第43話:地獄に仏?神様仏様リゼット様
その日の午後
砦の訓練場は、異様な熱気に包まれていた。
本来、北の砦は冷涼な気候だが、今この場所だけは、立ち昇る砂塵と騎士たちの咆哮によって、真夏のような熱を帯びている。
「……動きが鈍いですわ。筋肉の収縮速度が、私の計算よりコンマ5秒遅れています。あと百回、その鉄塊(剣)を振り回していただけます? もちろん、私が付与した『重力負荷』をさらに一段階上げた状態で、ですが」
訓練場の端で、ミレイユが優雅にしかしながら冷徹な声を飛ばす。その細い指先から放たれる見えない圧力が、若手騎士たちの身体にずしりと重くのしかかっていた。
その中央では、団長ガイアスが漆黒の外套を翻し、模擬剣を一閃させて言った。
「立て! その程度の重圧で膝を折るなら、北の魔物の前では即座に死を意味するぞ!」
ガイアスの叱咤は、雷鳴のように訓練場に響き渡る。
部下たちの前で見せる彼は、まさに鉄の規律を体現した騎士団長そのものだ。
その圧倒的な実力とカリスマ性に、若手たちは「死ぬ、本当に死ぬ……」と涙目になりながらも、食らいついていく。
かつては勘違いで始まった筋肉トレーニングに熱心だった団員の一部はリゼットがいなくなってふぬけたらしい。
それをガイアスは鍛えなおしてる真っ最中だった。
ミレイユの意味不明なほどの魔法の多彩さを見込んで団員のトレーニングに利用しているが、ミレイユにとっても騎士団はリゼットを守るためには必要なことと思って協力をしているのだった。
「だ、団長……ミレイユ殿……もう、一歩も……」
限界に達した一人が砂地に倒れ伏そうとした、その時だった。
訓練場の入り口から、清涼な風と共に、場を和ませる鈴の音のような声が響いた。
「はーい、みんなお疲れ様! 休憩にしましょう!」
リゼットだ。
彼女は大きな木箱を抱え、さらにミレイユの魔法で浮遊させた数樽の冷たい飲み物を連れて現れた。
「「「た、助かったぁぁぁ!!!」」」
地獄に仏。騎士たちが、ゾンビの群れのようにリゼットの元へ這い寄る。
「はい、まずはこれ。喉を潤してね。村で分けてもらった蜂蜜と、酸っぱい『森のベリー』を合わせた特製ドリンクよ。ミレイユちゃん、キンキンに冷やしておいてくれた?」
「もちろんですわ、お姉さま。中身が凍りつかない極限の低温度帯を維持しております。……さあ、そこの不純物(騎士)共、お姉さまの慈悲を飲み干しなさい」
騎士たちが差し出された竹製のコップを一気に煽る。
「……っ!! 染みる……! 喉から胃袋まで、冷たさと酸味が突き抜けていく……!」
「蜂蜜の甘さが、疲れた体に溶けていくようだ……。生き返る……!」
だが、リゼットの差し入れはそれだけではなかった。彼女が木箱を開けると、中には薄く焼いた生地で何かを包んだ、手に持ちやすいサイズの料理が並んでいた。
「これは『ボア肉の冷製クレープ巻き』よ。手づかみで食べられるから、訓練中でも大丈夫。中にはシャキシャキのレタスと、ピリ辛の味噌だれで和えたお肉が入ってるの。いいお酒で香りづけしたお肉だから、元気が出るわよ」
騎士たちが、貪るようにクレープに食らいつく。
「う、旨い! 味噌のコクが食欲をそそるし、冷たいのに肉の脂が全然しつこくない!」
「クレープの皮がもちもちしてて、噛むたびに元気が湧いてくるぞ! リゼットさん、おかわりを!」
リゼットは、まだ息を切らしているガイアスの元へ歩み寄った。
「団長さん、はい。一番お肉が詰まってるやつよ。しっかり食べて休まないと、午後からの訓練に差し障るわ」
「……リゼット。訓練中に甘やかすなと言ったはずだが」
ガイアスは厳格な顔を崩さぬまま、リゼットの手から特大サイズの一本を受け取った。部下たちの前では、あくまで「栄養補給としての食事」という体裁を保っている。
だが、一口で半分ほどを平らげた瞬間、その瞳にわずかな光が宿った。
「…………」
旨い。ピリ辛の味噌が、激しい運動で塩分を欲していた体に染み渡る。そして、リゼットの細い指が、土埃に汚れた自分のマントを気にするように整えてくれる。そのわずかな接触に、ガイアスの心臓がわずかに跳ねた。
(……いかん、団員の前ではしっかりせねば……)
ガイアスは内心の動揺を押し殺し、背後の騎士たちを威圧するように睨み据えた。
「……貴様ら、リゼットの飯を食ったからには、その分の魔力をすべて訓練に還元しろ! 動きを止めれば、食った分をすべて吐き出させるぞ!」
「「「うおおおおお!!! やってやるぜ!!!」」」
単純だが、熱い。それがリゼットの料理に生かされた騎士たちだった。
「ふふ、団長さんたら。厳しいわね。ミレイユちゃんも、あんまりいじめちゃダメよ?」
「……お姉さまが仰るなら、負荷を一時的に一・五倍に軽減して差し上げますわ。……お姉さま、私の分も欲しいですわ。あ~ん」
「あはは、ミレイユちゃんは甘えん坊さんね」
リゼットがミレイユの口にクレープを運ぶ姿を、ガイアスは少し複雑な目で見守りながら、最後の一口を力強く噛み締めた。
その後も訓練は続き、夕陽が砦の石壁を赤く染める頃、ようやく解散の号令が響いた。
騎士たちは汗と砂にまみれながらも、リゼットの差し入れで満たされた体と心を抱えてそれぞれの持ち場へ戻っていく。
リゼットは、空になった木箱を抱えながら
「夕ご飯、何を作ろうかな」と小さく呟き、
静かになった訓練場を後にした。
その足取りは軽く、
夕暮れの厨房へと続いていった。




