第三十七話 ノアの挫折と精霊アサン
「この『アサンの水源』ってパーティーを組んだのだって、お前が『天啓があった』ことがきっかけだろ?」
セミーンのその一言は、ノアの意識を現在から遠い過去へと巻き戻した。
それはもう十数年前。ノアがまだ、聖都で神官になり、病気やケガで苦しんでいる人を助けるという純粋な夢を抱いていた頃、うら若き日の記憶だった。
白亜の石造りの建物が並び、清らかな鐘の音が響き渡る聖都。
神々が喧嘩をすることのないよう、聖都には特定の名称が名付けられていないが、街を歩けば神・精霊・眷属等が祀られている祠を数多く目にすることができる。
その聖都の中央に鎮座する“光の神殿”の広場に張り出された『神官登用試験・合格者一覧』の羊皮紙の前で、十代のノアは一人、立ち尽くしていた。
何度見返しても、自分の受験番号と名前はない。
周囲では、見事合格を果たした同世代の若者たちが、家族や友人と抱き合って歓喜の声を上げている。その喧騒が、ノアにはまるで別世界の出来事のように遠く感じられた。
『……どうして』
ノアは幼い頃から、魔力適性がずば抜けて高かった。
通常、魔術師であっても適性を持つ属性は一つか二つだが、ノアは火・水・風・土の四元素すべてを操ることができた。
誰もが彼女を「天才」と呼び、将来は高位の神官となって人々を救うのだと信じて疑わなかったし、ノア自身もそう思っていた。
だが、試験後の面接で、高位神官は冷酷な事実をノアに突きつけた。
「君は、四元素を司る精霊たちからは深く愛されている。神話や歴史の得点も高く、術理についての理解度も高い……。だが、肝心の『光属性』の適性が、完璧に欠如している。それがただちに神に愛されていないという意味にはならないが、聖都の神官になるのは難しいでしょう」
ノアも黙ってはいない。
自分に期待して、少なくないお金を貯めて、安全に聖都へと送り出してくれた家族に顔向けできないから。
「そんな!?私は水魔法の『回復魔法』が使えますし、水魔法の適性がある人が光属性に目覚めるケースもゼロではないはずです!お願いです、“祈りの儀”に参加させてください!そうすればきっと……」
祈りの儀とは、面接合格者が挑戦する、いわゆる最終試験にあたるもので、ここで洗礼を受けられれば光魔法のスキルが身に付くとされる。
もっとも、祈りの儀に臨む時点で適性は神官に見抜かれているため、いわば『儀礼的な試験』の一つとなる。
高位神官も、四属性の魔法を使えるという、この希少な才能がなぜ光魔法と結びつかないのか不思議だったが、ノアにとって残酷な事実を告げざるを得なかった。
「私たち面接官は、神官だ。つまり、光魔法の属性がある、俗に言う『神に愛された者』を見分ける眼を持っている。これがない者は、どう頑張っても光魔法が使えないんだ。君も学んだと思うが、過去にこの適性を後天的に身に付けたものは、勇者の例外を除き、ほぼいない」
高位神官の右側にいる、面接官の一人がコメントを引き継ぐ。
「個人的には、本当に惜しいと思っているよ。光魔法も含め五属性を操れる神官なんて、とんでもない逸材だ。例えば、奇跡の一つである“光の雨”のように、毒に冒された台地を美しい姿に戻す、なんてこともできるかもしれない。だが、神官の実務は光魔法ありきで行われるし、教育課程もそのようになっている。遠方から来てもらって、ここまで酷なことを言うのは本当につらいが……」
続いて、左側が別の可能性を伝える。
「たとえ神に愛されなかったとしても、精霊に愛されているなら、別の国で巫女を目指す生き方もあるだろう。残念ながらレゾルグ王国は神々への信仰で成り立っている部分は否めない」
最後に、高位神官が話を締める。
「面接は以上だ。君の熱意に免じて、祈りの儀の特別参加については一応『考慮』しよう。だが、期待はしないことだ」
ノアは、頭が真っ白になったまま、何も言わず部屋を出た。
そして数日後。広場に張り出された『合格者一覧』に、やはりノアの名前はなかった。
それでもノアは、高位神官が口にした「考慮する」という言葉にすがり、祈りの儀への特別参加の通達を待ち続けた。
毎日、光の神殿前を訪れては、何か通達がないかどうか確認していた。
しかし、聖都滞在の最後の日になっても、とうとうノアにそのチャンスは訪れなかった。
聖都滞在、最後の夜。
試験のために滞在していた安宿で、ノアは粗末なベッドにうつ伏せになり、声を殺して泣き続けていた。
明日には故郷の村へ帰らなければならない。
期待して送り出してくれた家族、村の人々に、何と報告すればいいのか。
光魔法が使えない自分は、これから何を目標に生きていけばいいのか。
絶望と喪失感で心が押し潰されそうになっていた、その時だった。
『――泣くことはない。そなたの往くべき道は、神の箱庭にはない』
不意に、部屋の中に清流のせせらぎのような、不思議な声が響いた。
ノアは弾かれたように顔を上げた。
部屋には窓から差し込む月光が差す。
そのほかに、ぼんやりとした青白い光の粒子が漂っている。
「だ、誰……?」
『我はアサン。其方の豊かな魔力と、健気な魂に惹かれた者。……世界を巡れ。冒険者となり、自らの足で大地を踏み、自らの目で世界を見よ。其方の力は、いずれ訪れる大いなるうねりの中で、必ずや意味を持つ』
それだけを告げると、青白い光の粒子は月光に溶けるように消え去った。
「アサン……?」
ノアは涙を拭い、その名を何度も頭の中で反芻した。
神官を目指す過程で、聖都の経典や神々の系譜、実務関連の調査報告書は一通り暗記するほど読み込んできた。
だが、『アサン』などという名の神は、天界の神々の中には存在しない。
『神様じゃない。でも、私を導こうとしてくれた……。火、水、風、土……私が得意な四元素。ひょっとして、アサンっていうのは、神様じゃなくて「精霊」の名前なんじゃ……?』
しかし、ノアの知識が正しければ、この国において精霊に「固有名詞」は存在しないはずだった。
レゾルグ王国では、原則として精霊の名を呼ばない。
聖都に名がないように、神々も基本的に名で呼ぶことはなく、いつしか『創世の女神』『戦いの神』『火の精霊』『土の精霊』といった、概念的な呼び方で統一された。
これは、かつて王国が宗教戦争で二分されたことへの反省である。
魔王登場前の歴史において、かつてのレゾルグ王国に位置する土地には二つの勢力があった。
創世の女神メルマラを信仰する、聖都派のエル聖女に属する軍。
再生の男神アシンバを信仰する、王家派のザム王子に属する軍。
聖都派は、聖都を国の中枢に据え、戒律に従い神と共に生きる生活を説いた。
王家派は、王家を国の中枢に据え、生きとし生けるものの営みの輪廻を至上とした。
神が主役となるか、それとも人類が主役となるかの戦争は、魔王が世界を蹂躙するまで続いた。
不幸だったのは、互いの勢力が疲弊したことにより、一時期は成す術なく魔物による殺戮が国内で繰り返されたことだった。
両派は事態を重く見て協力し、古代の文献の強力な術理や、当時禁忌とされた術理にも手を出す。
別次元の世界に存在する者の強力な力を借りる『異世界転移』もその一つだ。
転移の代償は、転移された者たちが元の世界へ戻る可能性が、限りなく低いこと。
しかし、なぜか転移した者たちはその状況を素直に受け入れ、魔王を倒すため戦いに臨んだという。
いつしか、そんな姿を見た冒険者たちは、転移者を勇者と呼ぶようになる。
彼らはこの世界の冒険者たちを愛し、結ばれ、子を成した。
勇者の中には、我が子を抱くことのないまま、命を落とした者もいる。
子世代になると、生まれつき強力なスキルを引き継いだまま育つ勇者も増えた。
中には、1,000人規模の部隊の士気を高めたり、天変地異レベルの魔法を扱ったりできる勇者もいた。
魔王はこの勇者たちの力を恐れ、自らの魔力を使って人類の分断を図った。
かつての勇者たちの中には、人間種や獣人種などよりはるかに長く生きる、長命種のエルフ・魔人たちと子を成した者もいた。
エルフや魔人は、強力な魔力を持っている分、魔王に魅入られやすい性質があった。
それゆえに狂暴化し、自分たちの家族を襲うよう仕向けられたのだ。
また、人間種に関しても、魔王は逆転の発想で『自我を奪いモンスター化させる呪い』や『死者をアンデッド化させる呪い』をかけ、人類社会の内部崩壊を試みた。
もっとも、病原体を運ぶアンデッドは脅威だったが、魔力に乏しい人間種のモンスター化は、エルフの狂暴化ほどの戦果は挙げられなかったというのが、のちの聖都の見解である。
これらの呪いにより、子世代の勇者は親や同胞を殺さなければならない戦いに臨むことになり、その戦いは熾烈を極めた。
かつて自分の最愛の存在であったものを殺すことほど、惨いものはない。
ここで、魔王に従っていた者『魔族』たちも、その方針に疑問を抱くようになる。
いずれは自分たちも駒にされる、もしくは今既にそうなのではないか、と。
やがて、魔王を裏切った一部の魔族は、人類とともに魔王の呪いを軽減するメソッドを開発・共有する。
これにより、人類と魔王との戦いの潮目が変わる。
次の世代の勇者が生まれる頃には、一般人の中にも強力なスキルに目覚める者が出てきた。
冒険者たちの中で、特に戦闘力が高い者は勇者と協力し、ついに魔王を倒すことに成功した。
レゾルグ王国においては、この宗教戦争から魔王討伐までの一連の激動の時代を『無名の時代』という。
神の名を呼び祈ることもできないほど、つらい時代だったことの名残を感じさせる。
神はあくまでも信仰の対象であって、国民を分断するものであってはならない。
そういった強烈な戒めの意味から、レゾルグ王国では神や精霊の固有名称をあえて口にしないのだ。
だからこそ、ノアに語りかけてきた『アサン』という存在は、王国の常識から外れた、古き時代の真実を知る者である可能性が高かった。
翌朝、ノアの顔から絶望は消え去っていた。
彼女は故郷へ帰る馬車には乗らず、そのまま冒険者ギルドの門を叩いた。
『アサン』という存在の正体を突き止めるため。
そして、光魔法が使えなくとも、得意の水魔法を極限まで研ぎ澄ませば、人々を救う存在になれると証明するために。




