19、集
綾乃がシャワーを浴び終わった気配がしたが、なかなか脱衣所兼洗面所となっているスペースから出てこない。
どうしのだろうと思って様子を見に行こうとしたら、ドライヤーの音が聞こえてきた。
そうか、髪ぬれたまんまじゃ、風邪ひくよな・・・。
納得して、綾乃のためにコーヒーを入れておいてやろうと、コーヒーメーカーをセットし直した。
出てきたら、すぐ飲めるようにと・・・いや、頭スッキリさせてからヤることヤりてぇしなー。
ダセぇと思いながらもそう考えると、口元が緩んだ。
だけど、ドライヤーの音が止まって随分たったが、なかなか綾乃は出てこなかった。
さすがに、気になり洗面所を覗くと。
髪を綺麗にセットして、化粧を終えた綾乃と鏡越しに目が合った。
つうか、化粧いつもより念入りじゃねぇかっ。
「どこか、出かけるのか?」
自分でも驚くほど、不機嫌な低い声が出た。
そりゃぁ、そうだ。
俺、何も聞いてねぇし。
「あ・・・はい、実は・・・昨日、母から電話が入って、大叔母の所へ新年挨拶に行くように頼まれまして・・・本来なら今日両親そろって行くはずだったのですが、母のところに年末から帰国していた父が昨日飲みすぎたらしく、昨日のうちに横浜に戻るはずが戻れなくなって。だから代わりに行ってほしいと言われまして・・・。」
俺の不機嫌さが伝わったのか、綾乃がビクビクしながら答えた。
って・・・え?
「親戚んちに行くのか?」
「いえ・・・いつも大叔母は、年末年始はグランドヒロセ銀座に泊まるので・・・そこで、新年の集まりが毎年あるのです。叔母は、神戸に住んでいて、お正月はこちらにいる親戚に会いにくるので・・・。」
「何だよっ、なら、そう言えばいいだろう。丁度、結婚したことも報告できるじゃねぇか。で、何時頃行くんだ?俺もシャワー浴びて用意すっから。」
俺がそう言いながら服を脱ぎ出すと、綾乃は困った顔をした。
「あの、大丈夫です・・・大叔母のところへは、私1人でいきますから。」
不機嫌に黙ったままハンドルを握る俺に、観念したように綾乃が謝ってきた。
だけど。
「丈治・・・不愉快な思いをさせてしまったら、ごめんなさい。」
見当違いな謝罪で、俺はますます頭に来た。
「ああっ!?不愉快な、とかそんなんで俺は怒ってんじゃねぇっ。俺は、お前の旦那だっ。旦那なのに、お前が俺に黙って行動しようとか、親戚に俺を紹介するのが嫌だか何だかしらねぇけどっ、1人で出かけるってのに頭にきてんだよっ。確かに、俺んちは、おまえんちみたいに、きちんとした家じゃねぇし?お前が俺を親戚に紹介するのが恥ずかしいってのもわかるけどよっ――!?お、おいっ、あぶねぇだろっ!」
突然、話の途中で綾乃が俺の腕に抱きついてきた。
慌ててハンドルを切って、ハザードをつけ、路肩に停車した。
「丈治っ、誤解です!!私、丈治の事恥ずかしいなんて一度も思ったことありませんっ!!むしろっ、私の自慢の旦那さんです!!」
車を停めるなり、凄い剣幕で綾乃がまくしたてた。
え?
「・・・だってよ、お前親戚の集まりへ、俺と一緒に行きたくねぇんだろ?」
「はい。」
「じゃぁ、やっぱ俺が――「丈治に私の親戚を紹介するのが、恥ずかしいのです。」
唇をかみしめ綾乃が言った言葉に俺は、驚いた。
「・・・・お前、親戚の集まり、って言ってなかったか?」
どう見ても、パーティ会場となっている部屋の前で、俺は綾乃に今更ながら確認した。
「あ、そうなんですけど・・・・丈治、氷室製薬って会社を知っていますか?」
「お前、俺でもそれくらい知って・・・え?・・・まさか?」
俺は、驚いて綾乃を見た。
氷室製薬って言ったら、日本でも1、2を争う製薬会社じゃねぇか。
「大叔母が現在会長で、その息子・・・母の異母兄弟が現社長なんです。なので、新年会といっても取引先までやってくるので、いつも大規模になってしまうのです。」
そういう事か・・・俺は自分の服装を、見直した。
俺も行くならこれを着てくれと綾乃が選んだのは、テーラ寺門で去年の秋に作ったきちんとしたダークスーツだ。
滅茶苦茶仕立てがいい。
代金を聞いてあまりにもリーズナブルで驚いたが。
すげぇ、俺の体にしっくりくる。
綾乃は、今日はシャリッとしたシルクのドレスだ。
色は、明るいブルーで綾乃に良く似合っている。
そういえば、この色好きだよな。
確か綾乃に初めて会った時も、この色のスーツを着ていたな。
綾乃らしく、上品なブルーだ。
・・・つい、見惚れてしまった。
「丈治?」
綾乃が不思議そうに、俺を見上げた。
俺は、綾乃の腰に手をまわし。
「すんげぇ、綺麗だ。俺のもんだってわかってるけど、もう一回口説きたくなった。」
そう言うと、綾乃が真っ赤になった。
だけど、ちっせぇ声で。
「・・・じゃぁ、後で。もう一度お願いします。」
なんて言いやがるから、堪んなくなって抱き寄せたら・・・無粋な声がした。
「綾乃さん?何だ、来てたの?」
振り返ると、いかにも金持ちでお上品そうなナヨっとした男が立っていた。
何となく、馴れ馴れしいその男の態度にイラついたが。
綾乃の、表情が『ザ・女取締役バージョンに』変化したので、安心した。
そつのない挨拶と俺の紹介を綾乃がすると、その男が俺を値踏みするように見た。
それから、俺の職業やら、出身校やら、親の職業やら・・・くだらねぇ質問が続いた。
しまいには。
「綾乃さんは、もう少し違うタイプの人と結婚すると思ったけどなー。」
どう言う意味だよ!?
・・・まあ、見下した目を俺にむけているから、そういうことなんだろうが。
正直、ムカついたけど。
「そうですか?私は丈治以外の方とは、結婚は考えられませんが?」
と、綾乃がきっぱり言い切ったので、驚きながらも滅茶苦茶嬉しかった。
会場に入ると同じような質問をされ、綾乃が同じように答える、という事が続いた。
「丈治・・・気分を悪くさせてしまってすみません。でも、こういう人達なのです。考えている事が根本的に違うので、申し訳ないですが聞き流してもらえませんか?」
途中、綾乃が俺の耳元でそんな事をすまなそうに言った。
ああ、やっとわかった。
綾乃が俺を連れて来たくなかった理由は、こういうことだったんだと。
だけど――
「気分なんか悪くねぇよ。他の奴は関係ねぇ。俺はお前が俺の事をどう思っているか、それが全てなんだぞ?」
綾乃の目を見つめそう言うと、綾乃が頬を染めた。
そして。
「もう・・・丈治。丈治をこれ以上好きにさせないで下さい・・・好きすぎて、もう・・・もう・・・どうしていいかわかりませんっ。」
そう言って、俺の腕に顔をうずめた。
「・・・・・・。」
って。
ってー。
ってーーー。
ってーーーーー。
そんな、可愛いことしやがってっ。
俺だって、どうしていいかわかんねぇよっ!?
鼻血が出そうだ――
俺の頭ん中で。
あの、イタリアンマフィアの有名な映画のテーマ曲が流れた――
いや、大袈裟じゃなく。
カタギって、わかっているが。
その婆さん、と目が会った瞬間。
チャララララララ~♪・・・って、頭ん中がその曲でいっぱいになった。
つまり、だ。
そんだけ、迫力がある婆さんだということで。
70歳くらいだろうか。
眼力のすごさっつったら半端なくて、ホンモノも真っ青だぞ?
だけど・・・。
「お祖母様、あけましておめでとうございます。ご無沙汰しております。」
そう言って綾乃が綺麗にお辞儀をした途端に。
「綾ちゃん、久し振りやねぇ。元気だったん?芦屋の方に去年顔見せてくれたけど、新年会に来てくれるんは、珍しぃなぁ。」
ニコニコと笑顔になった。
げ、綾乃すげぇ可愛がられてるっぽくねぇか?
何か、横にいた秘書みたいな男にバッグを取らせて・・・あ、婆さんがバッグ開けて、何かを取り出したぞ?
「今日は両親の代理です。それから、お祖母様。もう、私は30歳になりましたし、お年玉を頂く歳ではないです。お気持ちだけありがたく頂戴します。」
ポチ袋を、綾乃に渡そうとする婆さんを、綾乃がやんわり断った。
途端に、すげぇ残念な顔をする婆さん。
「綾ちゃんは、いつまでもうちにとって可愛い孫や。だけど・・・まあ、気ぃ遣うんやったら、そっちのボディガードにやり。正月そうそう、仕事で大変やろ?」
って、俺の事を見やがった。
な、何だと?
ボディガードだぁ!?
イラッときたが。
綾乃が俺を振り返り、さりげなく俺の腕に自分の腕をからませて、俺が夫だと紹介した。
で、その瞬間。
俺の頭の中で、再び。
チャラララララー・・・と、すんげぇボリュームで、イタリアンマフィアのテーマ曲が流れた。
何故なら。
婆さんの眼力が10倍くれぇ強くなって、俺を見たからで。
つうか。
もろ、睨まれてるよなぁ?
・・・・綾乃、こういうヤバイ情報は、先に、言っとけよ。
眼力婆さんは、綾乃のお袋さんの母親の双子の妹で。
綾乃のお袋さんを産んですぐに亡くなった姉に代わり後妻に入り、綾乃のお袋さんを育てた人だった。
自分の子供同様可愛がり・・・いや、その後生まれた自分の子供は男2人だったから、綾乃のお袋さんは、それはそれは可愛がられたらしい。
だから、綾乃は孫同然で。
しかも、孫も男ばっかで、女は綾乃だけ・・・。
って、まずいよな・・・。
これ。
結婚の挨拶・・・この婆さんにも事前にしとかなきゃなんなかったんじゃねぇのか?
婆さん、こめかみ青筋立ってんぞ?
つうか。
綾乃、本物のお嬢じゃねぇか。
普段、魚富士の小汚ねぇド狭い居間に溶け込んでっから、すっかり忘れてたけどよ・・・。
綾乃の親父さんも氷室一族で、遠縁にあたる親戚らしい。
綾乃の両親はガキの頃からのいいなずけで。
だけど、お互い好きあって一緒になったから、問題はなかったらしいが。
いや、よく俺・・・綾乃の親にあっさり結婚の了承してもらえたよな?
此処へ来て、ずっとされてきた質問を、また同じように婆さんにされた。
「仕事は何やっとう?」
「ジャズピアニストです。」
俺が答えると、横に立っていた秘書らしき男がすかさず婆さんに耳打ちした。
東洋テレビの開局記念セレモニーから大晦日の日本音楽祭で、多分俺の知名度は上がっただろうから、そんな情報を入れたのかもしれねぇ。
「で、最終学歴は?」
「大和大学芸術学部音楽科卒業です。」
まあ、大和の芸術学部っていやあ、芸術方面では抜きん出ているからな・・・。
「実家の商売は?」
「・・・横須賀市で、飲食店を経営していますが、その他40年ほど、グランドヒロセ横須賀のバーラウンジのマネージャもしています。」
綾乃と結婚するにあたって、綾乃の両親にクソジジイのことを聞かれると思ったから、知りたくもねぇけど、一応仕事内容を調べたら。
実は経営している店は28店舗あった。
ほぼ、横須賀のメインの店ばっかだ。
めんどくせぇから飲食店経営つったけどよ、風俗関係もけっこうある。
とりあえず、当たり障りなく答えようと思った。
が、俺の解答が気にいらなかったらしく・・・婆さんの眉間にシワがよった。
まあ、セレブの婆さんには、俺が気にいらねぇんだろうな。
そして、次に出た言葉が。
「綾ちゃん、こんなザコ、別れるなら早いうちや。綾ちゃんなら、再婚でもええ男みつかる。」
は?
いきなりの言葉に、さすがの俺も固まった。
だけどそこで、普段温和な綾乃が、声を荒げた。
「お祖母様!お言葉ですが、私が今まで出会った男性で丈治は、一番素敵な人です!私は丈治と別れるつもりはありません!」
すげぇ・・・眼力婆さんに啖呵切ったぞ?
すると、婆さんがニヤリと嗤った。
そして、10倍眼力が100倍になって、俺を見た。
ま、まあ?
俺も負けてらんねぇし。
婆さんから目はそらさねぇけどよ。
「あんたは、どうなん?綾ちゃんはああ言うとうけど?」
俺だって、周りから何をいわれようと同じだ。
「俺も、別れるつもりはないです。」
きっぱりとそう言ったが―――
「なんぼや?」
「は?」
「そやから、なんぼ払ろたら、綾ちゃんと手ぇ切るか、言うとうのや。」
婆さんがそう言った瞬間に、綾乃が。
「お祖母様っ!」
叫んで、可愛い大きな瞳から涙をこぼした。
ったく・・・バカだな。
んな泣く事か?
俺はぐい、と綾乃を抱き寄せた。
綾乃が、揺れる瞳で俺を見上げた。
っとに。
何で、そんな顔するんだよ?
ま、まあ。
そんな顔も無茶苦茶可愛いけど?
「お前は、バカか。俺がさっき何て言ったか、もう忘れたのか?」
「丈治・・・?」
ハラハラとこぼれる涙をぬぐってやりながら、綾乃を見つめる。
「他の奴は関係ねぇ。お前が俺をどう思っているか・・・それが全てだって言わなかったか?」
「じょ、丈治ぃ・・・。」
俺は、婆さんに向き直った。
「結婚の承諾は、綾乃の御両親に頂いています。ただ、そちらの事情は知らなかったものですから、ご挨拶に伺わなかったことはお詫びします。しかし、お許しが頂けなくても、俺たちはもう結婚していますし、絶対に綾乃を幸せにしますから・・・失礼します。」
俺は、そう言うと。
婆さんに一礼して、綾乃の肩を抱き出口へ向かって歩きだした。
会場を出て、エレベーターを待っていると。
それまで黙っていた、綾乃が俺を見上げた。
「丈治。」
「ん?」
「すごく、すごく・・・嬉しかったです。」
「何が?」
「私の、気持ちが全てだって、言ってくれて・・・。」
綾乃が俺の腕をとった。
そして。
いつもの、スリスリを始めた。
おいっ・・・今、それ。
やるか?
はあ・・・ったく。
俺はグッと、下腹部に力をいれた。
「・・・俺も、嬉しかったぞ?お前が今まで出会った男の中で、俺が一番素敵だって言ってくれてな。」
「だって、本当の事ですから・・・。」
スリスリ・・・。
「だけど、今更だが・・・よくお前の両親、俺との結婚認めたよな。」
スリスリ・・・・。
「え?わからないんですか?」
スリスリ・・・・。
「あ?」
綾乃が、俺を見上げた。
「パパとママは、私の幸せを一番に考えてくれているんです。だから、丈治とけっ――!」
もう、俺は。
たまらなくなって、綾乃に口づけた。
だけど・・・キスをしたら、もっと。
たまらなくなった。
唇をはずし、綾乃を熱く見つめる。
「・・・・なあ。」
吐息がかかるほど、近くで口を開く。
「はい・・・。」
「・・・お前は・・・俺のもんだよな?」
「そうで・・・す。」
綾乃の瞳が濡れているのは、さっき婆さんと話していたときとは理由が違うのは明らかで。
だから・・・もう、たまんねぇし。
「だよな・・・だけど、もっかい・・・・口説いていいか?・・・今日は、ここ泊るぞ?」
俺は、到着したエレベーターに綾乃と乗り込むと、駐車場のある地下2階ではなく。
フロントのある、ロビーのボタンを押した――




