◆ 衝突
「それで…中央の奴等が、なんでこんな場所に…」
ペトラ達はグリの一挙手一投足を睨み付け、警戒姿勢を崩さない。
「オイオイ…それはこっちのセリフじゃねぇか?
此処は東部とは言っても、すぐそこは中央だ。
俺達が居ても問題ないだろう?」
グリは肩を竦めながら薄く嗤った。
ペトラ達に比べてグリに緊張感が無いのは、戦闘に対する自信の表れか。
中央の奴等…それは中央スラムの組織の者達という意味。
アルカディアのスラムを統率する主要な組織は三つ。
北スラム・蜘蛛の巣通り、毒蜘蛛キビシュ。
中央スラム・煤被り通り、喰む者エグダス。
南スラム・迷宮通り、霧のベスペルト。
広大な貧民街を別け合い奪い合う三人の王。
それぞれの取り扱う『商品』が違うので、今まで大規模な抗争には発展しなかった。
しかし小競り合い程度ならば、毎日何処かで起きている。
己の立場の示威行為。
支配地域の接触・獲得。
単に目が合った、気に食わなかった。
理由は様々。
毎日衝突が起きていれば、何度も目撃される者が出てくる。
目撃証言が多ければ多い程それだけ名が売れ、周囲の警戒と仲間の崇敬を集める。
特に危険な者は、市民や官憲、騎士達にまで名が知れ渡る。
有名な者達の中でも、グリは好戦的な人物として知られていた。
自分とは無関係な殺し合いにすら積極的に飛び込んで搔き回す、厄介な奴。そして常に生き残る。
当然、ペトラ達もグリの事を知っていた。顔も噂も危険性も。
「こっちからすればよぉ……
こんな遠方の教会までよぉ、なんで北の奴等が出張って来てんだぁ?…ってよぉ、尋ねても良いかぁ?
いいよなぁ?答えてくれるよなぁ?」
グリは顎を上げて、フードで顔を隠しているペトラを見下す様な格好で嘲笑う。
よく、傲慢な正教国人が外国人に対して行う侮蔑の仕草。
答えるか、殺し合いを始めるか、どちらでも構わないという意図で話し掛けている。
そんな彼を、アマビリスもリシェルも止めようとはしない。
二人は我関せずという態度でそっぽを向いていた。
「東部の教会で、まともに運営している所は少ないのよ?ご存知ないのかしらぁ?
遠路遥々、煤臭い連中の傍まで来ないと、マトモな情報すら手に入れられないのが東部の不便なトコですわね」
ドロシーがグリの前に立ちはだかり、扇を口元にあてながら臭い臭いと呟き、わざとらしく咳き込む振りをする。
シャラはドロシーの背中から離れ、ワタワタしながら近くの木の後ろに飛び込んだ。
「違うんだなぁ…違う…違う…」
グリは大袈裟に頭を振った。
「俺が聴いている事は…だ。
頭に糸を乗っけた蜘蛛の巣塗れの薄汚え連中が、なんで東部の教会なんぞに来てんだ?って事だろうがよぉ…。
蜘蛛の巣だらけの北の教会に引っ込んでろよぉ。
東部で何かやらかすつもりかぁ?」
丁寧に言ってやらないと理解も出来ない粗末なオツムなのか?と、グリはドロシーを嘲り返した。
「それを言うなら、貴方も同じでしょう?
煤被りは中央に引っ込んでいらしたら?
貴方みたいに汚らしい殿方は、煤まみれの中央教会で礼拝するべきではないのかしら?」
「答える気はねぇ…と?」
「私達は礼拝に来ただけですの。
おっしゃる意味が分かりません」
グリはニヤニヤと嗤いながらドロシーを睨み付け、ドロシーは臭い臭いと言いながらグリを見下す。
一触即発の雰囲気を感じ、波が引く様に周りから人が居なくなった。
◆
グリが右手を上げて魔術式を空中に描き始めると同時に、ドロシーとペトラが動き出す。
悠長なグリの行動に対して、二人の動きは素早かった。
シャラはアワアワしながら木の陰に引っ込み、アマビリスとリシェルは瞬時に数歩飛び退き、三人の戦闘範囲から離脱した。
ペトラの袖の中から、二筋の銀光がグリ目掛けて放たれた。
鍔は無く、持ち手も小さく削られた、投擲用の投げナイフ。
手のひらサイズの刃物が、僅かに前後して彼の喉と胸元を狙う。
先に到達する喉元のナイフは避けられる前提。
次のナイフが避けた彼の身体に突き刺さる。
万が一、二本目が避けられても三本目で止めを刺す。
先に行く二本の銀光を追う様に、ドロシーが扇の陰から懐剣を取り出しながら、一足飛びでグリとの間合いを詰めた。
ペトラの二本の投げナイフを避ければ、三本目のドロシーの懐剣が突き刺さる。
瞬きの間の、流れる様な連携攻撃。
グリの魔術式作図は半分にも満たない。
間に合わない筈…だった。
二人は目を疑った。
グリは、己の喉元目掛けて飛んで来たナイフを全く避けようとせずに、左腕を上げて前腕で受け止めた。
ナイフが、彼の腕の橈骨と尺骨に挟まれて止まる。
そしてそのまま、前腕から飛び出したナイフの刃で、胸元に飛んできた二本目のナイフを叩き落とした。
グリは己の腕を貫通しているナイフを気にも止めず、右手で魔術式を描き続けている。
そこに飛び込んだドロシーの懐剣を、グリは身体を捻りながら半身で躱す。
そのまま流れる様に回転し、遠心力の乗った蹴り足をドロシーの腹部目掛けて放った。
「ぐっ!」
コルセット越しでも息が詰まる程の威力の蹴りを受け、ドロシーは派手に吹っ飛んだ。
彼女が飛んで地面に転がると同時に、グリの魔術式が完成。
そして、そのまま即発動。
ペトラは一瞬何かを感じ取り、追撃の為に飛び出そうとしていた足を止めた。
十分の一秒にも満たない、本能的な危機察知。
その瞬間、彼の目の前の空気が弾けた。
遠隔起爆。グリの得意な魔術。
視界の範囲内、正確な数値を測れる程度の距離なら何処でも。
グリは、離れた位置の魔素を熱圧縮させて爆発させる事が出来る。
威力は然程無いが、直撃すれば皮膚は裂けて骨は折れ、肉が焦げる。
起爆式の後、三次元空間座標の指定式も描き込むので、式の作図に時間が掛かる。
だが、一度発動すれば、見てから避ける事はほぼ不可能。
咄嗟に身を翻したペトラだったが、爆音と共に発した衝撃波をまともに受けて、宙を舞った。
そのまま数メートル後方に弾き飛ばされたペトラは、身体を捻り、片手を地面に着いて後方に数回回転。
回転しながら懐からもう一本のナイフを取り出し、構えながら四つん這いで着地した。
そして、四つ足のまま、グリに向けて威嚇した。
「あっあ〜、いってぇ〜♪
いきなり刺すなんて酷え奴。
ビックリしてボンッ!しちまったじゃねえの。
駄目だろぉ?人に向けてナイフ投げちゃあよ?」
ナイフが刺さったままの腕を振りながら、ニヤニヤと嗤うグリ。
その時、教会の方から凄まじい怒号が響いてきた。