◆ ジェシカの親友
…ジェシ………ねぇ…もう…
遠くから、私を呼ぶ声が聞こえる。
幼い声。優しい声。
肩に押し当てられた小さな手が、私の身体を揺さぶる。
この温かな手に殺意は無い。警戒の対象外…。
「…ジェシカ!もう授業、終わったよ!?」
薄目を開けると、綺麗な瞳が私の顔を覗き込んでいた。
金髪美少女ルナメリアのご尊顔だった。
ルナメリアこと、通称ルーナ。
私と同じ高等部に在籍している彼女。
でも、まだ齢九つの女の子。
本来ならば初等部に居る筈の年齢なのだが、諸事情により高等部に。
彼女は既に高等部の卒業試験にも合格している天才児。でも、まだ卒業する事が出来ない。
とある上司の命令で、私達は退屈な学園生活というものを体験しないといけないから。
マトモな人格形成の一環として。
…マトモって何?手遅れな私が一緒でいいの?
「ふあ〜あ…んぅ〜…。おはよう、ルーナ」
私は思いっきり伸びをして、固まった身体をときほぐした。
他の生徒達が退室して行く中、ルーナは私の隣に腰を掛け、私に視線を合わせた。
周囲の貴族の子息共が、チラチラと横目でこちらを見る。
見られているのは私ではない。
私は目を逸らされるタイプ。
注目されるのはルーナ。子供だからではない。
ルーナことルナメリア=キベレはキベレ侯爵の末娘。
そしてキベレ侯爵は、上位貴族の中の最上位である『選帝侯』の一人。
教皇崩御の折には、枢機卿達の中から次代教皇を選定する。
国王崩御の折には、教皇・枢機卿達と共に次期国王を選定する。
キベレ家は王族や枢機卿等の権力の最高位には就けないが、王家や公爵家とほぼ等しい権力を有している。
誰の下にもつかず、誰にも命令されない立場。
つまりルーナは、此処、マイア正教国の『お姫様』と言っても過言ではない。
その『お姫様』が、帝国から来た不良娘である私や、隣国から来た野生児であるクラウディア・デミトリクス姉弟と仲が良いので、皆は不思議に思うらしい。
この娘が、幼い頃から私達と一緒に教会暮らしをしている事は伏せられているから、私達の関係性が謎なのだ。
「ふふ…良く眠れた?ジェシカは相変わらずねぇ。
ほんのチョットだけ真面目な振りしてれば、女教師に目を付けられないのに…」
ルーナが言っているのは、私の昼寝の最中にグダグダと何か言っていた女の事か。
「価値の無い人の為に私を変えるなんて、まっぴらごめんよ。
一度ああすれば二度と話し掛けて来ないでしょ?
次からは良く眠れるわ」
再び大きく欠伸をした。
「…ジェシカは私の為に付き合ってくれているのでしょう?
嫌なら授業変えようか?
ノルマさえこなせば、何の授業であってもエレノア様は文句を言わないと思うし…」
ルーナは私の為に言ってくれるけれど、それは困る。
私は慌てて彼女の言葉を遮った。
「つまらない授業だからこそ良いのよ?
変えられると寝辛くなって困る。」
「寝るのは変わらないのね…」
彼女は苦笑いしながら頬を掻いた。
◆
「このところ、毎晩寮に帰ってないそうだけど…」
ルーナが私の耳元で囁く。
…当然バレるよねぇ…。妖精は口が軽いから。
私達は寮生活。
私達の家でもあるエレノア様の教会は、ここ中央区では無く北方区にある。なので遠すぎて通えない。
私の部屋は二人部屋なのだが、同室の相手は現在行方不明。
一人だから、誰に気兼ねする事なく抜け出していたのだけれど。
「…彼女との約束の為にね…頑張る私…偉い?」
「クラウディアとの…?
私は…あの時の事を未だにハッキリとは思い出せないの…」
ルーナは俯いて、耳の後ろに付けられた小さな契約印を軽く撫でた。
ルーナの親友ならば、当時の事を覚えている。
忘却の契約印を施されてないから。
だから私は、彼に尋ねてみたらどうかと提案した。
「…パックは教えてくれなかったの。
私が知ると、ジェシカの手助けの為に飛び出して行きそうだからって…」
残念そうにしながら俯く彼女。
…驚いた。
パックが気を遣える事に。
ルーナを護る為、敢えて教えないと判断した事に。
「…私もジェシカと同じ『笛の使徒』なのだから、少しでもお手伝いをしたいのだけれど…」
ルーナは周囲には聞こえない程度の声で囁いた。
周囲を警戒しながら。
笛の使徒こと、『トゥーバ・アポストロ』。通称『笛』。
教皇直属の暗部組織。
諜報・工作・暗殺の専門家。
敬虔な信徒や、無垢な国民達には見せられない様な汚い仕事を一手に引き受けている。
各区域・各教会に数名ずつ居るらしいが、お互いに正体は知らない。厳に秘されている。
私達の直の上司はエレノア司教。
私達は同じ教会育ちであり、同じ組織の仲間でもある。
「手伝ってくれる気持ちは嬉しいけれど…」
…もし、私が毎晩行っている様な所に『正教国のお姫様』が来たら…?
無理ね。
汚い場所に連れて行くなんて、ルーナの使用人に知られたら私が殺される。
若しくは…
ルーナは極度の人見知り。
知らない人、気に入らない人が近づくと、彼女の周囲に人を寄せ付けない『魔素の嵐』が発生する。
そして、それは制御出来ない。
幼い頃、彼女は館をひとつ破壊した。
生活していた離宮を丸ごと吹き飛ばし、一緒に暮らしていた乳母と使用人、侵入した暗殺者もろとも全て圧死させた。
生き残りは彼女一人。
危険過ぎるとして、トゥーバ・アポストロに処刑命令が下された。
だが、直前でエレノア様が止めた。
現在は教会に預けられ、魔力制御訓練の一環で私達に協力している。
万が一、彼女があの場所で暴走したら…?
恐らくは、地図から数区画が消える。
スラムだけでなく、平民の住宅街も巻き込まれる。
『犯人はキベレ選帝侯の娘!』
好き放題書かれる。
そして私がエレノア様に殺される。
「…危険だからね。しょうがないわよ。
パックを貸してくれるだけで十分助かってる。
私とパックが組んだら最強だって事、知ってるでしょ?」
ルーナは少し迷った顔をした後、小さく微笑んだ。
◆◆
私達が教室を出ようとした時、出口に居た少女達が私の行く手を遮った。
背の高い手下二人を、真ん中の一番小さな女の子が率いるかたちで。
「ジェシカ様。
ローザ先生の授業の邪魔をされるのは大変迷惑です。
寝るのも止めて頂けませんか?イライラします」
真ん中の少女が口を開いた。
見た目は私より小さい。勿論ルーナよりは大きいけれど。
明るいピンクブロンドが、窓から差し込む光を反射して、私の目に痛い。
鋭い目つきと淑女らしからぬ態度には、私に対する怯えは見られない。
薄黄色の瞳の中には、侮蔑と苛立ちの炎が見える。
…へぇ、珍しい。
大抵のガキ共は、私を直前にすると得体の知れない者に対する警戒と怯えで目が泳ぐのに。
コイツは真っ直ぐに私を見ている。
自信過剰か蛮勇か?
手下の二人は、僅かに腰が引けているのに。
「…えっと…誰?」
思った事そのままに言葉が出た。
彼女のこめかみには血管が浮かび上がる。
お伴の二人は、『まじかコイツ』という顔で私を見た。
「もしかして…さっきの授業中、私の前の席に座っていたヘンリーダさん?」
「違う…!」
「斜向かいのエンデさん?」
「馬鹿にしてる?」
「教卓の前の席を陣取るシュトラウス君?」
「私は女だ!!!」
取り敢えず聞いたことのある名前を出したが、全部外れたらしい。
「ジェシカ…」
ルーナがこめかみを押さえながら頭を振る。
「先程の授業でローザ先生を止めたシルフィ様。
シルフィ=アカビア様です」
ルーナの言葉を聴いて、シルフィの先程迄の怒り顔は掻き消え、パッと明るく微笑んだ。
「ルナメリア様、ありがとう存じます。
…まさか…わたくしの事を覚えていて下さるなんて。
わたくし、とても…とても光栄です」
瞳を潤ませながら、嬉しそうに礼を言う。
言い終わると再びキツイ顔に戻り、私を睨みつけながら口を開いた。
…コロコロとよく変わる。
面白い奴。
「貴女には覚えておいて貰わなくて結構ですけれどね!」
シルフィは言葉に棘を生やし、私を睨めつけた。
「下賤な帝国の貴族には、特にね!」
吐き捨てる様に言い放った。
…帝国嫌いか。
大好きなお姫様が大嫌いな帝国民と仲良くしているのが気に食わないのかな?
次回はカレイドスコープの更新予定です。が…再来週になるかも。
その前にホラー作品をひとつ…投稿するつもり。
まだ書き始めたばかりで、全然纏まってないけど。
夏ですから。
水関係の作品をひとつ。