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かつて英雄と呼ばれた男は、今はただ幼竜と生き延びたい  作者: 雪沢 凛
第二十一章:辺境の旅路

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第216話 消された王子

 荷馬車の車輪がぬかるんだ道を踏みしめ、がたん、がたんと規則的に揺れていた。まだ朝の光は山の斜面を完全には照らしておらず、空気は少し冷たい。


 三人は年季の入った四輪の荷馬車の荷台に並んで座っていた。


 カヴィは荷物の横で頭を抱えて縮こまり、見るからにひどい顔をしている。

「……馬車ってほんと地獄だ……頭、割れる……」

 今にも荷台の上を転げ回りそうな勢いだった。


 御者をしているのはロアンだ。昨夜あれだけ騒いだというのに、まるで十時間は熟睡したかのように元気いっぱいで、まったく疲れた様子がない。


「まあまあ、歩かなくていいだけ楽だろ?」

 ロアンは楽しそうに言った。


 出発前、村人たちは朝早くから三人を見送りに来て、残っていた焼き猪肉や干し肉、乾パン、水の入った革袋などを持たせてくれた。


 ロアンはさらに、自分の馬車で商道の合流地点まで送ってやると言い出し、そこから南へ向かう商隊に乗ればいい、と段取りまで決めてくれた。


 旅は順調に見えた。


 少なくとも――カヴィが突然「あっ!」と声を上げるまでは。

 彼は慌てて自分の袋を漁り、小さな金属製の装置を取り出した。魔導石と水晶を組み合わせたような、小型の器具だった。


「危ない、忘れるところだった」

 それをアッシュに差し出す。


「魔導通信器だ。魔力が切れてるから、少し充填してくれ。殿下……あー、フィリシア殿下に連絡したい」

 そう言うと、また頭を抱えた。

「頭痛い……ちょっと寝る……あとは任せた……」


 アッシュは小さくため息をつき、通信器に手を置いた。


 エルセリアがすぐ小声で言う。

「魔力なら、私も――」


「いい」

 アッシュは首を振った。「俺がやる」


 彼が魔力を流し込み始めると、御者台からロアンが後ろに声をかけてきた。


「最近は魔力使える人も少なくなったからなあ。魔導なんて使える人はみんな大都市に行っちまう。連邦の方が一番進んでるらしいぞ。軍でも使ってるし、一般向けにも変な道具があるんだってな。勝手にお湯が沸く壺とか」


 彼は楽しそうに喋り続ける。


「でもああいうのは定期的に魔力を補充しないといけないし、普通の人は買えない。俺たちは川で火を起こして湯を沸かす方が早いってわけだ、はは!」


 二人は特に相槌も打たず聞いていたが、ロアンは構わず続ける。


「王国も最近は魔導を無視できなくなってきたらしいな。すごい魔導顧問が何か作って、北境に持ち込んだとか。昔は竜がいれば十分だったけど、敵国が魔導兵器を作り始めたら竜がいくらいても足りないって話だ。竜王だってあの兵器には――」


「……今、何て言った」

 アッシュの声が低く落ちた。

 通信器を握る手に力が入り、装置がきしむ。


 ロアンは少し驚いた。

「え? 竜がいくらいても足りないって話? それとも竜王――」


「竜王が、どうした」

 アッシュの目は冷たかった。


 ロアンは「ああ」と思い出したように頷き、外で聞いた噂話を思い出すように言った。


「俺が聞いた話だけどな……一年ちょっと前かな。王国がカルデリアって小国と戦争しただろ? 王国は楽勝だと思ってたらしいけど、カルデリアがどこからか金を手に入れて、強力な『対竜魔導弩』を買ったらしいんだ」


 彼は手で弓を引く仕草をした。

「その弩で、竜王と王国の英雄を一撃で撃ち落としたって話だ」


 アッシュの手がわずかに震えた。

 エルセリアがそっと彼の手の上に自分の手を重ねる。


 アッシュはもう一度、低く聞いた。

「……その後は」


 ロアンは何気ない口調で続けた。


「そこからが変なんだ。竜王がどうやって死んだのか、誰も詳しく知らねえよ。代わりに広まったのは――王国の英雄、つまり王子が竜を殺して、そのまま逃げて今も見つかってない、って話」


 エルセリアはアッシュがもっと知りたがっているのを感じ、代わりに尋ねた。

「どうしてそんな話になったんですか? 目撃者もいたはずなのに……」


 ロアンは肩をすくめた。


「噂なんてそんなもんだよ。伝わるうちに変わる。本当の理由なんて、みんな興味ないのかもな……あ、そうだ、王国の王って竜王に選ばれるって話もあるだろ?

 竜王が死んでも、選ばれた人は次の王になるとか。

 だったら、そいつを王にしたくない奴がいたのかもな。俺の勝手な想像だけど」


 その時だった。


「くく……はは……」

 後ろから、妙な笑い声がした。


 カヴィがいつの間にか目を開けていた。何かの言葉に引っかかったように、ゆっくり体を起こし、荷物にもたれながら座る。

 彼は軽く咳払いをし、気だるそうな声で、しかしどこか講義でもするような口調で言った。


「……いや、ロアン君の話、けっこう筋が通ってるよ」


 ロアンはきょとんとした。

「え? 俺、そんな大したこと言った?」


 カヴィは答えず、勝手に話し始める。

「考えてみろ。竜王が死んだ。じゃあ『竜王に選ばれた人間』はどうなる?

 そのまま認められると思うか?」


 彼は空中に指で丸を描くような仕草をした。


「普通は思うよな。――ああ、この席、もうすぐ空くなって」

 彼は額を押さえ、苦笑する。


「そうなれば、当然、別の誰かがその席に座りたくなる」

 少し声を落とす。

「でも『本来そこに座るはずだった人間』がまだ生きている限り、そいつを支持する人間もいる。

 そういう時、一番手っ取り早い方法は何だと思う?」


 誰も答えない。


 カヴィは淡々と言った。

「簡単さ。――本来座るはずだった人間を、地図から消してしまえばいい」


 名前は出さなかった。

 王子とも言わなかった。


 アッシュの方を見もしなかった。

 だがその言葉は、静かに刃のように空気に刺さった。


 カヴィは続ける。

「王国の貴族ってのは、こういうのが得意でね。

 例えば『竜王戦死』みたいな利用できる事件が起きたら、あとは簡単だ」


 彼はこめかみのあたりで指をくるくる回す。


「『竜王の力を継ぐかもしれない人間』を、裏切り者だ、不忠だ、王にふさわしくないって言い続ける。

 噂は勝手に育つ。

 気がつけば――『あいつが竜を殺して逃げた』って話が完成する」


 沈黙が馬車の中に落ちた。


 エルセリアは両手を強く握りしめている。

 アッシュの指の関節は白くなっていた。


 ロアンは最初、ただの世間話として面白そうに聞いていた。

 だがカヴィの最後の言葉を聞いた瞬間、笑顔がゆっくり消えていった。

 何かの欠片が頭の中でつながったようだった。

 考えたくなかった答えが、突然形になったようだった。


 次の瞬間――

 馬車が大きく揺れ、ロアンが慌てて手綱を引いた。馬が止まる。


 ロアンは振り返った。

 三人の顔を順番に見る。


 アッシュは黙っている。

 エルセリアは視線を落としている。

 カヴィは荷物にもたれ、何も言っていないような顔をしている。


 ロアンは喉を鳴らし、乾いた声で言った。


「……あんたたち……」

 その声には、恐れと、敬意と、そして直感が混じっていた。


 カヴィは首を傾け、微笑む。

「どうした?」


 ロアンの視線がアッシュの顔に一瞬だけ向き、すぐ逸らされる。

 まるでそれ以上見てはいけないものを見るように。


 彼は喉を鳴らし、無理に明るい声を出した。

「い、いや! 何でもねえ!」


 彼は慌てて手綱を打ち、馬車を再び走らせた。

 車輪がまた泥道をがたがたと鳴らし始める。


 アッシュは自分の手を見下ろした。

 服の下、竜鱗は相変わらず、決して温まらない氷のように胸元にあった。


 その時、彼ははっきり理解した。

 ――真実が何であれ。

 ――もう自分は、元の場所には戻れない。

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