12 国王焦る
ゼラート王国の現国王、ラッザロ・ゼラートは何を言われているのか理解できなかった。
「ルディーナ殿を、フレジェスに渡したと聞こえたぞ?」
「はい。その通りでごさいます」
病に伏せっていたラッザロだが体調が徐々に回復し、久しぶりに起き上がることができた。そこで文官を呼び近況について報告を求めたところ、耳を疑う内容が返ってきた。
「べ、ベルミカ公爵は同意したのか?」
「いえ、ベルミカには特に何も伝えておりません」
病気のせいで悪い夢でも見ているのだろうか、ラッザロは本気でそれを疑った。自分の顔をパチパチと触る。感覚ははっきりしており、夢には思えない。
「何故、フレジェスと講和してそんな条件が付く? あり得ないだろう」
ラッザロは国王としての能力は低いが、最低限の常識はある。当然の疑問だ。
「……私は詳細を把握しておりませんが、ザルティオ殿下のご提案とだけ聞いております」
ラッザロは足元の床が崩れて奈落に落ちていくような錯覚を覚えた。
病床とはいえ、流石にフレジェス王国と戦争になったことは報告されていた。そのときラッザロは『併合以外ならどんな条件でも良いから和平を結べ』と指示している。だが、それはフレジェスに譲歩することを認めたのであって、意味不明な条件を好きに付けろということではない。
「今すぐザルティオと主だった家臣を集めよ。今後について方針を立てねば!」
「すぐ、というのは難しいかと」
文官が事もなげに言う。呑気さに腹が立った。状況が分かっているのだろうか。
「ザルティオと、他は集められる者だけ集めろ。数時間あれば可能だろう」
「ザルティオ殿下は外に出ておりますので厳しいかと……」
「外っ! 何をしに」
「えー確か、エミリー・ブランダ子爵令嬢を連れて狩りに」
「……連れ戻せ。命令だ。ザルティオが戻り、会議の準備ができたら呼べ」
「承知いたしました」
「急ぐのだぞ。私は少し横になる」
ラッザロの体調はようやく起き上がれる程度、今のやりとりでかなり疲弊している。水を飲んでベッドに横たわった。
結局、会議を始めることができたのは、翌日の午後だった。
今のところベルミカ公爵家に動きはないが、ラッザロにはそれが逆に不安だ。凡庸な王であってもベルミカ公爵が激怒していることぐらいは分かる。
大きな長テーブルを囲むのは国王ラッザロ、王太子ザルティオ、王家補佐の役人達。
「これより、会議を始める」
そう宣言するラッザロの顔色は悪い。その後ろには医師が控えている。
「まずザルティオ、何故あんなことをした」
「あんなこと? 父上が仰るのはルディーナの件ですかね」
ザルティオは小首を傾げてから答える。軽薄な態度に腹が立つが、堪えて再度問う。
「そうだ、何を考えている」
「大したことではありません。アレは王妃には相応しくありませんでしたので、放逐したまで」
「大したことではない……だと。ベルミカ公爵家を敵に回す行為だぞ! 理解しているのか!」
ベルミカ公爵家は国内最有力の貴族、その影響力は極めて強い。ラッザロ自身も今は亡き先代の国王から『ベルミカ公爵だけは敵にするな』と口酸っぱく言われていた。
「ベルミカは領地はデカいが、臣下の一貴族に過ぎませんよ。アレは王妃教育も全く駄目でして。むしろベルミカ公爵が謝罪に来るべきでしょう」
「もう一度聞くぞ? 何を考えている? ベルミカ公爵家の領地は税収において王家直轄領の合計を大きく上回るのだ。 それにベルミカが一貴族? かのベルミカ公爵家だぞ」
ベルミカは初代国王の実弟にして、建国の立役者ナゼールの血統だ。
旧王朝の崩壊で生じた戦乱の時代、並み居る敵勢力を打倒し、再統一への道筋を付けたのはナゼールである。彼が王にならなかったのは兄を立てただけだと言われる。
貴族の中でもベルミカ家は別格、臣下の一貴族などでは決してない。
「税収もまぁ大切ではあるのでしょうがね。父上もご病気で気が小さくなっているようだ。父上は王、私は王太子です。王国軍を有するゼラート家が何を恐れるのです?」
殴られた。
ラッザロはそう錯覚した。自分の息子は何を言っているのか。
「王国軍? 王国軍が使えると思っているのか?」
「父上、本当に何を言っているので?」
ザルティオの表情は冗談を言っているようには思えない。ラッザロはようやく理解した。本当にザルティオは何も知らないのだ。
「ヤダイルっ!! 貴様は何をしていたっ!!」
ラッザロは立ち上がり、家臣の一人に掴みかかる。ザルティオの教育関係について任せていた男だ。
「王国軍の大半はベルミカ派閥に属しているのに、ベルミカ公への抑えになる訳がなかろう! 何故こんな基本的なことも知らんのだ!」
「いえ、一応教育は……教師を付けたはずでして……」
周辺諸国と異なり、ゼラート王国は中央集権化されていない。王家にそれを通す程の力がなかったのだ。
他国が中央集権化に成功し強力な国軍を生み出す中、一応ゼラートも王国軍と呼ばれる組織を作った。しかしそれは諸侯の軍を合同訓練しているだけで、王家の軍ではない。
外国との戦争においては条件付きの指揮権が国王に委任されているが、内戦となれば役には立たない。
ベルミカ公爵家とその派閥が号令をかければ王国軍の過半は敵に回るのだ。
「何が付けたはずだ!」
家臣の胸ぐらを掴んだラッザロは、しかし呻き声を零して座り込んでしまう。体調の悪い中で興奮して動けば無理もない。
「国王陛下っ!」
後ろで控えていた医師が慌てて駆け寄り、体を支える。
「国王陛下をお連れしろ。これ以上は命に関わる」
国王派の重鎮の一人、ボルノア伯がそう命じる。ラッザロは「話はまだ途中だ」と抵抗するが、思うように身体は動かない。そのまま医師に抱えられ、運び出されてしまう。
結局、何の成果もないまま会議は終了した。




