67.前領主の正妻
嫌な夢を見ていた。
あの日と同じように頬に触れる何かで目を覚ました私は、まるであの時に戻ったような気がした。
「ハークハイト?」
「気分は?」
「平気……」
「まだ時間がある。もう少し寝ていなさい」
そう言って目を閉じたハークハイトに、私は思わず、
「夢……?」
そう呟いていた。
「いひゃい」
その途端、ハークハイトの手が私の頬をいつものようにむにりとつまんだ。
「夜中に裸足で家を飛び出していく問題児がいる夢か?」
「ごめんにゃひゃい」
頬のわずかな痛みと指先から伝わる温もりが、この現実が夢ではないと教えてくれた。
嬉しさとまだほんの少し残る不安に、私はそのままハークハイトに抱き着いた。
いつもなら淑女がどうのと言って一緒に寝るのも嫌がるし、抱き着くなんてもってのほかなハークハイトだけど、今日はなぜか何も言ってこない。
「ハークハイト、今日は優しい……」
「そんなに元気なら自分の部屋に戻って寝なさい」
「……」
優しいかと思えば突如突き放す様なことを言うハークハイトに、ぎゅっと抱き着いて無言で帰らない意思を示すと、頭上から小さなため息が聞こえた。
「何をあんなに怯えていた?」
「ちょっと嫌なこと思い出しただけ」
「森でのことか?」
「言いたくない……」
「君はわがままだな。人を夜空の下に放置した挙句、言いたくないとは」
色々思い出してしまうから言いたくない。けれど、言ったところで私には何もわからない。
あの場所がどこなのかも知らないし、どうして私があの場所にいたのか、なぜあんなことをしていたのかも知らない。あの場所にいた人たちの名前も、顔も、もうほとんど思い出せないのだ。
「ハークハイトはどうしてあんなことしたの? あのノート……」
私は、記憶に蓋をして話を変えた。
ハークハイトも私が話さないと分かったのか、小さくため息をついて私の振った話題にのってくれた。
「あの時はあれが私にとっては必要なことだったのだ」
「命を危険にさらしてやること?」
「そう思われるかも知れないが、死ぬつもりなど毛頭なかった。あれは死なないためにやっていたのだから」
「どういうこと?」
顔をあげてハークハイトを見ると、ハークハイトは寝台から起き上がり私を抱え椅子に座り直した。
「ルキシウスと私の父が前領主ということは知っているな?」
「うん」
「ルキシウスの母は、政略結婚のために父の元に嫁いだ正妻で、私の母はメテルキアの研究員で父との婚姻関係は一切ない。簡単に言えば、私は愛人の息子と言うわけだ」
「あいじん、って……?」
「……忘れていい。要するに、私は純粋なフェリジヤの人間でもないし、領主の子どもとしてもあまり良くない存在ということだ」
「そんなの関係あるの?」
「領主だとか貴族と言うのは、立場上色々あるのだ」
「面倒だね」
そう言うと、ハークハイトは珍しくクッとかみ殺したようにそうだなと笑った。
「二十年前にメテルキアの薬師による国王暗殺未遂があって、メテルキア領内は色々と荒れた。徐々に母もその煽りを受け生活は苦しいものとなり、治安の悪化したメテルキアにこれ以上私を置いておけないと判断し、母は私を父に預けた。父は優しい人だったので、私をすぐに受け入れてくれたし、ルキシウスも弟ができたと喜んでくれた。だが、私の存在を疎ましく思うのが父の正妻であるルキシウスの母だった」
「嫉妬……?」
「そんなところだ。それに、ルキシウスが万が一事故や病気でいなくなったら、領主継承権が血筋すら中途半端な私に回ってくる。ルキシウスの母は、それが許せなかったのだろう。私は、彼女に命を狙われることとなった」
「え……?」
思ってもなかった展開に、私は目を見開いた。
「食事や飲み物に毒を盛られるようになってな。最初こそ気付かず、何度か死にかけた」
ハークハイトはまるでなんでもなかったかのようにさらりと話した。
「お父さんに言わなかったの?」
「証拠がなかった。証拠もなく、犯人だなどと言えば余計に波風が立つ。すぐに六歳で貴学院に行くことになり、食事は貴学院でとれたし、家の中でさえ気を付けていれば問題はなかった」
「問題なかったって……」
命を狙われているのに問題ないわけない。日々のストレスはとても身体に悪い。
「私にとっては、ルキシウスの母の言い分も最もだと思ったし、政略結婚であるルキシウスの母からすれば、ぽっと出の研究員で父と恋仲になった私の母など目障りこの上ないのは明らかだ。だから、私はある程度甘んじて受け入れていた。それで死ぬのなら、それが私の天命なのだと」
「じゃぁどうしてあんな記録が?」
「当時私にとって問題だったのはルキシウスだ」
「ルキ様が?」
「ルキシウスと私は本当に上手くやっていたと思う。ルキシウスはあれで面倒見も良いし、他人を身分や立場で判断しない。自慢の弟だと良く言ってくれたし、私もルキシウスが兄で良かったと心から思っていた。だが、だからこそ、自分の母が私にしていることを知った時、それが許せなかったのだろう」
昔を思い出す様に、ハークハイトは目を伏せた。
「あれが言ったのだ。今は力がないけれど、自分が領主になった時、自分を支えてくれるはずの優秀な弟を傷つける者はそれが例え自らの母親であろうとも斬首台に上がらせる、とな。もしもその前に、私が死んだなら、必ず同じ苦しみを与えてから斬首台へ送ると」
「ルキ様、すごいね……」
「あれはやると言ったら本当にやるからな。領主になった途端、母親を斬首台に送る領主など、どんな理由があろうとも傍から見れば暴君の誕生でしかない。特に、ルキシウスの母は政に首を出していた訳でもないし、内情を知る人間はほんのわずかだ。どう考えても、そんな行いはルキシウスにとって良いことではない。結果、私はあれを暴君にしないために死ねなくなったし、ルキシウスの母の毒で倒れることすら許されなくなった」
それで投薬による毒耐性の獲得と言うことか……。
一応納得はしたけど、ルキ様もルキ様ならハークハイトもハークハイトで、やることが極端過ぎる。例え半分の血しか繋がってなくても、この兄弟はれっきとした兄弟だ。
「メテルキアからフェリジヤに来て、孤独になってしまったと思った私に、手を差し伸べたのはルキシウスだったし、それからもあれは何かと私を守ってくれた。私にとっては、例え暴君な発言でもそれが嬉しかったのだ」
「だから自分をいじめるような無茶したんだね」
「最初は健全に毒に強くなるためにやっていたのだが、途中から薬を作ったり研究したりすることが楽しくなって、若干自分を使って研究していた節もある。魔力を増やす訓練をして暴走させていたのもその頃だ。おかげで、家ではガンフにがみがみと言われ、貴学院ではユーリにグチグチ言われ大変だった」
ハークハイトの驚きの発言に私は眉を顰めた。
そう言えば、前にガンフが基地へ来た時に、薬品混ぜたり薬作ったりして、毒に当たるわ爆発させるわしてたって言ってたっけ。魔石を粉にしてたって話も伝蝶の時にしてたし……。
一緒に過ごすうちにハークハイトってちょっと変わってるなって思ってたけど、やっぱりだいぶ変わってるよね?
「だから、あのノートのことはあまり深刻に考えなくて良い」
「ルキ様のお母さんは今どうしてるの……?」
「ルキシウスが領主になった少し後、事故で死んだ。父が亡くなってから、心の病になり、夜中に城を徘徊している時に階段を踏み外してそのまま亡くなった」
「そうなんだ……。じゃぁ、もう命を狙われたりはないの?」
「近しい人間に四六時中と言うことはないな。まともに仕事をする気のない領主がその席に座している今、私がいなくなれば、領内で困る人間が山ほどいるからな」
「ルキ様……」
母親を斬首台に上げようとしていた人の行動とは思えない怠けぶりだ……。
けれど、ハークハイトが今もなお痛い思いをしていないのならそれでいい。
「子どもの頃の苦い思い出ではあるが、ルキシウスの母には感謝もしている」
「感謝?」
「薬道を深く知るきっかけになったのも、騎士団へ入ることにしたのも全てはあの人がいたからだ。なんだかんだ私は今の生活を気に入っているし、行く行くは私も私の母の様に生物や植物を研究し薬学の道に従事したいと思っている。苦い思い出が今に繋がるとあの頃は思いもしなかったけれど、全ての経験は決して無駄にはならないと今は実感している」
ハークハイトの言葉は、無理にそう納得しようとして言っていると言うよりも、本当に吹っ切れている様な感じだった。
「痛いことも……?」
「私の経験上、喜びや楽しさと言う経験ももちろん苦難を乗り越えるために必要だが、苦しみや痛みを伴う経験の方が後に生きることが多い。決して楽な道ではないけれど、痛みを知る者は他者に優しくなれるし、その痛みを乗り越えるために強くなる。境遇や環境による経験は、しなくて済むならその方が良いとは思うが、しようと思ってできることでもない。折り合いがつかない経験も中にはあるだろうが、命ある限り、それは稀有で貴重な経験で、全ては未来で消化できると思った方が生きやすい。無理ならそんな記憶は忘れればいいのだ」
「そんな簡単に……」
痛く苦しい記憶はそう簡単に消えてはくれない。
けれど、ハークハイトの言う様に、あの経験があったから私は自分を助けてくれたマオやハクのために強くなりたいと思ったし、そこから騎士団で薬を作っていることにも繋がっている。
今はまだ無理だけど、いつかあの思い出をハークハイトの様にさらりと誰かに言える日が来たら良いな。
私は、向かい合っていたハークハイトの胸に顔を埋めた。
「なんだ?」
「森を出て出会えたのがハークハイトたちで良かったなって」
「そうか。なら、もう夜中に家を飛び出してくれるなよ」
「気を付ける」
「カオとヤヤも随分心配していたし、ザビウスも君を気にしていた。基地に行ったら謝罪と礼を忘れずにしなさい。そばにいてくれるものはかけがえのない財産だ」
「うん」
「では、朝ごはんにするか」
「うん!」
これからどうなるかなんて、先のことはわからないけれど、みんなと出会えたこの日常がいつか思い出になるのなら、もしもその時が来ても私は大丈夫な気がした。




