孤独な偵察と潜入計画
中央管理局への潜入――その決意をヘラに告げた後、ニコと彼女の間の空気は、目に見えてぎこちないものになった。ヘラは、ニコの計画についてそれ以上問いただそうとはせず、むしろ避けているかのようだった。彼女はB1Fの「日常」の中に自身の居場所を見つけようとしているように見えた。フードセンターで新しいメニューを試したり、公園のベンチで他の(おそらくは生まれながらの)B1Fの若者たちが静かに談笑するのを遠巻きに眺めたり、あるいは、レクリエーション・センターから漏れ聞こえてくる音楽に耳を澄ませたり。その姿は、数週間前までの、常に何かに怯えていた少女とは別人に見えるほど、穏やかになりつつあった。
ニコは、そんなヘラの姿を、複雑な思いで見つめていた。彼女が安らぎを得たことを喜ぶべきなのかもしれない。だが、同時に、彼女がこの偽りの楽園に順応していくことに、焦りと、そして言いようのない孤独感を感じていた。彼女はもう、自分と同じ方向を見てはいないのかもしれない。
(…仕方ないことだ)ニコは自分に言い聞かせた。ヘラにはヘラの生き方がある。自分には、自分のやるべきことがある。たとえ、この先に一人で進むことになったとしても。
ニコの意識は、完全に中央管理局の攻略へと向けられていた。彼は、ヘラがB1Fの日常に紛れている間、単独で、より大胆かつ慎重に、目標の建物の偵察を繰り返した。
中央管理局。B1Fの中央広場に面してそびえ立つその建物は、近づけば近づくほど、その威容と異質さが際立った。他のB1Fの施設が、どこか公共的で開放的な(少なくとも表面上は)デザインをしているのに対し、この建物だけは、明確に「拒絶」の意思を示しているかのようだった。滑らかで継ぎ目のない壁面には、窓らしい窓はほとんど見当たらない。確認できる出入り口は、物々しい警備員が立つ正面玄関と、建物の裏手にある、厳重に管理された搬入口、そしていくつかの小さな非常口らしきものだけだ。
壁面の至る所に、目立たないように設置された監視カメラが、あらゆる角度をカバーしている。定期的に、同じルートを巡回する警備ドローン(小型の浮遊型ロボット)の姿も見えた。ニコが奪ったIDカードは、当然のように、建物のどのアクセスポイントでも全く反応しなかった。ここは、B1Fの中でも、さらに特別な、限られた人間しか立ち入れない領域なのだ。
(どうやって入る…?)
ニコは、建物の周囲を何時間もかけて歩き回り、観察し、思考を巡らせた。正面玄関や職員用通用口からの侵入は不可能。警備ドローンやカメラを掻い潜って壁をよじ登る? B2Fの壁ならあるいは可能だったかもしれないが、この滑らかな壁面では、吸盤でもない限り不可能だろう。
彼は、カイから託されたデータチップに入っていた古い構造図を、奪った携帯端末(基本的なビューワー機能は使えた)で表示し、現実の建物と照らし合わせた。多くの部分は改修されているか、情報が古すぎて役に立たない。だが、いくつかの基本的な構造…例えば、主要なダクトシャフトの位置などは、おそらく変わっていないはずだ。
彼は、以前から目をつけていた、建物の北側にある大型の廃棄物ダクトに再び注目した。それは、建物内で発生した様々な廃棄物を、定期的に地下の処理施設(おそらくB4Fか、さらに下層にあるのだろう)へと送るためのものらしい。観察を続けると、数日に一度、決まった時間に、大型の清掃・回収ロボットが複数台、このダクトから出入りしていることが分かった。
(ここだ…)ニコは直感した。(ロボットが出入りする、あのタイミング。警備が一番手薄になり、ダクトの内部ハッチが開く瞬間。そこに紛れ込めば…)
もちろん、危険は大きい。ダクトの内部がどうなっているのか、どこに繋がっているのか、正確な情報は無い。途中で処分される廃棄物と一緒に、処理施設に送られてしまうかもしれない。あるいは、ダクト内部にもセンサーや監視があるかもしれない。だが、他のどの方法よりも、まだ現実的な可能性を感じさせた。
ニコは、その廃棄物ダクトの周辺を、さらに集中的に偵察した。回収ロボットの正確な出入り時刻、その際の警備員の動き、ダクトのハッチが開いている時間、そして、ロボットの死角になりそうな場所。彼は、まるで狩りをする獣のように、辛抱強く情報を集め、分析し、最適な侵入プランを練り上げていった。
その間も、ヘラとの間には、微妙な距離感が存在し続けていた。ニコは、自分の計画の全てをヘラに話してはいなかった。彼女をこれ以上、危険な考えに巻き込みたくないという思いと、そして、彼女がこの計画に反対するだろうという予感があったからだ。
ヘラもまた、ニコが何かを一人で企んでいることに気づいているようだったが、深く詮索しようとはしなかった。彼女は、B1Fの穏やかな日常の中に、ささやかな幸福を見つけ、それを守ろうとしているのかもしれない。時折、ニコに向ける彼女の視線には、心配と、そしてどこか寂しさが入り混じっているように見えた。
(これでいいのかもしれない…)ニコは思った。(ヘラは、ここで、安全に…)
だが、その考えは、すぐに、自分自身の目的意識によって打ち消された。安全? この嘘で固められた檻の中のどこが安全だというのだ? 真実を知らずに生きることは、本当に幸福なのか?
ニコは、決意を新たにした。中央管理局への潜入。廃棄物ダクトからの侵入。次の回収作業は、おそらく二日後。それまでに、必要な準備を整えなければならない。カイから託された道具…EMP装置、ピッキングツール、そして短いナイフ。それらを改めて点検し、いつでも使えるようにしておく。体力も温存しておかなければならない。
彼は、ヘラには告げずに、一人でその準備を進め始めた。孤独な戦いが、再び始まろうとしていた。今度の相手は、この偽りの楽園の中枢そのものだ。彼の胸には、恐怖と同時に、真実へと近づくことへの、抑えきれない興奮が湧き上がっていた。




