◆ ジェシカの軌跡18 エージェントエインセル
昼間の追跡で理解った。
私一人では無理だ。
所詮、スラムマフィアだろう…と思って油断していた。
舐めていた。
チャプラの部下があの熟練度なのだから、その上の連中が重用している護衛達が、アレ以下な筈は無いのよねぇ…。
パックに同行してもらっていたのにバレた。
…正確には、まだ見つかってなかった。けれども、あのまま続けていたら確実にバレていた。
尾行されているかも知れないと思われた時点で、私の負け。
…私の仲間達と協力すれば、完璧な尾行も可能だけれども…。
今から呼びに行っても間に合わない。
流石に無理。
「あの馬車の中のヤツ凄かったな。久し振りに鳥肌立ったわ…」
「え?何?」
私の呟きを拾って、エインセルが顔を上げた。
「ううん、何でも無い」
彼女は軽く首を傾げ、再び地図に目を落とした。
エインセルは、追跡には向かない。
姿が見えなくなるワケでも、気配を消せるワケでも無い。ただ、飛べるだけ。
遥か上空から追えるという強みはあるが、気配に敏感な相手だと、意外と簡単に見つかってしまう。
追跡向きの能力も無ければ、逃走向きの能力も無い。戦闘なんてもっての外。
彼女の『幻覚結界』は対象に近付かないと効果が無い。
尾行とは全く関係の無い能力。相手にイタズラする為だけの能力。
でも、今回私の考えた作戦では、パックよりも彼女の能力の方が有用。というか、必要。
エインセルならでは…の、可能性がある。
私は尾行失敗後、急いで屋根裏へと戻った。
その途中、チャプラの店の様子を外から確認。
一階店内で従業員達が慌てている様子を見て、何かあった事を確信。
詳しい内容を知る為、わざと店の前に近付き、『音の魔術式』を発動させて、店内の会話を聴いた。
「商会長が皆に金貨を……」
「暫く店を閉めるらしい……」
「一体、どうなっちゃうのかしら…」
「雇用主に呼び出されたそうだ……」
聴き慣れた色黒の男の子の声。
「それが金貨と関係あるの?」
「金貨は嬉しいけどさぁ……」
さっきの馬車の連中が残したメッセージの影響かしら?
となると、この子達が次に取るであろう行動も見当がつく。
私は静かにその場を離れ、監視所となっている屋根裏に戻った。
その後は、勝手知ったる他人の屋根裏。休憩しつつ、料理しつつ……
「エインセルが帰ってくるのを待っていたってワケよ」
「ふ〜ん…それでパックは要らなくて、アタシが要る…というわけね。
でも、その作戦を実行するには、あいつらが決断しないと無理くない?」
「色黒の男の子と他の連中、そいつ等とチャプラとの関係性…。
諸々考慮すると、間違い無く決断するでしょうね。
見捨てるとは思えない。
それまで私達は、ただ待てば良い」
…彼等が動くのは、もう少し暗くなってから…かしらね。
その時が来るまで、戦の準備して待てば良いだけ。
「…でもまぁ、アタシはこの退屈な監視任務がサッサと終わるなら、どっちでも良いの。
早く終わらせて、アンタから約束のモノを貰わないとね…」
そう言って彼女は、私の懐を見つめながらニヤリと笑った。
「……くっ!
もう少し値切れば良かった…!」
私達は店を監視しながら、その時が来るのを待った。
◆
「動いた!起きて!」
私は寝ていたエインセルを叩き起こし、店の窓を指差した。
「う!?…ああ…」
「寝ぼけてないで!ほらっ!動け!!」
「あ〜い…」
「ちゃんとあれ、持った?」
「うう…アレ…アタシ嫌いなんだけど…」
「帰ったら、ヴァネッサの魔力魔石に加えてルーナの魔力もあげよう」
「…行ってくるわ」
エインセルは、ふらふらと窓から空へ。
通りを抜けて、チャプラの店へと近付いていく。そのまま、夜の闇に紛れて消えた。
「ちゃんと…店に入れるかしら…」
心配していると、エインセルから『入った』という合図が。
…よし。侵入成功。
…さて、捜査官の監視している表玄関も裏口も使えない。
チャプラなら、どうやって店から出るのかしらね。
◆
…妖精使いの荒い奴ね。
宝魔石1個じゃ全然足りないわよ。しかも、低グレード。
こんなに面倒な仕事だったなんて…。
ヴァネッサに頼まれなきゃ、手伝わなかったのに。
はぁ……
…とはいえ、一度は引き受けた仕事。
途中で投げ出すのは好きじゃない。
やり切ってやろうじゃないの!
廊下の灯りを消しながら歩くニンゲンの女。
『閉店作業』とかいうやつね。私って物知り。流石私。
特徴は、ジェシカの言った通り、白。
『ちゃぷら』とかいう名の奴で間違い無いわね。
「ん…?」
突然、彼女は立ち止まって私の方を振り返った。
反射的に、明かりの消えた壁付燭台の陰に隠れて息を止める。
私の潜む暗がりの方を見ながら、彼女は鼻をひくつかせた。
「…腸詰めの匂い…か…。ふっ…アイツら…」
軽く笑い、少し寂しそうな顔をしてから、彼女は作業に戻った。
…ヤベー、ヤベー……
屋根裏の埃と、ブルストの肉汁の臭いに塗れてて助かった。
何か知らんけど、勝手に勘違いしてくれたわ。
いつもみたいに、綺麗な花と香木の清らかな香りに包まれてたら…見つかってたかも。
ジェシカの言っていた通りね。
コイツ…、めちゃくちゃ鼻が利く。
…気を付けて近付こう。
『幻覚結界』さえ発動させれば、私の匂いも消せるからね。
消灯・閉店作業を終えると、チャプラは寝室にも出口にも向かわず、先程まで居た廊下へと戻った。
窓の無い従業員用の廊下には、月明かりも星明かりも入らない。他の部屋も全て消灯済み。完全な闇。
チャプラは側壁に手をつきながら進み、突き当たりまで来た。
彼女は屈み込み、装飾用の腰壁を撫でまわし始めた。
…あんな所でしゃがんで…一体、何をしているのかしら?
光が無くても、魔素の流れで周囲の様子を感じ取れる妖精には、チャプラの行動が手に取るように視える。
彼女は装飾の隙間に指を突っ込みながら、腰壁を軽く揺さぶっていた。
カチャカチャと金属の擦れる音がした後…
カタン!
…閂の落ちる音がした。
腰壁が引き戸の様に横滑りし、壁の裏側に隠し階段が現れた。
漂い来るのは、湿って饐えた土の香り。
風がカビの臭いを乗せたまま吹き込み、カビ臭さが廊下に充満した。
「う…。久しく開けてなかったからな……」
彼女は顔をしかめ、鼻を押さえた。
…チャンス!
カビ臭に紛れてチャプラに近付き、直ぐに発動。
私の『幻覚』に包まれた彼女に、私の存在を知覚する事は出来ない。
想定通り、彼女は直ぐ目の前に居る私が見えなくなった。
当然、それ以外の景色に関しては、そのまま。
『無』の空間に、色も音も触感も匂いすら『在る』景色を知覚させる、『幻覚結界・幻影』。
『無い』物を『在る』様に見せる。
同時に、其処に『在る』物を、『無い』物にする事も出来る。これが『幽霊の幻影』。
つまり、能力範囲内であれば、対象が其処に居る存在を見ても、触れても、舐めても…決して気付けない。
例え、私が直接掴まれたとしても、相手の五感は『空気を掴んだ』と判断する。
…ヴァネッサやクラウディアみたいに、五感以外で周囲の景色を感じ取れる能力者には効かないけど…
匂いも感触もそのまま、『消す』。アタシの応用技。
勿論、幻覚の範囲外から見られたら一発でバレる。
でも、今回みたいに一人で行動する相手なら、一度取り憑いてしまえば絶対にバレない。
自信がある。だから後は、安心して憑いて行ける。
チャプラは身体を縮こませ、真っ暗な階段を覗き込む。
懐から小型のランタンを取り出すと、マッチを擦って灯りを点けた。
「ふぅ…行くか……」
彼女は頭の上に妖精を乗せたまま階段を下り、隠し扉を閉じて閂を掛けた。




