◆ ジェシカの軌跡19 アナタの隣のオトモダチ
監視用の屋根裏部屋、一人でジェシカは待っていた。
音も灯りも匂いも消した部屋の中で。
息を吐いて気配を殺し、闇の暗さに目を慣らし、耳を澄ませて心を研ぎ、全ての痕跡を消して、待っていた。
エインセルから送られてくる、作戦開始の合図を。
「…!!」
夜の街に響くのは、犬の遠吠えと猫の喧騒。
人と灯りの消えた街並み。何の変化も無い。
そんな中、彼女は急に立ち上がり、窓の外へと飛び出した。
地に着く音も地を蹴る音も、全ての痕跡を消しながら、闇に溶ける様に消え去った。
後に残ったのは、忍び込まれた形跡すら消えた屋根裏部屋だけだった。
◆
料理店と富裕層向けの商店が立ち並ぶこの通りは、呑屋の建ち並ぶ貧民街とは違って、比較的、人が捌けるのが早い。
店が閉まり出す頃には馬車は通りから消え、家を目指す人達が早足で通り過ぎる。
宵に入る頃には、一切の人の姿は消えてしまう。
時折、宵過ぎに帰宅する人達や、夜番の兵士達の足として用意されている駅馬車が通るが、それも一刻につき二本程度。
そして、この辺りで乗り降りする人はまず居ない。
なので、轍を穿つ車輪が一定のリズムを刻みながら、ただ静かに通り過ぎて行く。
閑散とした大通りには、ガス燈の灯りが点々と並び、仄かな灯りが延々と通りだけを照らしている。
その余計な明かりが、街の闇をより深いものにしていた。
加えて、建ち並ぶ建物の落とす影が暗い路地を真っ黒に塗り潰し、至る所に真闇を作り出していた。
ジェシカは路地の闇に潜みつつ、素早く移動した。
そこら中に在る捜査官の視線を避けながら、ついでにその視線の元を探しながら。
時折、立ち止まっては目を瞑り、耳を澄ませて周囲を聴いて、再び目を開け走り出す。
幾度もそれを繰り返して、チャプラの店からは随分と離れた、宵過ぎた今でも人の多い通りに辿り着いた。
そこに繋がる、細い路地の暗がりで……
「…良くやったわ…エインセル。もういいわよ…」
ガラスを擦っていたエインセルに向けて、ジェシカが声を掛けた。
「…遅い!
彼女、先に行っちゃったわよ?」
エインセルは持っていたガラス片を投げ捨て、ジェシカの耳元まで飛んで来る。
「あ、こら…大切な連絡手段を…。
今はコレしか無いんだから、大切に扱ってよね」
そう言って、ジェシカは落ちたガラス片を拾い上げた。
屋敷が燃やされてしまい、エインセル達との連絡手段が焼失した。その代わりとして、ジェシカはガラスの欠片を渡しておいた。
昼間、階下の店で発生した謎の喧嘩。
巻き添えで割れた高級クリスタルグラスの破片。それを、ジェシカは密かに回収しておいた。
それを使い、人には聴こえない音を発生させる。それが連絡手段。
「結構遠くまで聴こえるのね…これは使える」
「何度も言うけど!私、この音、嫌い!
うぇ…鳥肌が……」
「とても良い連絡手段よね。常に持ってなさい」
「冗談じゃない!二度とやるか!」
常人には聴こえない超高波長音も、音に敏感な妖精たちや、『音』の魔術式を扱う彼女には受け取れる。
ジェシカは、ガラス片が発する『音』を辿って此処まで来たのだった。
「…それで、どうするの?
彼女、あっちの人通りの多い道に入って行っちゃったけど…?」
エインセルはチャプラが大通りに入る前に離れた。
彼女の能力は、範囲内の相手に対しては無敵に近い能力だが、範囲外の相手には何の効果もない。
他者に姿を見られ、騒がれる事を危惧した様だった。
「大丈夫よ。
此処に辿り着く前に、既に彼らの位置は把握した。足音も聴き分けられる。
ここまで知らせてくれた貴女の手柄よ!」
良くやった…と言いながら、ジェシカはエインセルの頭を撫でる。
彼女は頬を赤らめながら、頭に置かれた手をペシペシと叩いた。
「さ、今度はアタシに『魔法』を掛ける番よ。
お願いね、エインセル」
そう言って、ジェシカはエインセルを自分の頭に乗せた。
◆
「あそこよ。
相変わらず、尾行に対する警戒が薄い子達で助かるわ」
一区画離れた路地の間を走る集団を、ジェシカが指差した。
色黒の男の子を先頭に、双子、女性、女の子の順で密集して走っている。
「昨晩、公園でたむろしてた連中で間違い無いわね。
…二人足りないけど」
ジェシカはフードを目深に被って気配と音を消し、背後から、そっと集団を追い掛けた。
暫く進むと、先頭を走っていたペトラが軽く手を挙げた。
それに合わせて、全員がピタリと足を止める。
「何かしら?」
「どうやら…あの駅馬車を見ているみたいね。
ああ…中にチャプラが居るわ」
ジェシカは彼等の集団の最後尾に付き、彼等の覗いている物を確認した。
既に、ジェシカはペトラ達の直中に居る。
手を伸ばせば触れられる位置に。
突然ペトラが振り返り、ジェシカの方をじっと見つめた。
エインセルが思わず仰け反る。
ジェシカは、視線に何の感情も意思も乗せず、ペトラを見つめ返した。
暫しの間、交差する視線。
だが、ペトラの視線はジェシカの辺りを彷徨うだけで、彼女の瞳の位置では止まらなかった。
「…どうしたん?ペトラ」
双子の片方が首を傾げた。
「…いや。気の所為かな…」
ペトラは頬を掻きながら、駅馬車の方へと視線を戻した。
「流石はエインセルね。完璧よ」
「あったりまえじゃないの!もっと褒めて良いのよ?」
「この仕事、終わったらね」
駅馬車が動き出すと同時に走り出す集団。
そこに紛れ込むジェシカとエインセル。
「……どうやら来たわね」
後ろを振り返らず、ジェシカはエインセルに話し掛けた。
「何が?」
「私達…いえ、彼等を監視する連中よ」
「昼間、アンタを追い掛けた奴等?」
「同じかどうかは判らないけどね…。
あ…、エインセルはアタシの服に入ってて。
彼奴等からは、アンタの姿は見えちゃうからね」
「りょーかい」
エインセルが服の中に潜り込む。
ジェシカはフードを目深に被り、周囲から顔を隠した。
◆
ジェシカは集団に紛れ込み、彼等と一緒にチャプラを追跡していた。
ペトラ達は、自分達の集団の中に異物が紛れ込んでいる事には気付いていない。
エインセルが『幽霊の幻影』を使用し、自分達以外は居ない…という幻影を、五人に見せ続けている。
しかし、範囲外からこの集団を監視ている連中は、当然、『六人居る』事に気付く。
だから、ジェシカは敢えて己の気配を消さずに残す。
ペトラ達の技量に合わせた程度、違和感の無い程度に。
上手く『消し』過ぎない様に、素人くさく成り過ぎない様に。
足跡・匂い共に、貧民街育ちが『チャプラの店の香水で己の価値を誤魔化してる』様に、感じ取れる様に。
外側から監視れば、同じ店に勤める六人組の女子供の集団…に見える筈だ。
このままチャプラを追跡すれば、どうせ、遅かれ早かれキビシュの監視網に触れる。
そして尾行される。昼間の様に。
彼等の連携力を考慮すると、ジェシカの単独尾行は不可能。
なので彼女は、己の存在をペトラ達の集団に紛れ込ませる事にした。
当然、キビシュの監視は、チャプラの後を追うペトラ達に気付く。そして、監視を兼ねた尾行を開始する。
不審な集団が敵性組織であれば、その場で止めに入るだろう。
だが…もし、その集団が味方の部下達ならば?
監視隊からすれば、キビシュに呼び出されたチャプラを心配し、部下達が彼女を尾行しているのだろうな…と考えるだろう。
つまり、危険度は低い。
そんな相手に対して、監視隊が、秘する自分達の姿を晒してまで彼等を止めるか?
…そんな無駄なリスクを取るとは思えない。
殺すなら兎も角、ペトラ達が味方であると理解っている以上、暴力的な解決策は取れない。
口封じも出来ないが、逃がす訳にもいかない。
…ならば、初めから姿は見せない。
自分達は潜み、彼等の監視のみに留める。
ジェシカは、監視隊ならそうするだろう…と、想定していた。
そして、それは的中した。
更に、その集団に異物が紛れ込んでいても、ペトラ達がジェシカを全く気にせず、同行を許しているならば…?
当然、彼女もチャプラの部下の一人なのだろう…と、考える。
つまり、ペトラ達の集団に紛れ込めれば、ジェシカでも堂々とチャプラの後を追う事が出来る。
「題して、『隣のオトモダチ作戦』!」
「…いきなり、どしたの?」
「何でも無いわ。
『幻覚結界』が切れない様に注意してね」
「わかってる」
白獅子を憂い、慕い追う黒豹。
其処に紛れ込む赤い悪魔。
ジェシカの作戦は進み、キビシュの巣の内側へと浸透していく。
蜘蛛の主に気取られない様に、静かに。
そして、着々と。
今月の更新は此処までです。
読んで頂き恐悦至極。ありがとう御座いました。
来月から始まる『ホラー』企画の準備に入るので、暫く更新をお休みします。
頑張っぺや〜




