉をかじるだけの退屈な日々」だったが、今の彼らにとって、リゼットが主導する行事はすべてが至高の祭りに等しかった。


「リゼットさん、これ全部やるのかい? 王都の料理師ってのは、味噌まで自分で仕込むのかよ!」


「ええ。出来合いのものも美味しいけれど、この砦の空気と、みんなの力で仕込んだ味噌は、きっと一番の御馳走になるわ。……さあ、大豆が冷めないうちに始めるわよ!」


 巨大な釜で茹で上げられた大豆から、黄金色の湯気が立ち昇る。

 その時、人混みを割って、一人の少女が優雅に歩み寄った。


「お姉さま。発酵とは、微生物による高分子化合物の魔力的な変換作業……。私の演算によれば、この砦の地下貯蔵庫の湿度は、特定の有効菌種を増殖させるのに最適ですわ」


 ミレイユだ。彼女は今日も完璧に整えられた銀髪を揺らし、手に持った魔導書をパタンと閉じる。


「お姉さまの至高のレシピに、私の魔導理論による環境制御を加えれば、これはもはや単なる食品ではなく『霊薬』の域に達します。……公爵様。ぼーっと突っ立っていないで、その無駄に頑丈な拳で大豆を潰しなさいな。それが今のあなたの、唯一の生存意義ですわ」


「……誰が無駄に頑丈だ」


 ぶっきらぼうな声だが、その足取りは迷いがなかった。外套を脱ぎ捨て、白いシャツの袖を捲り上げたその腕は、丸太のように逞しい。


「言われなくとも分かっている。リゼット、俺は何をすればいい」


「団長さん! ありがとう。じゃあ、この茹でたての大豆を、この大きな樽の中で一気に潰してくれる? 粒が残らないように、丁寧に、力強くお願いね」


「承知した」


 ガイアスは迷うことなく、熱い湯気が立ち昇る樽の中に、その大きな拳を突き入れた。

 「グチャッ」という重厚な音が広場に響く。普段は国境を守るための剣を握るその手で、彼はひたすらに、リゼットの指示通りに大豆を潰していく。戦場で見せる猛々しさとは違う、しかし一分の妥協も許さないその真剣な背中は、見ていた騎士たちを圧倒した。


「だ、団長がいい腰の入り方をしてるぞ……!」

「俺たちも負けてられねえ! リゼットさんの特製味噌のためだ、気合入れろ!」


 騎士たちが競い合うように作業に取り掛かる。

 大量の大豆を潰し、米麹を混ぜ、岩塩を振りかける。冷気の中で汗を流し、泥臭い作業に没頭する男たちの中心で、リゼットは聖母のような笑顔を振りまいていた。


「上手上手! 団長さん、その力加減、本当に完璧よ! みんなも、丁寧にね。お味噌はね、作った人の気持ちがそのまま味に出るんだから」


「……そうか。ならば、俺の分は相当に……」


 ガイアスが何かを言いかけて口を噤む。リゼットへの不器用な好意を、大豆を潰す力に込めているなど、口が裂けても言えるはずがなかった。


 そんな中、ミレイユは「やれやれ」と肩をすくめながら、指先から微細な魔力を放ち、樽の中の温度を一定に保つ魔法を無造作に発動させていた。


「お姉さまの愛という名の栄養素を、菌たちが効率よく吸収できるよう調整いたしましたわ。公爵様の過剰な筋力による摩擦熱も、私がすべて相殺して差し上げます」


「……余計な世話だ、ミレイユ」


「あら、効率化は私の義務ですので。さあ、筋肉騎士の皆さん。お姉さまがお疲れのようですわ。もっと速度を上げなさい。冬は待ってくれませんわよ?」


 ミレイユの毒舌混じりの叱咤を受けながら、騎士たちは笑い声を上げる。

 かつての砦にはなかった光景だ。

 リゼットが戻り、そしてこの少し風変わりな天才魔導師が加わったことで、砦はもはやただの「軍事拠点」ではなく、同じ釜の飯を食う仲間としての拠点に変わりつつあった。


「よし、仕込み完了! あとは地下でじっくり眠ってもらいましょう。……みんな、冷えちゃったでしょ? 朝ごはんの前に、試作で作っておいた『粕汁風スープ』を用意してあるわ。村で一番早い初採れ野菜と、去年の味噌を合わせてみたの」


 リゼットが大きな鍋の蓋を開けると、濃厚で香ばしい、そしてどことなく甘い香りが広場いっぱいに広がった。


「「「うおおおおお!!!」」」


 騎士たちの歓喜が爆発する。

 黄金の大豆を潰し、冬の厳しさを楽しみへと塗り替えた一日の始まり。

 リゼットが戻ったことによって、北の砦は、どこよりも温かく、満ち足りた朝を迎えていた。

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