◆ Knock on the door
「ご苦労だった、ペトラ。明日は午後から来てくれ」
ルブラム邸に忍び込んだ後、チャプラ姉から労われた。
今日は、少しゆったり出来る。
俺は日が顔を出した後に起きた。
弟妹達は既に起きていて、水汲みを済ませて於いてくれた様だ。
「おはよ!
今日は随分とゆっくりだね。兄ちゃん」
「ああ、昨日は忙しかったからな。
午後から出れば良いと。チャプラ姉ちゃんがな」
「じゃあ、ボク達も午前中はお休みしてもいい?」
「ああ。金に余裕もある。
少し贅沢しよう。一緒にご飯に行こうか?」
「「「やったー!!」」」
弟妹達は文字通り、両手を挙げて喜んだ。
俺は、朝から営業している平民達が利用するレベルの食堂へと、弟妹達を連れて行った。
この店は、仲間達と来る事はあっても、家族を連れて来るのは初めて。
弟妹達は、普段食べている木賃宿の残飯とは違う、お客様の為に作られたお客様の為の料理にとても感動していた。
「このお肉、黒くないよ?」
「お野菜も綺麗な色…本当に食べて良いの?」
「ああ。急がず騒がず残さず食べろ」
「「「はい…!」」」
岩みたいな黒パンだが、食べ易く、薄くスライスされている。
萎びていない葉野菜と柔らかい芋が入っているスープ。
変色していないマトモな肉。
酸っぱくも甘ったるくも無い普通のエール。
濁ってない白湯。
腐った油の臭いがなく、油虫も見かけない店内。
いつもと違う澄んだ空間。
周囲から向けられている視線は若干俺を不快にさせたが、弟妹達は気付いていない。なので不問にした。
俺に後ろ楯がある事は知られている。おかげで絡んでくる奴は居ない。
「兄ちゃん!凄く美味しいね!!」
店の空気は悪かったが、弟妹達が笑ってくれたので俺としては満足だった。
◆
昼の鐘が鳴り、弟妹達は物売りの仕事に行った。
俺は着替えを済ませて、チャプラ姉の執務室を訪れた。
「……知…せ…。私達…は………」
執務室の扉に手を掛けたところでチャプラ姉の話し声が耳に入り、俺は手を止めた。
中から、チャプラ姉が誰かと言い争う声が聞こえた。
「…ペトラか?入って来い!」
俺が扉の前で逡巡していたところ、チャプラ姉から声を掛けられた。
「失礼致します。商会長…」
見慣れぬ男女が執務机の前に立ち、俺を凝視する。
部屋には緊張感のある空気が漂っている。
俺は彼等の格好を見て、思わず言葉を止めた。
一人は黒髪黒眼、長身の男。片眼鏡を掛けている。
撫で付け、整えられた髪。ビシッとした立ち姿。
高級そうな生地、織り目の綺麗な官服。そして、鷹のような鋭い眼差し。
血色の悪い白い肌と闇の様な黒い瞳は、まるで死神の様。
もう一人は対照的に明るい色。
赤茶けた髪に明るく茶色い瞳、オレンジ色に日焼けした肌の女。
チリチリの髪の毛を手早く束ねただけの雑な格好。
男と同じ官服を着ているが、シワだらけ。
片脚に体重を掛けた、だらしの無い立ち姿。
官服…正確には捜査官吏の正装。つまりは警察。
多くは平民だが、権威は貴族・軍属に次ぐ。
「…貴女のところでは、こんなのを雇っているのですか?」
開口一番。死神の様な男のセリフ。
「御仕着せは立派だが、中身が伴っていない様に見えますな…」
吐き捨てる様に呟き、チャプラ姉へ視線を戻した。
…初対面相手への一言目が嫌味か。
いつもこうだ。首都官憲は異民を人とは見做さない。
「中身が伴っていないのは、そちらも同様なのではないかな?」
チャプラ姉が、女性捜査官を見つめながら男に言い返した。
男は隣の女性をチラリと見て、小さく舌打ちをする。
「あらら…言われてしまいましたね。アンダヴァルド」
女は全く気にしてない様子。ヘラヘラと笑っている。
「貴様が言うな…!貴様の所為で我ら……」
「対象の前ですよ〜?顔が怖いですよ~?やめましょう…ねぇ?」
男は露骨に顔をしかめ、再度、舌打ちをした。
「では改めてお聴きしましょう。昨夜はどちらに?」
「先程も述べました通り…ですね。
この部屋で仕事をしておりました」
「お宅の従業員をルブラム邸の近くで見た…という証言もあるのですよ?」
俺は反射的に息を呑んだ。
◆
「残念ながら見間違いでしょう。
昨夜は全員、遅くまで此処に残っておりました」
チャプラ姉は、アンダヴァルドと呼ばれた捜査官と睨み合っている。
…空気がひりつく。
「この店が、北区のスラム組織・キビシュの配下のフロント企業である事は知られています」
「キビシュ…?とは何でしょうか?」
「白を切りますか。まぁいいでしょう。
…貴社とコート商会とのご関係は?」
「コート商会様とは、長年に渡り取引させて頂いております。…それが何か?」
「コート商会がキビシュの窓口…という話はこの業界では有名な話。
商社を運営する以上、付き合う相手は選ぶべきでしたな」
「それは初耳ですし、この業界というのも分かりかねます。
にわかに信じ難いお話ですね。
貴方の仰るコート商会が、私達の取引先であるコート商会様と同じかどうかも不明ですしね」
チャプラ姉は笑顔を崩さず、堂々と応じている。
無表情な男のこめかみが、僅かに動いているのが判った。
その時、黙って話を聴いていた女が突如口を開き、二人の会話に割って入った。
「取引先にコート商会があるのは、間違いないんですよね〜?」
「はい、確かに。
繰り返しますが、貴女方の仰るコート商会が、わたくし共の取引先様と同一であるとは思えませんが」
男とは真逆、飄々としながら軽く尋ねる女捜査官。
チャプラ姉の表情を真似る様に、作り物の笑顔を向けている。
もしゃもしゃの髪の毛を掻きながら、女は執務机に身を乗り出した。
チャプラ姉に顔を近付け、覗き込む姿勢で圧を掛ける。
この女…凄く…嫌な感じがする…。
「取引記録を見せて貰えませんかぁ〜?」
「お断りします」
「捜査官の言う事には大人しく従った方が身の為ですよ〜?
命令…出しましょうか?」
「守秘義務が御座いますので無理です。
命令出されても従えませんね。
裁判所の書類をご用意下さいませ」
お互いに鼻がつく距離で応酬している。
そのままの姿勢で固まる二人。
緊張が部屋の中に張り詰める。
俺は空気の重さに目眩を覚えた。
しばし黙っていた女性捜査官が、不意にチャプラ姉から離れた。
「ちっ……ですよね〜」
「そもそもウチではなく、コート商会様に直接尋ねるのが宜しいのではございませんか?」
「それが出来れば苦労しないッスね〜」
女は拒否される事が分かっていた様で、意外と簡単に引き下がった。
…凄いな。官憲相手でも余裕の対応。
コート商会はペーパーカンパニーだ。
登録住所も商会長名も登記簿上だけのもの。
本当の住所は仲間内にしか知らされていない。
なのに登録が抹消されない不思議な商会。
下手に突くと、何故か教会から横槍が入る。
宗教国家であるこの国では、教会は聖域。
登記簿の管理も、官吏の上層部も教会の管轄。
並の捜査官では手が出せない。
「そもそも、何故いきなり?」
チャプラ姉は首を傾げた。
…そうだ。何故、今迄放っておいたキビシュ関係に手を出して来た?
「これにも見覚えはございませんか?」
そう言いながら、男は懐から封筒を取り出した。
俺は目を剥いた。
昨晩、俺がルブラム邸に置いた『キビシュの封筒』。
…何故、コイツが持っている!?
ルブラム商会がキビシュの封筒を見て被害を申し立てたのか?
警備兵は殴り倒したが、何も盗っていない。
富豪や貴族達は、金品を盗まれたり、家人を傷付けられたりしない限り、いちいち申し立てなどしない。
官憲に懐を探られる事を嫌うのはお互い様。
…まさか、封筒を見て泣きついた?
だとしても、普段の官憲ならば、その程度でわざわざキビシュに手を出す様なリスクを冒す筈がない。
「昨夜、ルブラム邸が何者かに放火されました」
「放火…!?」
俺は思わず声に出し、慌てて口を閉じる。
捜査官の二人は俺をジロリと睨み付けた。
…しまった!
今の反応は不審に思われたか…?
ルブラム邸とは無関係なのだから、ポーカーフェイスを続けないとマズかったかも…。
チャプラ姉なんて、ずっと表情を変えずに対応しているというのに、俺が足を引っ張ってどうする…クソっ…!
俺の顔を一瞥した男はフンッと鼻をならし、チャプラ姉に視線を戻した。
「…現場からこちらの封筒が発見されまして、キビシュの関係者が重要な容疑者となっております」
男は封蝋の印がよく見える様に執務机に置いた。
「はぁ…そうですか。
その火事と封筒が、我々とどの様に関係していると?」
チャプラ姉は封筒には触れず、男を見返す。
男は表情を変えずに封筒をひっくり返し、表面を彼女に見せた。
「こちらの宛先に、貴社の御名前が」
「はぁ!?」
俺は思わず声を上げてしまった。




